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 ●最終回 自分の人生における真の目的を知る


今回は、このコラムの連載36回目、第3クールの最終回である。
3年間、このコラムを読んでくださった皆さん、
本当にありがとうございました!
走馬灯のようにいろいろな思い出が頭の中を駆け巡る。
今回はこの場をお借りして、私自身がこの雑誌、
『アントレ』とどのように出合ったのかをお話し、
そこで見つけた人生の本当の意味についてお話ししてみたい。

 

ハーバードスクエアで見つけた雑誌
 1993年、私はアメリカ・ボストンにあるケンブリッジに住んでいた。ケンブリッジは、ハーバード大学をはじめ、複数の大学が散在しており、世界中から様々な国籍の学生や教師が集まっている。そして、町の中心にあるハーバードスクエアを歩けば、いろいろな国の人に会うことができる。さながら人種のデパートのようなこの場所をそぞろ歩きするのが、私の週末のひそやかな楽しみであった。
 ある日曜日、私はいつものようにハーバードスクエアに散歩にやってきた。いつもそこら中にいる大道芸人たちのパフォーマンスを見たいと思ったのだが、たまたまその日は何もやっていなかった。仕方なく、スクエア内にある売店に立ち寄った。面白そうな雑誌がないかと眺めていると、ある雑誌が目に付いた。ビジネス系の雑誌であることは見て取れたが、初めて聞く誌名であった。パラパラとページをめくってみると「自分でビジネスを起こした人たち」を紹介する雑誌であるということがわかった。ユニークなビジネスを立ち上げ、成功した人々のリポートなどがたくさん掲載されていた。
 大学での職務に疑問を感じ始めていた私は、自分で事業を起こすというこの雑誌のコンセプトにひかれるものを感じ、雑誌を持ってレジに向かった。この時は、自分が将来、起業家になるということも、また、何年か後に自分がこのようなビジネス誌に連載コラムの執筆をすることになるということももちろん予想していなかった。ちなみに、その雑誌の名前は『アントレプレナー』(アントレが創刊時に提携していた米国の起業家向け月刊誌)であった。
 そして当時私は、ハーバード大学で日本語を教えていた。結局、アメリカでは合計3つの大学で日本語を指導する機会をもったが、いずれの大学でも自分の予想をはるかに上回る評価を受けることができた。そのまま行けば、大学教授としてアメリカの大学で働くことが最もまっとうな道であったに違いない。
 しかし、この頃、私は日本語を指導するという仕事に疑問を持ち始めていた。簡単に説明すると「自分はこの仕事を一生続けて生きたいのか?」と思い始めるようになっていたのだ。
 そんな時、私の手元に『アントレプレナー』という雑誌が偶然転がり込んできた。「自分の本当にやりたいことって何なんだろう? もっと心から打ち込めることを見つけなければ……」。雑誌を読み進むうちに、そんな考えが心の中で強まっていった。

自分のやりたいことをやっているか?
 それから私は、本当に自分がやりたいことを探りだすために、興味があることを次々にノートに書き出していった。職業として、また経験として、やりたいことはいっぱいあった。何日もかけて、自分のやりたいことを書き出していった。これらの書き出したものが、今、歳月を越えて今の自分をつくり上げているといっても過言ではない。
 あれから10年たった。結論から言うと私は、その後起業家に転じ、帰国後、株式会社アクティブラーニング(AL社)という事業会社を立ち上げた。試行錯誤の毎日であったが、なんとか今日まで起業家としての道を走り続けることができた。先日、ひさしぶりにあの時のノートを開いてみた。今思うと、気恥ずかしい思いさえするようなことを書き連ねている。
「有名企業や大学などの高等教育機関に私が開発した教育システムを採用してもらう」といったものだ。しかし、10年間たってみて、それが実現できていることが自分でも驚きであった。
 AL社の教育プログラムは、現在、様々な企業で採用されている。ソニーや松下といった有名企業でも何度も研修を行ってきた。大学などの高等教育機関も同様だ。今年4月、東京都千代田区にデジタルハリウッド大学院という大学が生まれた。この大学院では、AL社の教育手法が全面導入されている。全学生がAL社の指導する「学ぶ技術」を必須科目として受講することが義務付けられている。この10年間に私が研究、開発してきたものが、文部科学省が認める大学機関で、単位科目として認められるようになったのだ。

あなたの背骨となる精神的支柱を見つける
 さてここで、自分が歩んできた起業家という道を振り返ってみて、この道が人生最高の道であるとうそぶくつもりはない。この道を選んだことが、一番正しい選択であったかどうかも正直わからない。アメリカの大学に残り、教授の道を進んだ方が満足のいく人生が送れたのかもしれない。しかも起業家としての道のりは決して平たんではなく、かつて経験したことがないほどの苦しみが私を待っていた。
 にもかかわらず、その後、私は起業家の道をやめようと思ったことは一度もない。なぜか? それは、あの時、私がノートに書き出した様々なやりたいことの断片から、自分にとって最も重要な「人生の本当の意味」を見いだすことができたからだ。私は言葉を書き連ねるうちに、自分が「人間の成長」に強い関心を持っていること、できればそれを広められるような教育機関をつくりたいと思っていることに気がついた。そしてそれらの希望が、「自己成長力の育成」というキーワードに置き換わっていったのだ。これこそ、私のやりたかったことであり、その後の私を支えてくれる精神的支柱となる言葉だったのだ。

今、あなたにとってのやりがいとは?
 さて、あなたは自分の人生に満足しているだろうか? 何か心の中に隙間風が吹いているのを感じてしまうのなら、それは自分が日々携わっている仕事に「やりがい」を感じていないからではないだろうか? 
 勤務している会社での仕事を続けるにせよ、自分で考え出したビジネスで起業家を目指すにせよ、ここらあたりで、一度じっくり自分の人生の真の目的について考えてみてはいかがだろう。といっても小難しいことをしようというのではない。私が10年前にやったことと同じことをすればよい。ノートに興味のあること、やってみたいことを一つ一つ、あるだけ書き出していくのだ。すぐにできそうなこと、なかなかできそうにないこと、可能なこと、不可能なこと、どんなことでもよい。自分の希望をすべて洗いざらい、ノートに書き出してみよう。
 自分の頭の中にあった断片的素材を書き出していくと、だんだんとその裏に隠されている本質がわかるようになってくる。それらを一つのキーワードとしてまとめてみよう。キーワードができ上がれば、そのキーワードがあなたのこれからの人生を助けてくれる「精神的支柱」となりうるのだ。
 そして、日々の仕事を行う時、自分の今やっていることが、このキーワードに関連していることであるかどうかを考えてほしい。もしその仕事がこのキーワードに関連することであれば、強いモチベーションがわき上がってくることがわかるであろう。
 人は「やりがい」を感じる時、最高のパフォーマンスを発揮することができる。逆に、どんなに高い給与をもらっても、「やりがい」が感じられなければ、いつしかそこから逃げ出したくなるはずだ。だから、「究極のやりがい」を見つけよう。それは自分の人生をかけてもよいと思えるような仕事、あるいはそれに通じる仕事を見つけることである。
 そうやって精神的支柱を見つけられたあなたの人生が、10年後、どのように変わっているのか、もちろん正確に予測することは困難だ。起業家になっている人もいるだろうし、そうでない人もいるだろう。しかし、いずれの道に進むにせよ、自分の本当にやりたいことを追いかけ続ける姿勢だけは忘れないでほしい。それができれば、起業家としても、会社に勤務するビジネスパーソンとしても一流の活躍を続けることができるだろう。


PROFILE
photo アクティブラーニングスクール代表
羽根拓也
日本で塾・予備校の講師を務めた後、1991年渡米。ペンシルバニア大学、ハーバード大学等で語学専任講師として活躍。独自の教授法はアメリカで高い評価を受け、94年、ハーバード大学より優秀指導教授賞(Certificate of Distinction in Teaching)を受賞。日米10年以上にわたる教育活動の集大成として、97年、東京・神田に「アクティブラーニングスクール」開校。これまで日本になかった「学ぶ力」を指導育成する教育機関として各界より高い評価を得ている。新世代教育の旗手として教育機関、政府関係機関、有名企業などより指導依頼がたえない。


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