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1つに絞れないなら、中途半端を極めればいい。元総合格闘家・佐藤ルミナが貫くプロの流儀

1つに絞れないなら、中途半端を極めればいい。元総合格闘家・佐藤ルミナが貫くプロの流儀

プロフェッショナル。

その道を極め、専門性を磨き上げた"職人"のことをそう呼びます。

今回お話を伺った、元修斗環太平洋フェザー級王者の元総合格闘家・佐藤ルミナさんもそのひとり。

その躍動感にあふれたアグレッシブなファイトスタイルから“修斗のカリスマ”と呼ばれ、総合格闘技のパイオニア的存在として知られています。

格闘技に人生の全てを捧げてきたように思えるルミナさん。ですが本人は「道を極めることは、1つのことに絞ることではない」と言います。

それは一体どういうことなのか。格闘技以外にも、その道を極めたものがあるのでしょうか。

今回は、自身の格闘技人生を振り返ってもらいながら、その真意に迫ります。

<プロフィール>
佐藤ルミナさん
元修斗環太平洋フェザー級王者の元総合格闘家。

1994年11月に総合格闘技「修斗」でプロデビュー。 その躍動感にあふれたアグレッシブなファイトスタイルと破竹の連続一本勝ちで“修斗のカリスマ”と呼ばれる。

2005年から神奈川県小田原市内で総合格闘技(修斗、柔術、MMA)が学べる日本修斗協会公認オフィシャルジム「roots」を経営。

また「おしゃれな格闘家」として、数々のファッション誌にモデルとして登場。趣味であるサーフィンなどのサブカルチャーでも取り上げられ、格闘技のプラスイメージに一役買った。

2012年に現役引退を表明し、2014年に引退セレモニーを行った。現在は、一般社団法人日本修斗協会理事長及びアマチュア修斗委員会委員長として、総合格闘技のスポーツとしての普及に尽力している。

「世界中に修斗の文化を広めたかった」。佐藤ルミナが総合格闘家を志す“原点”


ー現在に至るまでの経緯を教えてください。

ルミナさん
僕は小学生の頃、父がサーフィン(ウインドサーフィン)やカヤックが好きだったこともあって、アウトドア中心で遊んでいました。ナイフ1本だけ持ってキャンプに行ったりして、危険に対するサバイバル技術や護身術を会得することが好きだったんです。

そういう観点からも格闘技は好きだったので、テレビでよくボクシングや相撲、柔道などの試合を見ていました。

ただ、どの競技に対しても少し物足りなさを感じていて。

ボクシングだったら、選手同士が接近し過ぎたり、組み合ったりするとブレイクを命じられて離されるじゃないですか。相撲や柔道も基本は組み合う状態だけで打撃が無いですし。

もちろんそれは、それぞれの競技ルールがあるので当たり前のこと。ですが本来の「戦い」って、誰にも止められることなく、自由に殴り合ったり、取っ組み合いのケンカをするようなイメージ。だから「(殴る・蹴る・相手を固める技を)全部やればいいのに」って思っていたんです。

当時ブームだったプロレスは「全部できる」のですが「観客をいかに盛り上げるか」というエンターテインメント要素が強いので、ちょっと違うな、と。

プロレスにさらに格闘技の要素を取り入れて、かつ競技性を高くすれば、絶対に流行るだろうなって漠然と思っていましたね。

そして高校生のとき、ついに僕の理想とする競技と出合うことができました。それが「シューティング(現・修斗)」という総合格闘技団体です。

ー修斗というのは、具体的にどのようなものなのでしょうか?

ルミナさん
修斗は、元タイガーマスクの佐山聡先生が新日本プロレスを退団した後、1984年に創設した総合格闘技団体です。

打撃、投げ技、極め技(関節技)などさまざまな攻撃法が使える、という基本的なルールは、現在数多くある他の総合格闘技団体と同じですが、大きく異なるのはコンセプト。

身体や技術だけではなく、人としても成長していくことを目指しているんです。競技を通じて心技体を鍛える武道の精神を学ぶことができるのも、修斗の魅力の1つですね。

ーそういう武道教育のあり方は、世界の格闘技のルーツとしてあるように感じます。ルミナさんは小さい頃から思い描いていた、全ての格闘技を組み合わせることができ、「プロセスなしの真剣勝負」が可能な修斗だからこそ、すぐさまのめり込んでいったわけですね。

ルミナさん
はい。まさに何でもありの競技なので、すごく新しい可能性を感じたんですよ。

でも当時はまだ総合格闘技の知名度は低かったですし、ジムなんて日本中探しても10軒とない。そもそも総合格闘技という概念が全然広まっていなかったんです。

だったら「俺がこのカルチャーを世界中に広めよう」と。

もう修斗を見つけた瞬間に「これは絶対に世界で流行る!」って確信を持っていましたから、この競技を新たな格闘技の文化として根付かせるためにも、迷うことなく「プロとしてこの道で食っていこう」と決めましたね。

今振り返ると、なんでそんなに自信があったのかわかりませんが(笑)、神の啓示でも受けたかのように、ふっと降りてきたんでしょうね。

自分は生涯を懸けて、修斗に携わっていくと。

本当に好きだからこそ、あえて身を引く。次世代にバトンをつなぐために

ー学生の頃から先見の明があることがまずすごいですし、まだ当時プロ選手もいなかった修斗で生きていくことを決める、高い「決断力」と「行動力」には驚かされます。その後、どのような流れでプロとしてデビューされるのですか?

ルミナさん
まずは本格的に格闘技を学ぶ必要があったので、高校卒業後に、レスリングと総合格闘技の名門「木口道場」に入門しました。1970年の創設当初はレスリング道場だったのですが、1986年からは修斗の選手育成も行っていたので。

ただ、当時はまだ練習方法が確立されていないこともあり、自分たちでメニューを作るしかありませんでした。

総合格闘技は、世界中のさまざまな格闘技の要素を取り入れることができるので、自分たちで「どういう技術が修斗に適しているのか」研究しながら技を編み出し、練習に打ち込んでいたんです。

でも、それがめちゃくちゃ楽しかった。

自分たちで開発し、新しいものを生み出していく。そういった技を自分たちで作り上げていくワクワク感が、もうたまらなく好きでしたね(笑)。

そして約3年間、アマチュアで実績を積んだ後、1994年11月に念願のプロデビューを果たすことができました。

試合を重ねるうちに、どんどんお客さんが増えていくのがわかりましたね。

会場の入り口には行列ができて、試合中は立ち見客まで出るようになり、物販も展開され始めて。1つの文化が日本にブワーッと広がっていくのを肌で感じました。

ールミナさんの活躍が、総合格闘技ブームの火付け役となっていったわけですね。

ルミナさん
ありがたかったです。僕は自分が強くなりたいというよりは、競技を盛り上げたいという気持ちでリングに上がっていましたから。

ただ、さらに修斗を普及させていくためには、次世代の選手輩出は必要不可欠。なので2005年、地元の神奈川県小田原市に総合格闘技ジム「roots」を設立しました。

ルミナさん
本当は現役引退後に開業する予定だったのですが、友達から「小田原にいい物件があるよ」って誘われて。実際に見に行ってみたら、開業後のイメージが湧き出てきたので「よし、やってみるか」と。

それからは、週3日で当時住んでいた東京と小田原を行き来する生活が続きましたね。2008年には、結婚して子どもが生まれたこともあり、完全に小田原に拠点を移しました。

ー後進の育成にも当たるようになって、若手の台頭というのは感じられましたか?

ルミナさん
感じましたね。やはり修斗ができた当初と比べれば競技人口は増加傾向をたどり、ジムの数も圧倒的に増えました。修斗協会のオフィシャルジムだけでも100を超えていますから。

若手も育ち、世界的に活躍する選手も続々と出てきたので、僕はそろそろ身を引こうと、リングを降りることを決意しました。引退試合を行ったのは2012年の12月。38歳の時です。

ー引退の理由としては、やはり年齢的にも体力的にも限界だったからなのでしょうか?

ルミナさん
いえ、だいぶ前から「こいつに勝ちたい」「もっと強くなりたい」というプロ選手として持つべき向上心がなくなっていたからです。

正直、プロデビューしてからの最初の10年間でやり尽くした感はあったかもしれません。

ーそれでも現役を続けていた理由というのは?

ルミナさん
やはり修斗をしっかりと1つのスポーツとして定着させたかったからです。

たとえモチベーションが低下してしまったとしても、競技普及の使命感というか、「なんとかしなきゃ」っていう想いが強かった。

ただ、選手としては結果を出せずにファンに対しては申し訳なかったのですが…。

でもようやく若手が伸び始めてきたので、老害化して現場に残り続けては次世代選手の活躍の場を奪ってしまいますから、引退して業界の新陳代謝を行おうと。

やろうと思えばもしかすると続けられたかもしれません。ですが、修斗が本当に好きだからこそ、あえて身を引く決意をしたんです。

波乗りがつなげた「縁」が、修斗を救った? サーフィンと共に歩んだ格闘技人生の裏話

ースポーツ界でもビジネス界でも、往々にして「現役として残り続けたい」と思う方が多い気がするのですが、自ら身を引く勇気の大切さをすごく感じました。引退後はどのような活動をされているのですか?

ルミナさん
2015年から日本修斗協会の理事長及びアマチュア修斗委員会の委員長を務めているので、現役時代と同じく修斗の普及活動を行っています。

プロ競技として発展させるというより、アマチュアを全国に普及していきたい。そういう考えで各地を飛び回っていますね。

でも本当は、毎日サーフィンがやりたいんです(笑)。

ーサーフィンですか!?(笑)。

ルミナさん
実は僕、競技生活の傍、20歳ぐらいからサーフィンをやり始めていまして。現役中はあまり波に乗れていませんでしたが、引退後は時間さえあれば海に行っています。

そもそもの話、僕が総合格闘家として注目され始めたのは、サーフィンがきっかけだったんですよ。

ーというと?

ルミナさん
当時の格闘技界って、競技と一緒にサーフィンもガッツリやっているような選手はいませんでしたから、総合格闘家としてよりも、サブカルチャーの分野で取り上げられることが多かったんです。

すると「インスピリット」というオリジナルブランドを販売している企業の社長から連絡がありまして。その方もサーフィン好きで意気投合したことから、競技活動をサポートしてくださったんですよ。

それ以降、波乗りが好きなすごい方々とのつながりが広がって、サーフィンが好きな総合格闘家としてさらにフィーチャーされるようになりました。

ー修斗だけではなく、サーフィンとも一緒に競技生活を歩まれていたのですね。

ルミナさん
僕の人生からは切っても切れない大切な存在です。

2000年代に入って、修斗の運営が少し厳しい時期があったのですが、その時も当時一社提供のサーフィン番組を持っていたクリムゾン(現・新都ホールディングス)というアパレル企業の社長がスポンサーについてくれまして。

「クリムゾン・プレゼンツ」として修斗のプロ大会を数年にわたって開催してくださったんです。

このご支援がなければ、今の修斗はなかったかもしれません。

ー波乗りがつなげた「縁」が、総合格闘技界を支えてくれたと言っても過言ではないわけですね。

ルミナさん
その通りです。

今もサーフィンには情熱を持って取り組んでいますし、日本中にたくさんの波乗り仲間がいます。その全てのつながりは、僕にとってかけがえのない「財産」なんです。

だから僕は総合格闘家でもありますが、“総合波乗家”でもあるわけです。他にもカメラを趣味にしているので、“総合写真家”でもありますね(笑)。

基本的に好きなことに対してはこだわりを持って取り組んでいますし、1つのことに絞って極めていこうとは思いません。

はたから見れば中途半端に見えるかもしれませんが、好きなことが2つあれば2つ、3つあれば3つ全てを全力で磨いていって、“中途半端を極めていく”。

それが僕の「総合」の流儀なんです。

修斗にしても、サーフィンにしても、好きなことを継続して極めてきたからこそ、今の自分が形作られているわけですから。

今後も新しくて面白そうなものを見つけたら、すぐに飛びついてチャレンジすると思います(笑)。それが修斗を始めた時から変わらない、僕の人生のスタイルなので。

たとえ失敗しても、いつか笑える日がくる。だから後悔のない挑戦を

ー今後の展望をお聞かせください。

ルミナさん
もっと波に乗りたい…という願望はありますが(笑)、やはり修斗の普及活動はさらに力を入れてやっていきたいと思っています。

それをこれから10年と続けて、今以上に競技の知名度が高まれば、いずれ自分に返ってくるので。

というのは、もし今後10年以内に孫が生まれていたとして、修斗が人気競技だったら、僕が元修斗環太平洋フェザー級王者なのを知れば「おじいちゃん、すげー!」ってなるじゃないですか(笑)。

でも逆に、修斗の人気が低迷して競技自体がなくなっていたら、孫に自慢することができなくなる。

そうならないように、メジャー化までとは言いませんが、修斗が身近にあることが当たり前のスポーツになるまで発展させたいんです。

なのでジムで選手の育成をしつつ、日本修斗協会を通じて積極的な競技普及活動をしていきたいと思っています。

ー最後に読者に向けてメッセージをお願いします。

ルミナさん
好奇心を抱いたことには、その気持ちに素直になってチャレンジしていただきたいです。たとえ失敗したとしても、後悔は残らないと思うので。

僕の現役時代は、常にアグレッシブなファイトスタイルが主だったのですが、その積極的に攻める姿勢が裏目に出て負けたりとか。そういう試合がけっこう多かったんですね。

安定した成績は出せませんでしたが、記録よりも記憶に残るような試合はできたんじゃないかとは思っています。

だから今、選手人生を振り返っても後悔は全くなくて。逆にそのたくさんの負けが気持ちいいぐらいに感じています。

たまに自分の試合を見返してみても、笑っちゃったりしますしね(笑)。

踏ん切りをつけることは難しいかもしれません。ですが、チャレンジして、納得いくまでやり切れば、いつか必ず笑える日がくるはずです。

もし何か挑戦したいことがあれば、その日がくることを信じて、一歩踏み出してみるといいのかもしれないですね。

取材・文=佐藤主祥
編集・撮影=内藤 祐介

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