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「どうせ俺なんて」とは言わせない! 中北朋宏が芸人セカンドキャリア支援を始めたワケ

「どうせ俺なんて」とは言わせない! 中北朋宏が芸人セカンドキャリア支援を始めたワケ

実現に向けて、強く願った夢や目標が叶わなかったら。
あなたはどうしますか?

時間もお金も情熱も、全てを注ぎ込んだにも関わらず、夢や目標が叶わず挫折した。きっと、目の前が真っ暗になって、ある種の「人生の終わり」を感じてしまう人も少なくないでしょう。

今回お話を伺ったのは、株式会社俺・代表の中北朋宏さん。

中北さんは、大学を中退し芸人として6年間活動した後、人事コンサルティング会社に就職しました。

お笑い芸人という道を諦め、やっとの思いで就職したかと思えば、仕事内容は分からないことだらけ。しかしあるきっかけの後、社内でトップセールスを記録。ついには会社から独立し、起業も果たしました。

一体、中北さんに何が起こったのでしょうか。今回は中北さんのキャリアを振り返るとともに現在手がけるサービス『芸人ネクスト』について、伺いました。

【中北朋宏さん プロフィール】
大学中退後、浅井企画でお笑い芸人として6年間活動。その後、人事コンサルティング会社での営業、スタートアップベンチャーでの人事責任者を経て、2018年2月9日に株式会社俺を設立。

「夢諦めたけど人生諦めてない人のために」をコンセプトとして、お笑い芸人に特化した転職支援「芸人ネクスト」の他、「コメディケーション」をテーマとした企業研修を展開。

「会社員なんてダサい」そう思っていた。―芸人から就職へ。逃げ腰だった自分を救った兄の存在

ー中北さんはいつ頃から芸人になりたいと思っていたのですか?

中北さん
小学2年生の頃から「芸人になりたい」と明確に思っていました。

小学校で給食を食べる時、牛乳を口に含んだ友達を笑わせるのが好きだったんですよ(笑)。

毎日同じネタの繰り返しじゃ笑ってくれませんから、学校の帰り道でネタを考えたり、当時テレビで放送されていた吉本新喜劇を参考にして「明日はどう笑わせようか?」と考えていました。

そんな少年時代だったので、将来の夢は当然、芸人以外ありませんでした。

ー芸人は幼い頃からの夢だったのですね。

中北さん
はい。高校時代の時から漫才コンビを組んでいて、その相方の誘いで大学に進学したんですが、やっぱり本格的にお笑いを勉強したいと思い、大学は中退して、吉本総合芸能学院(以下、NSC)に入所しました。

ーNSCに入所後、吉本興業の芸人にはなられていないようですが…?

中北さん
吉本興業という会社は、芸人の層がものすごく厚いんです。NSCを卒業するタイミングで吉本興業に所属できるのは、ほんの一握りですし、仮に所属できても何期も上の先輩が、まだ前座でも出られていない、という状況もざらにありました。

「いくら自分の実力を磨いたとしても、さすがにこの中で順番待ちをするのは厳しいだろう」と思い、外へ出ていくことを決めました。

いくつかオーディションを受け、所属することになったのが、浅井企画という事務所でした。

ー芸人としてはどれほど活動されたのでしょうか?

中北さん
6年間活動しました。

もともと「30歳までにテレビで活躍する」と目標を決めて活動していたのですが、一向に芽が出ず、さらには僕の目標への意識と、当時トリオだった他のメンバーとの意識の間に、溝ができてしまい、解散することになりました。

こうして、芸人としての限界を感じ、お笑いの道を諦めて就職することにしました。27歳の時です。

ー27歳にして初めての就職活動。辛くなかったですか?

中北さん
そりゃめちゃくちゃ辛かったですよ。

今までずっと、芸人という目指すべき目標を持って生きてきたのに、その目標がなくなってしまった。その喪失感は大きかったですね。

「自分には生きている意味はあるのか? 何のために生きているのか?」と、何度も自問自答しました。

ーその状況をどう乗り越えたのでしょう?

中北さん
助けてくれたのは兄でした。

兄はとても変わった人で、これまでに30社以上リストラされているんです。

逆に言えば、それって30社以上内定をもらっている、ということの裏返しなんですよ。

そんな兄は「就職なんかムッチャ簡単だ。自分をうまく見せるだけだ」と言って、面接のやり方などを教えてくれました。

ーもはやお兄さんは「就職のプロ」とも言えますね…!

中北さん
そうなんです。

兄は僕に「お前は将来社長になる人間や。お前は天才や」と、めちゃくちゃしつこく言うんです。

ほんと、信じられないくらい毎日毎日「お前は天才や! お前は天才や!」と言ってくるので、夢を諦めて凹んでいたのにも関わらず「ひょっとしたら自分は天才なんじゃないか…?」とよく分からない自信すら出てきました(笑)。

ー中北さん以上に、中北さんを応援してくれるお兄さんの存在は、大きかったんですね。

中北さん
はい。

芸人を始め何か一芸で夢を追いかけている人、全般に言えることですが「自分は普通の社会人とは違う。社会人なんてダサいよ」と、心のどこかで思っているところがあるんです。

そんな自分が社会人になる、ましてや社会人になってうまくいかなかったら、こんなにかっこ悪いことってないですよね。

僕もまさにそうだったように、就職には逃げ腰になっている芸人が多いんです。

でも兄は違いました。

僕が僕を否定する以上に、兄は僕を肯定してくれたんです。

そんな兄のアドバイスの甲斐もあって、27歳にして初めて就職できました。

できる人のマネを徹底的にする。芸人時代に培ったスキルを活かして、トップ営業へ!

ーどんな会社に就職したのでしょう?

中北さん
人事コンサルティングの会社に就職しました。

芸人として活動していたこともあり、自分の仕事を通じて、人に対して何かしらの価値提供ができる会社に入りたいと思い、人事コンサルティングの会社を受けようと思ったんです。

ですがこれまで社会人経験もなく、芸人とアルバイトしかやってこなかった僕にとって、人事コンサルティングの会社に入るのはなかなか至難の業で。

最初、ある転職支援会社の人に「人事コンサルティングの会社ってありますか?」と聞いてみたら「あなたの経歴で紹介できるわけないじゃないですか」と笑われましたから(笑)。

ーそれは…なかなか厳しい対応ですね。

中北さん
その時「どうしてこの人は、夢を諦めてまで新しい道を進もうとしている僕に、まるで人生まで諦めさせるようなことを平気で言うのか?」と、ものすごい頭にきたんです。

そこで、転職支援会社にはリストだけもらって、後は自分で片っ端から電話して、面接の申し込みをしました。

ーものすごい行動力ですね。

中北さん
もちろん面接を断られたり、面接を受けても落とされる会社がほとんどだったんですが、ある人事コンサルティング会社の面接官で、お笑い好きの方がいて。

僕の経歴と人間性をとてもおもしろがってくれたんです。

役員たちからの反対もあったそうですが「自分が責任を取るから、中北を採用したい」と、その面接官の強い後押しのおかげで、なんとか1社目に営業職として入社することができました。

今振り返れば、兄に続く2人目の恩人ですね。

ー初めて会社で働いてみて、どうでしたか?

中北さん
とにかく分からないことだらけでした。

スーツなんてコントでしか着たことがないし、パワーポイントなんて触ったことがない、エクセルは見たこともない、名刺交換はしたことがない、会議で使われている言葉の意味も全然分からないから、議事録も取れない。そんな状況です。

「KPI? PDCA? なにそれ?」みたいな(笑)。

ー芸人からいきなり会社員ですからね、それは大きいギャップがあると思います。

中北さん
そうなんです。営業に出ても、お客さんと仲良くはなれるんですが、売れないんです。

そもそも当時の僕は、自分の会社の「仕事の基本」が分かっていませんでした。

どんな商材があって、どんな相手に、何を提案して売らなきゃいけないのか、そんな当たり前のことが分かってなかったんですよね。

まるで「足し算が分からないのに、掛け算の問題をやらされている」ような感覚がありました。

ーその状況からどのようにブレイクスルーしたのでしょうか?

中北さん
自分の課題を知ること、から始めました。

まず自分の売れるものは何なのか、どんな相手に何を提案して売らなきゃいけないのかを整理する。

そして整理したら、自分にとって必要な知識を片っ端から頭に叩き込みました。

それから、仕事ができる上司や同僚の「完コピ」にも力を入れました。できる人がどういう思考で、どういうやり方でお客さまへ提案するのか、徹底的にマネしました。

こどもの頃から吉本新喜劇を見てマネをし、大人になってからはプロの芸人として、売れている芸人のネタの構造や「間」のとり方を研究してきました。

そこで培った、お手本となる人をよく観察して、自分なりに流用することを、営業の仕事でも実践してみたんです。

そうしているうちに、ロジカルに考えることができるようになってきました。

今思えば、ネタを作る時は「どうやって笑いを作り出すのか?」だけを、論理的に突き詰めて考えていました。

そんな風に「顧客は何を求めているのか?」だけをシンプルに考えるようになると、顧客に刺さる提案が徐々にできるようになりました。

ー結果はどうでしたか?

中北さん
びっくりするくらい業績が良くなり、ついには社内のトップセールスを達成することができました。

入社前に唯一僕のことを買ってくれた、面接官だった先輩に「中北を採用した僕の目に狂いはなかった」と言われた時は、涙が出るくらい嬉しかったですね。

「どうせ俺なんて」とは言わせない。『芸人ネクスト』にかける想い

ー「株式会社俺」では、芸人のセカンドキャリアを支援するサービス『芸人ネクスト』を展開されていますが、これはやはり中北さん自身が、お兄さんや先輩のような存在になりたい、ということなのでしょうか?

中北さん
そうですね。

芸人って、社会人経験こそはないかもしれないのですが、社会人にとって必要なスキルを持ち合わせているケースって結構多いんですよ。

その場を盛り上げるトーク力だったり、相手の懐に入る力だったり、構造的な仕組みを見極める力だったり、目標に向かって突き進む力だったり。

元々の能力を、一般社会の企業向けにきちんとカスタマイズすることができれば、何かの事情で芸人をやめざるを得なくなっても、きちんと転職して会社員生活を送ることってできると思うんですよね。

とはいえ多くの芸人は、僕がかつて抱いていたようなプライドだったり、「どうせ俺は普通の会社員なんてできない」と思い込んでしまう節があるんです。

だから、お笑いの道では活躍しきれなかった芸人たちが、ちゃんと転職できるようにするサービスが必要だと考えました。

ー元芸人である中北さんならではのサービスですね。

中北さん
僕自身、芸人を諦めることになった時、相当落ち込みましたし自信を失いかけました。

これから社会でちゃんと生きていけるのか、という不安と戦う毎日から救ってくれたのが、僕にとって「人生最大の応援者」である兄や上司だった。

ならば今度は、僕が芸人たちにとっての「人生最大の応援者」になりたいと思っています。

そのためにまずはWordやExcel、名刺交換のルールといった、社会人としての基礎的なスキルを取得しつつ自信を回復してもらい、その上で社会というステージで、自分のやりたいことを探していけるような仕組みを作っています。

ー企業の元芸人の採用ニーズはあるのでしょうか?

中北さん
ありがたいことに営業職を中心に、多くの企業から問い合わせを頂いています。

とはいえ、問い合わせをいただく全ての企業にご紹介しているわけではありません。

その企業と芸人との相性には特に気を遣っています。すでに一度、夢破れた芸人が、最初の就職先を失敗することほど精神的にこたえるものはありませんから。

https://ore.co.jp/

ー最後に、これから新しい何かに挑戦しようとしている人へ向けて、アドバイスをいただけますか?

中北さん
「夢諦めたけど人生諦めてない人のために」が、『芸人ネクスト』のコンセプトです。

芸人に限らずですが、自分が活躍したかったフィールドで芽が出ず、挫折してしまうことって多かれ少なかれ誰もが経験のあることだと思います。

自分の本気度が高ければ高いほど、そのショックも大きい。

しかし、自分の夢が叶わなかったからといって、自分の人生が終わるわけではありません。

思い描いていた理想と違えど、自分が輝ける場所は必ずあります。その場所にたどり着けるかどうかは人それぞれです。

自分の可能性を信じきれなくなって「どうせ俺なんて…」とふさぎ込んでしまったら、本当の意味で人生を諦めてしまうことになります。

独立・起業、転職に挑戦することは素晴らしいことだと思います。でも仮に上手くいかなかったとしても、人生を諦める必要なんてない。

何がまずかったのか、次はどうするのかを考えて行動できた人が、自分にとって輝ける場所に到達できるのではないでしょうか。

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