新卒で通信会社に就職して安定した生活を手に入れながら、独立してバイオリン工作教室を立ち上げた「キットバイオリン教室」の中井里さん。
今回は、“安定”を断ち切ってまで好きなことを仕事に選んだその背景と、独立・起業をするうえで意識したポイントを伺いました。
会社員だった中井さんが、脱サラしてバイオリン製作に情熱を注いだワケ
―まず、バイオリン製作を仕事にするまでの経緯を教えてください。
大学生のときにたまたまバイオリンに触る機会があって、そこから少しずつバイオリンに興味を持ち始めたんです。クラシックのコンサートに行ったり、見よう見まねでバイオリンを弾いたりもしていました。
ただ、当時はまだ趣味の1つでしかなかったので、楽器業界ではなく、大手の通信会社に就職したんです。最初の3~4年間は仕事を覚えたりするのに必死でしたね。
ただ、何年か働いていく中でお客さまの顔が見えない上流工程の仕事に対して疑問を持ち始めて。「何のためにこの仕事をやっているのか?」「世の中のためになっているのか?」と、自分の仕事とやりがいにギャップを感じて葛藤するようになりました。
そのとき、好きだったバイオリンについてネットで検索していたら、楽器製作学校を偶然見つけました。
初めは遊び半分だったのですが見学に行ったら、同世代の人が一所懸命に勉強していて、アメリカ人の先生がいちから丁寧に教えていて、すごく雰囲気がよかったんですね。
その光景が忘れられず、自分の中でもバイオリン作りを仕事にしたいと思うようになりました。
―なるほど。実際に楽器製作を学んでいって、「楽器業界で食べていく!」と決意した決め手は何だったのでしょうか?
決め手は、自分自身の中でバイオリン製作に情熱を感じることができたからです。
今振り返れば、当時は死んだように生きていたなぁと思います(笑)。会社員という安定はありましたが、当時は仕事に対して燃えるものが何もなかったんですよね。
でも、バイオリン製作に対しては情熱が感じられた。
自分の作ったバイオリンを誰かに大切に弾いてもらう。こんなに誰かの役に立ってるなぁと感じることってそう多くないと思うんです。
そのとき実感したんですね。こっちのほうが自分の生き方に合ってるんじゃないか、と。
でも、だからといってすぐに決心できたわけではありません。
安定を捨てて独立することを決意するまでに2~3年ほど悩みました。最終的には自分の手でモノを作りたい。その思いが、安定した生活よりも上まわったということです。
バイオリン製作の厳しい現実と挫折―。それでも諦めきれなかったバイオリンへの想い
―次のステップに一歩踏み出すまでなかなか決心をつけられない人も中にはいると思いますが、実際に行動に移されたことは本当にすごいと思います。
とはいえ生活のことを考えるとかなり勇気がいりますよね。通信会社に勤めながら副業としてバイオリン作りをするという選択肢もあったかと思いますが、両立は考えなかったのでしょうか?
まったく考えてなかったですね。
バイオリン製作を始めたのが当時30歳を過ぎてからだったので、年齢的に遅かったというのもあります。さらに楽器製作というのは職人の仕事ですから、生半可な覚悟や時間の使い方では到底習得できません。
生活は厳しかったですが、楽器関係の仕事以外はアルバイトなども何もやりませんでした。
―失礼ですが、そうなると収入はどこから…?
実際、当時はマネタイズの方法だったり起業後の収入に関しては何も考えてなかったんですよ(笑)。だから始めたばかりのときはそれこそ収入がなかったですね。
学校の先生にも「楽器製作って儲かるんですか?」って習っていた頃に聞いてみたら、「バイオリンは高価なものだから、いい楽器を作って売れれば生活できるよ」と言われたので、ただただその言葉を信じてやっていたんです。
“なんとかなる”と、すごく安直な考えでしたね。
結局、楽器製作家として専業でやっていくのは非常に難しく、3年経ったときに「このままでは生活できない」と、ようやく気づいたんです(笑)。
そこで楽器製作の道は一旦諦めてまたサラリーマンに戻りました。
―え!?再就職したということですか?
はい。もうお金なくて死にそうだったので(笑)。その会社には4年間勤めました。
会社には申し訳なかったのですが、やっぱり私はバイオリン製作に携わりたくって。
ある程度区切りがついたときに辞めさせてもらって、現在に至ります。
―ワンクッション置いたということですね?
そういうことですね。こういうのは人によるとは思いますけれど、二度サラリーマンをさせてもらいましたが、どうしても自分には合わなかった。
バイオリン製作という生計がたてられるか未知数な中でも、やっぱり自分らしい生き方がしたいという思いが強かったんだと思います。
―そして今度はバイオリン製作の「職人」ではなく、バイオリンの工作を教える教室として独立されていますが、それはなぜでしょう?
プロの製作家として食べていくのは無理だと、最初に独立したときに痛感したんです。現在の日本で生計を立てるのは本当に難しい。
そこで2度目の独立では「自分ができることは何だろう?」と考えました。
自分ができること。それはバイオリン製作の技術や知識を活かして、誰でも気軽に楽しくバイオリンに触れられる場所なら作れる。
そう信じて工作教室を開きました。
何度でもやり直せる。自分の直感を信じて、起業してほしい。
―自分のできることで収益につなげるにはどうしたらいいか、という視点で考えたんですね。現在の生徒さんの集客はどれほどなのでしょうか?
そうですね。もちろん工作教室をメインにやっているのですが、収入が0になっては元も子もないので、IT開発の仕事も副業という形で継続してやっています。
そして本業のバイオリン工作教室では、集客の仕方をはじめ、全てがゼロからのスタートでした。
なので最初の頃は折り込み広告をポスティングしたり、駅前でチラシを配ったりと地道な活動を繰り返してきました。
その甲斐あって、起業して3年経ちますが、次回開催される教室で延べ300人ほど来てくださるくらいになりました。
今では、今回のように取材もしていただいたり、ラジオで紹介していただくこともあるので、そうした宣伝効果も大きいと感じています。
また教室に通ってくれた生徒さん方から「自分で作ったバイオリンで弾いてます!」という嬉しい声も届くので、やっていてよかったなと思いますね。
―着実に実績を積まれているんですね。今後の課題や挑戦したいことはありますか?
私の工作教室では、バイオリンを作ることがメインで、演奏はあまりタッチできていないんですね。
なので、「楽器製作+演奏」という一貫の流れで楽しんでいただくために、ほかの音楽教室や楽器屋さんと連携して、一貫したビジネス形態を作っていきたいですね。
また、楽器の工作教室はそう多くありません。たくさんのお子さんや大人の方に実際にバイオリンを触ってもらって、新しい気づきや興味を持ってもらいたい。
バイオリン工作教室がそんな1人ひとりの可能性を広げるような入り口になっていければと思っています。
―ありがとうございます。最後に、これから独立・起業を考えている方たちに向けてメッセージをお願いします。
私がそうだったように、「これが自分らしい道なんじゃないか」という直感があったら、それを信じてほしいなと思います。やはり、後悔だけはしてほしくないので。
それと、今とはまったく違う世界で起業するならば、その新しい業界の調査や事前準備はしっかりやっておいたほうがいいですね。
たとえば、その業界で働いている知り合いに「仕事の内容は?」「どうやって生計を立ててるの?」と聞いて、それを自分に置き換えたときに大丈夫かどうかシミュレーションしておけば、独立してからある程度余裕は持てると思います。
自分のやりたいことに正直に、人生は何度でもやり直せるので希望を持って独立を考えてみてください。
(取材・文=佐藤主祥 https://twitter.com/kazu_vks)