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後悔のないセカンドキャリアの選び方を、中小企業診断士・市川聡さんに聞いた

生ボイス

人生における第二の職業を意味する、セカンドキャリア。

スポーツ選手のような「現役」という概念のある職業の人はもちろん、会社に勤める人もまた「定年」という名のキャリアの節目が必ず訪れます。

独立や起業、あるいは転職。自分にとってのセカンドキャリアの選び方は人それぞれですが、せっかくなら後悔のない選び方をしたいものですよね。

今回お話を伺ったのは、中小企業診断士で企業コンサルタントの市川聡さん。

日産自動車株式会社に勤めていた市川さんは、役職定年を経て51歳で退職。その後、東北地方にて被災した事業者を対象としたコンサルティング事業を手がける会社を設立しました。

今回はそんな市川さんのキャリアを伺うとともに、後悔のないセカンドキャリアの選び方についてお聞きしました。

<プロフィール>
市川聡さん
株式会社大航海経営 代表取締役/中小企業診断士/企業コンサルタント
大学卒業後に日産自動車株式会社に入社。
40歳で課長職に就任。その後役職定年を経て、2015年8月に福島県川内村役場へ転職。
同年10月に中小企業診断士の資格を取得。
3年の任期を終え、役場を退職し2018年に独立。現在は中小企業診断士、コンサルタントとして、東北地方を中心に活動。
震災の被災事業者を対象に経営課題の発見、改善やコンサルティング、研修、補助金申請のサポートなど、手がける事業は多岐にわたる。

役職定年を経て、起業。市川さんが東北地方をセカンドキャリアの拠点に選んだ理由

――市川さんの現在の事業について教えてください。

市川さん
東日本大震災で被災した東北地方を中心に事業を行っています。私が経営する会社としては主に企業コンサルやセミナー・研修の開催、中小企業庁や経済産業省系の補助金申請のサポートを行っています。また、官民合同チームである公益社団法人「福島相双復興推進機構」のメンバーとして、震災の被災事業者を対象に経営課題の発見や改善、避難に伴う事業所の移転のお手伝いや各種補助金の申請のサポートなども行っています。

――東北地方で震災で被災された事業者へ向けた活動を主にされている市川さんは会社員として長く勤められ、セカンドキャリアとして現在のお仕事を選択されたそうですね。

市川さん
はい。前々職は日産自動車株式会社(以下、日産)に勤務していました。役職定年というものがあり、日産では原則50歳から55歳頃と定められていました(私の場合は51歳まで課長職を担当)。そして、役職定年後に同社を退職し、福島県川内村の役場へ転職。その後中小企業診断士の資格を取得し、3年の役場での任期を終え、独立。2021年に現在の会社を立ち上げました。

――なぜ、日産定年後に活動の拠点を東北へ移したのでしょうか?

市川さん
会社員時代、私は神奈川県に住んでいました。ですが実家は大阪にありまして、阪神淡路大震災の時に友人や知人が被災してしまったんです。その時の記憶が鮮明に残っていて……。セカンドキャリアではそうした災害や天災によって被害に遭われた人に、何か自分の経験やスキルを活かせる仕事がしたいと思っていたんです。その矢先に起こったのが、東日本大震災でした。そこで役職定年を迎えたタイミングで、2012年頃から東北地方で職を探して、川内村役場での求人を紹介していただきました。その後、現在の会社を作る運びとなったんです。

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会社員なら誰しもが訪れる定年。来たるべきセカンドキャリアとどう向き合うか

※本記事は取材当時の情報を基にしており、団体名、サービス名、法令等が現在と異なる可能性があります。しかし、取材時の想いや状況を正確に伝えるため、内容をそのまま掲載しています。ご了承ください。

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