あなたの仕事を選ぶ基準はなんですか?
「仕事をしていて楽しいかどうか」「たくさんお金を稼げるかどうか」「勤務時間が短いかどうか」など、人によって選び方はさまざまだと思います。
今回お話を伺ったのは、プロスノーボーダーの浜和加奈さん。
浜さんは2018年に行われた『Freeride World Tour』の白馬大会で日本人として史上初の優勝を果たし、同ツアーの最終戦にも日本人として初めて出場をされました。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続けている選手です。
そんな浜さんですが、数年前までは競技でほとんど収入を得ることはできなかったと言います。
では、なぜそれでもスノーボードを続けてきたのでしょうか。今回は浜さんの競技人生を振り返るとともに、スノーボードを「仕事」としてやり続ける理由を伺いました。
浜 和加奈(はま・わかな)さん
1979年生まれ、北海道出身のプロスノーボーダー。
18歳の時にスノーボードに出合い、25歳までは仕事をしながら週末に滑る、いわゆる“サンデーボーダー”として活動。29歳からプロを目指し始め、33歳で日本スノーボード協会(JSBA)主催の『JSBA全日本スノーボード選手権大会』で優勝し、プロ資格を取得。
38歳に長野県白馬村で行われた『Freeride World Tour(FWT)』の予選大会で優勝し、FWT白馬大会にワイルドカード(特別枠)で出場。
同大会でも優勝し、フリーライド競技の世界選手権で史上初めて日本人として優勝を果たした。加えて、同ツアーの最終戦であるスイス大会にも日本人として初めて出場している。
33歳でプロ入り。“遅咲き”スノーボーダーが「趣味」を「仕事」にするまで
ー現在、現役のプロスノーボーダーとして活躍されている浜さん。そもそもスノーボードと出合ったのはいつ頃なのでしょうか?
スノーボードを始めたのは18歳の時です。私が学生だった頃、スノーボードが流行っていたので、友だちと一緒にやり始めたのがきっかけでした。
ーそれからすぐにプロを目指されたのですか?
いえ、18〜25歳までの7年間は仕事をしながら週末を使って滑る、いわゆる“サンデーボーダー”だったので、はじめは趣味の範囲内でしかスノーボードはやっていなかったんです。
プロを目指すようになるまでには、いくつかのターニングポイントがありました。
1つ目は、25歳の時にワーキングホリデーで1年間オーストラリアに行ったことです。
その間は一切スノーボードはやらなかったのですが、現地で生活することによって英語を話せるようになったんですね。それで日本に帰国した時に、「英語のスキルを活かせる仕事に就きたい」と考えました。
北海道虻田郡ニセコグランヒラフスキー場という日本でも有数の広大なスノーエリアがあるのですが、スノーボード経験もあるし、外国人客も多いので、英語が活かせるスキー場のレストランで働くことにしたんです。
せっかくスキー場で働いているので、仕事の合間を縫ってスノーボードをやっていたのですが、毎日のように滑っていたら知らず知らずのうちに上達していって(笑)。上手くなるからますます面白くなっていくんですね。
それでスノーボードにどっぷりハマり、3年が過ぎた29歳の時、自分が周りのスノーボーダーよりも上手く滑れることに気づきました。そう思うようになってから漠然と「プロになりたい」と考えるようになったんです。
ーご自分の上達に比例して、スノーボードに対する気持ちも変化していったのですね。
はい。今後、プロの舞台に立つことを考え、スノーボーダーとしての経験を積むためにワーキングホリデーで1年間カナダに行きました。正確に言うと、ビザの有効期限が切れた後に、ビザを切り替えて1年間延長したので滞在期間は2年間になりますね。
そこで自分の実力を試すために、いろんなスノーボード競技の大会に参加したんです。
「スノーボード競技」と一口に言っても、スロープスタイル(SS)やスラローム(SL)など数多くの競技があります。私はその中でも、スノーボードクロス(SX)が単純にやっていて1番楽しかった。
なので、プロになる際はスノーボードクロス1本に絞ろうと決意しました。この競技との出合いが、2つ目の大きな転機ですね。
ただ、カナダには同競技の大会が少なかったので、30歳を迎えるタイミングで帰国し、日本でプロ資格取得を目指しました。
※スノーボードクロス キッカーやバンク、ウェーブなどの特殊な地形を設置した全長約500mのコースを滑り、着順を競い合う競技。
ー無事にプロになることはできたのでしょうか?
はい、おかげさまで資格を得ることができました。ただ、プロになるまでには3年もかかってしまったんです。
というのも、私は我流で腕を磨き続けてきたので、競技としての基礎を学んだことがなかったんですね。なので、いくら大会に出てもしっかりとした結果を残すことができなかったんです。
そんな感じのまま3年が経ってしまいまして…(笑)。プロになれずに焦りを感じていましたが、ある時、たまたま全日本スキー連盟のコーチと出会ったんです。
その方にコーチングをお願いして、基礎をみっちり学びました。それが功を奏して、『JSBA全日本スノーボード選手権』で優勝することができたんです。
その大会で優勝したことで、33歳にしてようやくプロ資格を獲得することができました。
競技変更で世界選手権初優勝! 適性に合った「仕事」選びの重要性
ーそれからプロとしてのキャリアをスタートさせたのですね。実際に勝負の世界に身を置いてみていかがでしたか?
はじめは全然勝てませんでしたね。
プロになって1番最初の大会で、ボロボロに負けてしまったんですよ。試合前の練習ではめちゃくちゃ調子良かったのに、本番でありえない転け方をしてしまって(笑)。
プロの先輩は「誰でも1年目はプレッシャーに負けちゃうもんだよ」とフォローしてくださったんですけど。初っ端でミスしてしまったことで、そこから勝つことができなくなってしまったんです。
おそらくミスした時の恐怖が、心のどこかでトラウマになっていたのでしょうね。
自分の中では全く負ける気はしないのに、本番になると今までやったことのないミスをしてしまう。「本番に弱い選手」になってしまったんです。
ーまさにプロの洗礼を浴びてしまったわけですね。「本番でミスをしてしまう」というトラウマを改善するために、その後はどうされたのでしょう?
正直、39歳になった今でも完全に不安を拭いきれてはいません。
勝てなくなってからは大会で力を発揮するためのメンタルトレーニングを行って、実際に少しずつ感情をコントロールできるようになりました。練習でも「よし、これならうまくいく」という実感も持てました。
でも、やっぱり本番になると結果を出すことができないんです。
その繰り返しで、どうすればいいか悩んでいる時、仲間にそのことを相談してみると、こんな言葉が返ってきたんです。
「浜ちゃんの練習を見てたけど、めちゃくちゃうまいね。大会での結果だけを見ていると、もう少し下手なのかと思ってたよ」って。
その時に気づいたんです。大会の成績しか見ていない人からすれば、私は滑りが下手だと思われているんだなって。
それからは、本当はスノーボードクロスで結果を出したいけど、30代後半になっても一向に改善の兆しがないので、葛藤はありましたが、他の競技に転向することを考え始めました。
ーもっと自分の適性に合った競技があるんじゃないかと。
その通りです。
どの競技がいいか考えた時に、仲間から「うまい」と言ってもらった練習環境を思い返してみました。
スノーボードクロスの大会では決められた地形でレースをしていましたが、練習では特に整備もされていない自然なコースで滑っていたんです。それも自由に、心からスノーボードを楽しみながら。
「そんな自由に滑れる競技があればな」。なんて考えていたやさきに、2017年1月に長野県白馬村で「フリーライド」という競技の世界選手権『Freeride World Tour(以下、FWT)』がアジアで初開催されたんです。
フリーライドは当時はあまり馴染みのある競技ではなく、私も白馬村のFWTで初めて知ったんです。
実際に試合を見てみると、フリーライドは自然のままの地形を滑り降りるスタイルの競技だったので、見た瞬間「これだ!」と思いました。
2018年にも予選・本戦ともに白馬村で開催されるということを聞き、フリーライドに挑戦することを決めました。
ー実際に挑戦されて、どうだったんですか?
予選で優勝して、本戦のワールドツアーにワイルドカード(予選の白馬大会の優勝者が日本人だった場合、その選手は自動的に出場できる権利)で出場することができました。
本来ならたくさん予選に出てポイントを獲得し、その合計ポイントの上位者がFWTへの出場権を得られるんですけど、ワイルドカードがあってラッキーでしたね(笑)。
ただ、本戦は予定通りの開催はされなかったんです。
ーといいますと?
まずFWTは全部で5戦(2018年は白馬、カナダ、アンドラ、オーストリア、スイスの5大会)あって、その初戦が白馬での試合だったんです。
しかし、大会の全日程が悪天候だったため中止になってしまいました。
それから数日が経ち、振替試合も行われないだろうと思っていたのですが、大会側から「第2戦のカナダの地で白馬大会も一緒に実施します」と急きょ連絡がきて、なんとか試合に出ることができたんです。
結果、第1戦の白馬大会で優勝し、FWTで日本人初優勝を果たすことができました。それと同時に、第3戦のアンドラ大会、第4戦のオーストリア大会への出場権も獲得することができたんです。
さらに、最終戦であるスイスのヴェルビエ大会には4戦終了時点で上位4名しか出られないのですが、主催側に推薦枠として5位の私を選んでいただいたんです。
優勝することはできませんでしたが、このFWTで一気に自分史上最高成績を出すことができて嬉しかったですね。
ーずっとスノーボードクロスで結果が出せなかったのに、フリーライドではいきなり最高峰の舞台にまで上り詰めるなんてすごいです!!
ありがとうございます(笑)。やはり「適性に合った競技を選ぶ」ということはとても重要なことなんだなって思いましたね。
同じスノーボードでも、滑る環境やルールが変わるだけで、競技人生がガラリと変わるんだなぁと、身をもって感じました。
お金は競技人生の副産物のようなもの。スノーボードを楽しみ、追求した先に成果として表れる
ー2018年のFWTでご活躍されてからは、競技生活で何か変化はありましたか?
はい。FWTの試合後にようやくスポンサーを獲得することができて、自腹だった大会の交通費を援助していただけるようになりました。
私はシーズンオフの夏にホテルのレストランでウエイトレスとして働いて、そこで稼いだお金を大会の交通費にあてていたので、本当にありがたい気持ちでいっぱいです(笑)。
ー今までずっと自腹で競技生活を続けていたんですか!?
そうですね。スポンサーを獲得するために営業に出ていた時期もあったんですけど、私の性格的に営業は得意ではなかったですし、営業をすることで必然的に練習の時間も削られてしまいます。
だから営業ではなく、選手としての活動を優先することにしたんです。営業ばかりして、練習がおろそかになってしまったら本末転倒なので。
その代わり、夏の仕事はめちゃくちゃ頑張りましたけどね(笑)。
ー先程、今でもプロで勝てないトラウマを完全に改善できていないとおっしゃっていましたが、FWTで優勝されても不安は払拭されていないのでしょうか?
それを確認するにはスノーボードクロスの大会に出てみないとわからないので、完全に改善できたとは言えないんです。
ただ、今はFWTで結果が出たので、スノーボードクロスにも楽な気持ちで臨めると思います。なので今年は同競技の大会にも出てみて、その結果と気持ち次第でフリーライド1本に絞るかどうかを決めるつもりです。
ーFWTでの優勝が、スノーボードクロスで結果を出せる良いきっかけになればいいですね。それを踏まえて最後に、今後の目標をお聞かせください。
競技の目標としては、今年のFWTで最終戦でも勝って総合優勝を成し遂げたいですね。
そのために練習も積んできましたし、メンタルトレーニングもずっと続けてきましたから。
競技以外の目標としては、これまでスノーボードとは関係のない仕事をしてきたので、競技人生の経験を活かせる仕事に就きたいですね。
ただ、それは「スノーボードを楽しめる仕事」に限ります。
私はスノーボードが楽しいからプロになりました。楽しくなかったら39歳まで競技生活を続けることなんてできません。
なので、私にとってお金はあくまで“副産物”でおまけみたいなものなんです。
楽しいから「もっと上手くなりたい」とパフォーマンスの向上を追求できますし、続けていたからこそちょっとしたきっかけで世界の舞台に上がれることだってあるわけです。
だから「スノーボードを楽しむ」ことは、現役中も、引退後も、ずっと変わらず続けていきたいと思っています。
(取材・文=佐藤主祥 https://twitter.com/kazu_vks)