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3回独立したWebディレクター。裁量と責任を天秤にかけて、僕はフリーランスを選びたかった

3回独立したWebディレクター。裁量と責任を天秤にかけて、僕はフリーランスを選びたかった

会社に勤め続けるか、それとも独立するべきか……。とても重要な選択ですが、やれることをやり切ったなら、自らの力で新しい世界に挑戦しても良いはず。

三重県でフリーランスのWebディレクターとして働くあいばたいきさんも、新しい環境で挑戦を繰り返してきました。

なんとあいばさんは、大学卒業から現在に至るまで就職と独立を3回も繰り返しているそうです。

なぜ彼は幾度も独立を繰り返したのか。過去から現在に至るターニングポイントを伺いました。

<プロフィール>
あいばたいきさん
東京出身。7年間の沖縄移住を経て三重県津市へ。
沖縄移住応援WEBマガジン『おきなわマグネット』元編集長。神社メディア『sanpai.』運営。

個人事業主として、Webデザイン・マーケティング・他制作ディレクションなどを行うかたわら、年間200社ペースで全国の神社を参拝する。

ファーストキャリアはフリーランス。コンサルティングの会社を経て、沖縄のWeb制作会社へ転職した

――はじめに、あいばさんの職歴を教えて下さい。

あいばさん
実は昔から独立志向が強くて、大学の卒業直後は就職せずにフリーランスになりました。

当時は「ノマドワーカー」という言葉が生まれた時期で、その憧れから「就活せずに独立しよう」と決めたのです。

しかし、ノンキャリアで上手くいくはずもありません。スキルや経験がなければ商談の機会すら得られない。

当たり前のことですが、個人事業主の厳しさをこの時期に思い知りました。

「まずは腕を磨こう」と就職したのは東京にある経営コンサルティングの会社です。

入社したのは再び独立するために経営スキルを学びたかったから。仕事も忙しかったけれど充実した日々を過ごし、社会人としてひと通りのことを学んで退職しました。

退職後は沖縄のIT企業へ転職。その会社は前職の取引先で、沖縄の事業所で人を募集していることを知って、入社を決めました。

――沖縄とはずいぶん遠方ですね!なぜ移住を決意したのでしょう?

あいばさん
僕は学生時代に地域活性を取り扱うメディアをお手伝いしていて、いずれ自分も地方に移住してみたいと思っていました。

沖縄には何度も足を運んでいて、向こうで生活する姿がイメージできていたので、移住してみようと思えたのです。

現地では主に、沖縄の自治体や観光協会などから発注を受けて、ホームページやアプリの制作をしていました。

入社当時は営業やプランナーとして企画提案する毎日でしたが、小さな会社だったので、次第に進行管理など、制作のディレクションも兼任するようになりました。

特に熱心に取り組んでいたのがWebデザインです。昔から美術館に行くのは好きでしたし、デザイン誌やカルチャー誌を読むことも好きだった。

だからデザインの素養はあったんです。幸い知人にクリエイターが多かったので、自分にできないことは相談をし、「あれもできる、これも試せる」と楽しみながら技術を習得していきました。

沖縄で営業・制作もこなすディレクターへ成長。会社も楽しかったけれど、それでも僕は独立したかった

あいばさん
沖縄の会社には2年間在籍して、僕は再び独立を決めました。

当時は営業から制作のディレクションまで幅広く担当していましたし、友人のクリエイターさんやその制作会社さんが外部パートナーになっていた。

独立してもやっていける自信があったし、自分で案件を受注すれば裁量が大きくなり、パートナーさんにもより良い条件で働いてもらえます。

そういうわけで、独立後はフリーランスとして受注制作をしていました。

――その後、現在の働き方に至るのでしょうか?

あいばさん
実はその後、もう2回ほど就職しているんです。なので、僕は計3回、入社と独立を繰り返しています。

再就職の経緯を話すと、フリーのWebディレクターとして働いていた当時、転職サイトを運営するWeb制作会社からスカウトをいただいたんです。

その会社は県内最大手の制作会社で、どのようなノウハウを抱えているか気になっていました。

リニューアル予定だった転職サイトのコンセプトも、「労働条件ではなく、どのような人と働くか」を重視していたので、当時の僕の価値観と合っていた。

そこで、転職サイトの事業ディレクターとして入社したのです。

しかし、その会社にはあまり長く在籍しませんでした。転職サイトのリニューアルを終えてしばらくすると、サービスを持続的に運営するために運営方針を変えることになったのです。業績を上げるために「掲載数を県内No.1に」と方針が変わり、コンセプトはおざなりになってしまいました。

社としては売り上げを伸ばし、他事業も支えるサービスにしたかったようです。チームとしては最善の方向転換だったと思います。

ただ、個人的にはとても納得ができませんでした。

会社として進むべきことと、個人の価値観が違うということは誰でも感じたことがあると思います。僕は忖度したくなかったので、退職を決めました。

その後、東京にある別の会社で、サービス開発のディレクターとしてリモート勤務した後、独立に至ります。

――あいばさんは、なぜ3回も独立を繰り返したのでしょう?

あいばさん
僕が仕事のなかで一番モチベーションを感じているのが、クライアントやサービス利用者の課題解決です。

会社にいると、時に自社の都合で判断が左右されます。会社員として当たり前のことですが、僕は自分が信じる価値観でなければモチベーションを保つことができません。

クライアントの課題をできる限り親身になって解決したいから、自分の決断や選択に責任が取れる環境を選びたかった。

他方、クリエイターさんに仕事を依頼することも多いので、彼らに良い条件で働いてもらいたいという思いもありました。

会社勤めだと予算はもちろん、会社の方針と照らし合わせて「頼みづらいな」と感じる時もあった。

お互いが気持ちよく仕事をするために、裁量は大きい方が良かったのです。

独立すれば、仕事のなかで起こる全てを自分で決めて、責任を持たなければいけない。

とても厳しい世界ですし、会社員として与えられていた環境と裁量以上のこともしなくてはいけません。

それでも裁量と責任を天秤にかけて、僕には個人事業主が向いていると思っています。

新しい環境を求めて三重県へ。“伝統的なものづくり”を支援するWeb制作会社として再スタート

あいばさん
3回目の独立を決めて立ち上げたのが、今も続けているWebマーケティングの会社です。

この会社は、今は亡き祖父母の家がある三重県の津市に拠点を構えています。

空き家になっていた家に移住して、愛知や岐阜などの東海エリアを中心にものづくりをしている企業さんのWEBマーケティング施策をお手伝いしています。

――あいばさんは沖縄に住んでいた時期が長いですよね? 住み慣れた土地をなぜ離れようと思ったのでしょうか。

あいばさん
沖縄を離れたのは、異なる環境に身を置きたかったから。沖縄は島なので人材の母数が限られています。

その分、知り合い同士で仕事を紹介しあって経済が回っていることが多い。

仕事をいただけることはとても幸せでしたが、向こうで働くなかで「このままでいいのだろうか。もっと様々な企業さんの課題を、様々な方法で解決できるようになりたい」という思いが強くなっていきました。

加えて、もともと日本の工芸や文化が大好きで、仕事の方向性を変えて「伝統的なものづくりを支援したい」と思い始めていた。

ちょうど三重に祖父母の家があり、東海や関西には歴史がある企業がたくさんありました。だから拠点を移したのです。

三重に移ってからは、企業のブランディングやサイト制作を一手に引き受けています。

時には経営理念やミッションを決めるために壁打ち役にもなりますし、予算に応じて可能な範囲でWebマーケティングを行うこともあります。

ちなみに、会社の立ち上げから今まで、口コミでお客さんを紹介してもらえているので、営業はしたことはありません。

――すごいですね。なぜ営業せずに続けられているのか。その秘訣を教えてもらえないでしょうか。

あいばさん
秘訣は初期提案にすごく力を入れること。

どのようなサイトを作るかはもちろん、お客さんの課題を解決するために、サイトリリース後の運営方法や、そもそもサイトを作ることがベストな解決策なのかを一緒に考えています。

お客さんも予想以上の提案をされたら嬉しいと思いますし、サイトを作った後の動きも見えるので発注しやすい。

提案時に「サイトができた後の未来」をしっかり見せることがリピートや紹介につながっているのでしょう。

仕事のかたわら好きが高じて。神社と旅のWebマガジン『sanpai.』を立ち上げた

――あいばさんは、お仕事のかたわら『sanpai.(サンパイドット)』というWebマガジン(インスタグラムマガジン)を運営しています。神社をテーマにしていますが、なぜマガジンを立ち上げたのでしょうか?

あいばさん
神社は小学生の頃から好きだったんですよ。街を歩いて鳥居を見つけると寄り道して、写真を撮り、境内の雰囲気を楽しんでいました。

大人になってからも大都市に出張するたび、大きな神社に寄り道して、よくお守りも買っていました。

メディアを立ち上げたきっかけは、三重県の伊勢志摩にある安乗神社(あのりじんじゃ)のお守りです。

現代的なデザインでサメが描かれていて、すごく可愛いんですよ。

――とてもおしゃれで、雑貨みたいな雰囲気ですね。

あいばさん
見つけた時は驚きましたね。「こんなお守り見たことない!」って。

他にもあるんじゃないかと探してみると、面白いデザインのお守りや御朱印帳などを次々見つけることができた。

「これならコンテンツになるはず」と思い立ち、インスタグラムに投稿し始めました。

――将来的にはsanpai.をどのようなマガジンにしていきたいですか?

あいばさん
まだ2019年に始めたばかりのマガジンですが、将来的には「神社に参拝する旅」を広めていきたいです。神社って意外と旅行の目的にはなっていなくて、旅行先を決めてから、「近くに神社があるから行ってみよう」と考えるケースが多いと思います。

全国に神社は約8万社あるんです。それぞれに歴史や由来があり、そこに関わる人がいるので、行く前に知っていればより楽しめる。

全国各地の自治体も観光施策に力を入れてますが、「神社旅」という旅の楽しみ方をしっかりと作り込めば、全国どの地域でも観光資源として活用できると思います。

今は御朱印ブームで神社に足を運ぶ人は増えましたが、それはごく一部の話。

知る人ぞ知る神社はご寄進(神社を維持するために行われる寄付)が集まらず、資金難に陥っている。

いずれは、地方の少子高齢化や文化の衰退が原因で起きている、氏子不足などの課題も解決できればと思っています。

――最後に、独立を考えている読者の方へメッセージをお願いします。

あいばさん
読者さんへのメッセージですね。経験則から言えるのは、「まず会社でやれることをやり切ること、そのうえで進みたい方向へ進んでみよう」でしょうか。

独立後は自分のスキルや経験が業績に跳ね返ってきます。

「会社が嫌だから個人事業主になろう」と独立しても、長くは続かないはず。まずは社内で身に付けられるものを身に付け、それでも実現できないことは独立して挑戦すれば良いと思います。

会社に勤めるメリットは沢山あります。でも、会社の方針に文句やケチをつけたくなる時がありますよね。

けれど自分でやってみると、不満を抱いていた経営者の気持ちがとてもよく分かるはずです。

僕は独立を繰り返したから、社員と経営者の両者の気持ちがよく理解できます。

だからこそ、会社員としてチームの力になりたいと思いながらも、3回の独立と就職を繰り返したのです。

独立は、仕事仲間や友人などの出会いにもプラスの影響を与えてくれます。個人事業主をしている時は不思議と良い出会いが多いんです。

自分でアンテナを張って、「これがやりたい」「面白い」と思う方向へ動いていける。だから、そこで出会う人々は、今の関心に合った人なのかもしれません。

独立すれば、自分で選んで、決めて、責任を持てます。厳しい世界ですが、向いている人にはとことん楽しい環境になるはず。

少なくとも僕は今、そう感じています。

取材・文=鈴木 雅矩

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