経営とゲーム。
生き馬の目を抜くような2つの世界でしのぎを削るのが、今回お話を伺ったあぶさん。
あぶさんはeスポーツスタジオをはじめ、様々な領域で事業を展開する経営者である傍ら、任天堂の人気ゲーム『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズの選手としても活躍しています。
経営もゲームも、ミッションは1つ。自分の腕を磨いて、勝負に勝つこと。
今回はそんなあぶさんのキャリアを振り返るとともに、自分のレベルを上げて勝つために必要なことを伺いました。
あぶさん
会社経営者
スマブラ専門ゲーミングチーム「CJ Esports」選手/マネージャー
eスポーツスタジオ“BUZZ e-Sports”オーナー
幼い頃からゲームをプレイし、中学生の時に出場した任天堂の人気ゲーム『大乱闘スマッシュブラザーズDX』の幕張メッセで行われた東京都大会で優勝を経験。
以降もその他対戦ゲームで頭角を現す。
そして水商売の世界へと進みナンバーワンへと上り詰める。ホストを引退後は飲食業などをはじめとした複数の事業経営を手掛ける。
その傍ら『大乱闘スマッシュブラザーズ』専門のゲーミングチーム「CJ Esports」の選手/マネージャーとして、ゲームの世界で活動を再開する。
どんな逆境でも売れる人は売れるし、売れない人は売れない。負けず嫌いのゲーマー少年が、ホストになるまで
――いくつもの事業を経営されている傍ら、現在は『大乱闘スマッシュブラザーズ』(以下『スマブラ』)専門ゲーミングチーム「CJ Esports」の選手/マネージャーとしても活躍されているあぶさん。まずはあぶさんの、ゲームとの出合いから教えてください。
物心つく前からだったと思います。昔からゲームが大好きで、とにかくゲームに明け暮れてきたのでいろいろなタイトルを触ってきました。
特に強かったのは『モンスターファーム/コーエーテクモゲームス』シリーズといったモンスターを育成して対戦するゲームですね。
小学生の時からそういったタイトルの大会に出場し、中学生の時には当時NINTENDO64でリリースされた『スマブラ』の大会で優勝も経験しました。その後も『ジャンプスーパースターズ/任天堂』など様々なタイトルをプレイしてきましたね。
――中学生の時から優勝経験があれば、今の世の中ならプロゲーマーを目指されていてもおかしくないとは思うのですが……?
その当時はまだゲームのプロ、つまりゲームをすることでお金を稼いでいくような仕組みがなかったので、あくまで趣味の延長という感じでした。
とはいえゲームをして大会に出て強いプレイヤーと戦って、というのは純粋に楽しかったですし、何より好きだったので夢中で取り組んでいましたよ。
小さい頃から負けず嫌いでしたから……(笑)。勝負に負けると悔しくて、いろいろ自分なりに勉強して強くなって。強いプレイヤーに話を聞いてみたり、その流れでその人と友達になったり。
こうして振り返ると、ゲームを通じて自分の性格や人間関係が作られていったように思います。
そんなゲーム漬けの日々を過ごしていたのですが、高校を卒業してからはホストの道に進んだんです。
――なぜホストに?
当時、テレビで「実録!ホストの花道!」という番組が放送されていて。
そこに出演されていたホストの方たちがとてもカッコ良くて、だんだん自分もホストの道に進んでみたいと思うようになっていきました。
飲食店でアルバイトをしていたので、そこでの就職も考えたのですが、どうしてもホストをやってみたい気持ちを抑えられなくて。周りの反対を押し切って始めてみたんです。
今思えば友達にも「向いてない」とか「売れない」みたいなことを言われて、それが悔しくてやってやろう、と思っていた気持ちも正直ありますね(笑)。
――負けず嫌いのあぶさんらしいモチベーションだと思います。どれくらいの期間ホストをされていたのでしょうか?
5年半ほどですね。
ナンバー(店内ランキング)には3カ月で入ったのですが、ちゃんと売れるようになる(ナンバーの中でもさらに上位)までは8カ月ほどかかって。ナンバーワンになるまでには、実に2年半もの時間を要しました。
自分にとって転機だったのは、その8カ月目の時。店の大きな方針の転換で、営業時間が変わったんです。
営業時間が変わったことで今まで来られていたお客さんが来られなくなったりして、みんな思うような売り上げが出せず、モチベーションも下がっていました。
今までと状況が一変したことで、みんな現状に対する不満を口々に言い合うような空気感で……。でも僕はその感じがとても嫌だったんです。
最近で言うなら、新型コロナウイルスのような。そういう危機的状況があったとしても、何かしらできることってあると思うんですよね。
語弊を恐れずに言うなら、売れる人は逆境でも売れるし、売れないことを逆境のせいにしてしまう人はそれまでです。
そういう意識から僕のスタイルが変わり、徐々に店でも頭角を現すようになりました。