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命をかけた千日回峰行という荒行
千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)という行がある。比叡山の山々をのべ1000日間にわたって歩き続けるという荒行だ。午前2時に起床、白装束に身を包み、40qの行程を来る日も来る日も歩き、約260の寺院・仏堂を礼拝する。3年目までは毎年100日で計300日。4、5年目がそれぞれ200日で計400日。6年目100日、7年目200日。7年間の合計で1000日となる。 雨の日も風の日も休むことはできない。さらにこの距離が少しずつ増えてくる。6年目には1日60q、7年目には80qまで増えるというから半端じゃない。7年間で歩き続ける距離は合計約4万q、なんと地球を一周するに等しい距離というから驚きだ。 この千日回峰行をなんと2回もやり遂げた人がいる。酒井雄哉(さかいゆうさい:本名・酒井忠雄)氏、その人だ。1000日を2回、合計2000日の回峰行を行った人は、延暦寺の歴史の中でも、室町時代より3人しかいないというからそのすごさが伺える。
落ちこぼれをスーパーマンに変えたものとは?
それほどのことをやりぬく力を持った酒井氏とは、どんなすごい人であったのかというと、実は中年になるまで何一つやりとげたことがない、全くさえない人であった。大学の図書室、蕎麦屋、ブローカー、証券会社と職を転々とする。しかし、どれも長くは続かない。自分で「人生の落ちこぼれ」と認めるほどのテイタラクぶりであったという。何をやっても続かなかった人が、なぜ後にそれほどの偉業をなしとげるスーパーマンに変身することができたのか? カギは人生を変える「きっかけ」に遭遇したことにある。 酒井氏は結婚後1カ月で理由もわからず妻が自殺するという悲劇に遭っている。そのショックで酒井氏は自暴自棄になり、やる気をなくしていた。それを心配した家族が、心のケアになればと酒井氏を比叡山に連れていった。当初は仏教に対して否定的な気持ちをもっていたという酒井氏であるが、何かに心が動かされたのだろう。ここで僧侶として修行を繰り返し、人生をやり直すことを決意する。そして39歳で得度(=僧侶になること)し、比叡山での修行生活に入っていった。 そこから酒井氏は数々の荒行を自らに課していった。何をやっても続かなかった人間が、その日からは一つ一つの行を確実にやりとげていく。そして最終的に、地球2周分に相当する2度の千日回峰行をやりとげたのだ。 酒井氏をスーパーマンに変えたきっかけ、それは「妻の自殺」と「比叡山への参拝」であった。どちらも意図的に行われたものではないが、この2つのきっかけが、酒井氏の人生に大きな影響を与えたことは疑いない。2つのきっかけが、酒井氏の心にかつてないほどの「意味」を与え、その後の偉業を導くほどの資質形成に役立ったと考えられる。
人生を変え得る「きっかけ」との出合い
教育の世界に長年携わってきた立場から分析すると、人の「性格」、「行動パターン」を変えることは容易なことではない。「続けられない人」を「続けられる人」に変えるということは、ベテランの教育者をもってしても簡単になしとげられるものではない。 起業家を目指してもなかなかそれを実現できないという人も、ある意味において、自分の資質を変えることの難しさを感じているのではないだろうか? 英語を上達させるためには、毎日練習を続けた方がいいに決まっている。でも続けられない。人に好かれるためには、人には優しくした方がいい。でもつい怒りをあらわにしてしまう。起業家として成功するためには、勇気を出して、一歩前に進むことが必要だ。しかし、どうしても前に進むことはできない。わかっていても自分の性格を変えることは難しい。 しかし、「きっかけ」されあれば、人間の資質は大きく変わる可能性があることもまた事実である。酒井氏の事例がそのことを示している。私自身、たった2日で自分の人生観が変わった経験を持っている。 トルコのカッパドキアに旅行した時のことである。カッパドキアは世界遺産にも登録されている有名な観光地である。柔らかい凝灰岩が何万年もかけて侵食され、「きのこ岩」といわれる奇岩となり、世界中のどこにもないほどの独特な風景をつくり上げている。奇岩の岩間を歩いているとだんだんと不思議な感覚に陥ってきた。自分が生まれるずっと前からこの地形がつくり続けられ、そしてこの後も何万年もかけて形を変えていく。その時間の長さに比べると自分の人生などほんの1秒にも満たないちっぽけなものだ。では自分が生きている意味とは何なのか、そんな「高尚」なことを考えさせてくれる力をカッパドギアの独自の風景は持っていた。 ツアーの最後に、小高い岩山の上に登った。岩山からは、その地の独特の異形を360度にわたって見渡すことができる。ちょうど夕暮れ時であったことも重なって、その風景はそれまでに見たどんな風景よりも感動的なものだった。この2日間のツアーを通して、私は「自分の時間」というものを強く意識するようになった。自分はまだまだちっぽけな存在であり、何一つ大きなことはできていない。自分の人生の短さを痛感し、何かをなしとげたいと考えるようになったのだ。たった2日間のツアーであったが、この2日間の「きっかけ」が、私の心に大きな変化を与えてくれた。その日から、どういうわけか、だらだらと時間を過ごすことがほとんどなくなった。
きっかけハンターが自分の可能性を広げる
さて、この2日間のツアーという「きっかけ」は、私に自分の人生に対する感覚に大きな変化を与えてくれた。しかし、だからカッパドキアに行ってみてほしい、とは言わない。なぜなら、カッパドキアに意味があるわけではないからだ。私とあなたでは同じ感覚を構築できるとは限らない。私はカッパドキアでの経験を、友人に勧める過程でこのことに気づいた。 ある友人は帰国するなり、私にこう言った。「ま、確かにすごいとこだったけど、別に人生観が変わるなんてことはなかったな。笑ったのは、きのこの山に似てるから、おなかがすいてさ! 日本食が恋しくなっちゃった」。 「きっかけ」とはこういうものだ。万人に共通の「きっかけ」などない。侵食してできた岩は、人生観を変える奇岩にもなるし、おいしそうなきのこの山にもなる。大切なことは、本人が環境に起きた変化をどのようにとらえ、「いかに解釈するのか?」ということなのだ。「きっかけ」が私を変えてくれたというように説明した。しかし実際には、「きっかけ」を利用して、私が世界をとらえなおし、「自分の進みたい方向」に自分を変えた、という方が正しいのだ。 このことに気がつけば、自分を変える可能性を手に入れたことになる。要は「自分の進みたい方向」に自分を変え得るような「解釈」が発生する機会を増やせばいいということだ。これまではそのきっかけが偶発的に起こっていた。しかしこれからは、意図的にその「きっかけ」を発生させていく、「きっかけハンター」になることをお勧めする。 自分がどういう時にどんな反応をするのか、客観的に振り返ってみよう。大自然に触れた時に感銘するタイプなのか? 頑張って努力している人に会った時に感動するタイプなのか? それとも誰かから優しくされた時に感動するタイプなのか? 「きっかけ」が向こうからやってくるのを待っていてはいけない。「きっかけハンター」となり、自ら進んで自分の可能性を広げていくことが、自分の人生を豊かにする最善の方法なのだ。
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アクティブラーニングスクール代表
羽根拓也 |
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ハーバード大学などで語学専任講師として活躍。独自の教授法が高い評価を受け、94年、ハーバード大学より優秀指導教授賞(Certificate of Distinction in Teaching)を受賞。日米10年以上の教育活動の集大成として、97年、東京で「アクティブラーニングスクール」開校。これまで日本になかった「学ぶ力」を指導育成する教育機関として各界より高い評価を得る。新世代教育の旗手として教育機関、政府関係機関、有名企業などから指導依頼がたえない。現在は、デジタルハリウッド大学・大学院専任教授兼CLOも兼任。
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