ニューヨークやボストン、ワシントンDCなどが位置する米国東海岸。大西洋に面したこのエリアには大小様々な港が無数点在している。特にニューヨークからマサチューセッツにかけての各港の歴史は非常に古く、かつては世界最大の捕鯨基地であったことでも知られている。あのジョン・万次郎もボストン近郊から出港した捕鯨船に救出され米国にたどり着いたのだ。
かつてそれらの船はすべからく帆船であった。美しい帆を広げた姿は今見てもとても美しく、今でもファンは多い。そして今回ご紹介する会社は、ある古い港町に居を構え、昔ながらの家族経営を維持しながら、今も目の前の埠頭にたたずむ帆船の帆を作り続ける老舗だ。
19世紀も後半にさしかかった1880年。スコットランドからの移民であった初代のウイリアム・J・ミルズはロングアイランド東端、グリーンポートに帆の製作会社を起こした。グリーンポートはすでに大きな港町として栄えており、無数の帆船がこの港に寄港していた。彼は、品質の良い帆をそれらの船に供給することで成功を収め、地元の重要な一員となっていったという。
そしてWm. J.ミルズ・アンド・カンパニー(以下、ミルズ社)は、その一族によって経営を引き継がれ続けた。現在同社は4代目のジェイミイ氏が経営の中心となり、5代目であるボブ氏がサポート。大学で学ぶミルズ6世氏が同社に加わるのを待っているという。先代のミルズ3世氏も高齢ながら健在で、温かい家族経営の良い面は今も同社の伝統である。同社の歴史は地元でも大切にされており、港の歴史を見学できる博物館には同社にまつわる品が数多く展示され、一般公開されている。
商業港とはいえ冬は厳しい東海岸のこと。冬場には手が空くのは仕方ないのだが、ウイリアムはそんな時に古い帆を再利用して、手提げかばんやボストンバッグなどを作り始めた。そもそも丈夫な帆用の布を使用し、高い縫製技術を有する同社のバッグは人気となり、すぐに様々な注文が入るようになった。顧客ごとの細かい注文にも応じており、今でも地元の新聞配達員のために、自転車に取り付けられる新聞用のバッグを特別に製作するなど、その柔軟さには驚くほどだ。
同社の製品はすべて永久保証付きであり、破損した場合などはそれがどんなに古くても修理が可能だという。最近では有名ブランドのエコバッグがトレンドだが、ミルズ社の場合はそもそもが使用済みの帆の再利用であり、しかも手をかけながら永遠に使用することができるわけで、究極のエコバッグといえなくもない。しかも高品質なのだから、まさに時代の先取りであったのだが、それが老舗の手によることもまた愉快だ。また歴史のロマンまでが必ず付いてくるのである。はやりに乗った安物のエコバッグとはモノが違うのだ。
現在、帆の製作は同社のビジネスのほんの一角でしかないという。先に述べたバッグ類のほかにも、トレーラーの荷台カバーやカフェの日よけ、冬場使用しないボートやプールの覆いなどの製品や特注品などにも柔軟に対応し生産している。
家族経営の老舗の良い面は残しつつ、時代の先端をも走り続ける。ミルズ社は小さな会社ではあるが、非常に多様な面を持つ企業となっている。工場内には昔ながらの手作業を行っている一角もあれば、最新鋭のコンピュータ制御の大型機械が設置されているエリアもある。そう、彼らは老舗とはいえ昔ながらの仕事を粛々と続けているだけではない。高い技術をより向上させるためには古いやり方にしがみついていては駄目なこともよく理解しているのである。
21世紀の現在も、同社の業務はさらに広がり続けている。今では軍需機材用のカバーや、被災地などで使用される緊急医療用の折り畳みベッドなどに同社の製品が採用されている。軽さと強度、そして柔軟性を併せ持つキャンバス素材の美点と、ミルズ社の高度な製作技術が結び付いた結果だ。
同社のスローガンは「There will always be a conflict between "GOOD" and "GOOD ENOUGH"(良いということと必要十分ということの間でいつも問題が発生する)」だという。「必要十分」と「良い」の間にあるものこそが、製品の品質に反映されることを彼らはよくわかっているようだ。 その昔、ジョン・万次郎を助けた捕鯨船の帆はミルズ社製の物だったかもしれない。国内の被災地や自衛隊が派遣された中東で使用された機材にも、彼らの製品が活躍していただろう。ロマンあふれる彼らの仕事は、大海原で世界をつなぎ、時代の風を受け広がっているのだ。もしミルズ社のバッグを手にする機会があれば、そんな思いに心をはせてほしいと思う。