締め切り間近の小説家がホテルで缶詰状態の中、必死で作業を続けている。こんな場面をドラマなどで目にすることは多いだろう。集中して執筆活動を行うことができる環境というのは、作家たちには大切である。しかし有名な大作家でもなければ、ホテルを用意してもらえることなどはまれ。多くの職業作家たち、ましてや駆け出しやアマチュアにとっては、ホテルでの作業などは夢のまた夢でしかない。しかし彼らだって良い環境で仕事したいと思っているのは同様だ。何とかならないものだろうか。大都会で執筆活動を行うそんな彼らの要望に応えるのが、今回ご紹介する、Paragraph(以下パラグラフ)である。
パラグラフは作家専用の執筆スペースだ。会費を払ってメンバーになることで、静かな作業スペースを利用することができる。メンバーは全員が作家もしくは作家志望のアマチュア。誰もがお互いの状況を理解できるため、室内は静謐さが保たれ、静かに作業を続けている。パラグラフは、マンハッタンの中程、ユニオンスクエア近くの一角にある。暗証番号によるオートロックのドアをくぐり抜けると、40席ほどの作業机があり、作業部屋の外にはコピー機やプリンタ、ロッカーなどが併設。メンバー以外の入室は禁止。またおしゃべりなど無用な騒音を出すことは厳しく制限されている。
大手出版社が軒並み拠点を構え、数多くの大作家を輩出しているこの街となれば、作家としての立身出世を夢見る若者も多い。そしてもちろん既に職業作家として活躍しているプロも無数だろう。しかしニューヨークという街は、狭く混雑しにぎやかであるために、作家としての創作活動にはいささか不向きな街だという事実は彼らに共通の悩みでもある。しかし裕福な大作家でもない限り、納得できる環境を手に入れることは非常に難しいのもまたニューヨークなのである。
実はパラグラフの創設者は、彼ら自身が作家志望であったためにこのようなニュービジネスを思いついたのだという。リラ・セシル氏とジョイ・パリッシ氏はニューヨークのある大学で文学を学んだ仲の良い友人同士だ。彼ら自身が作業スペースに困った時に、多くの作家も同様だとひらめいたのがパラグラフのスタートであった。プロとして創作にいそしもうとした時に、ニューヨーク市内には落ち着いて作業できる場所がないという現実。街中での作業も良いのだが、いつものカフェのお気に入りの一角がすでに占領されていたり、隣の席に幼児連れのお母さんがいないとも限らず、やはり仕事には不向きな場合も多い。だからこそ落ち着いて作業をする場所を提供すべきだと考え、パラグラフの起業へとつながっていったのだという。
気になる使用料金は、契約形態にもよるがおおむね1カ月120ドルほどから。フルタイムの契約をすれば24時間いつでも入退室が可能であり、仕事が片づくまで何時までも机に向かっていて良い。マンハッタンで一部屋を借りることを考えれば格安といって良い金額だし、仮にどこかに仕事部屋を借りたとしても隣のビルが工事中ということもあるだろう。人気を集めるのは当然で、現在では200名以上のメンバーがパラグラフを利用しており、小説家や詩人、構成作家や脚本家までありとあらゆる種類の作家が名を連ねているという。
ニューヨークという場所柄からか、今やパラグラフは出版関係者と作家をつなぐコミュニティとしても機能し始めている。ここに来れば多くの作家と知り合いになれるし、そこから様々な情報も手に入れることができる。このようなことが口コミで伝わり、作家仲間うちでは話題の場所となっていった。それにつれて校正や各種の考証など作家へのサポートを行う各種のビジネスもこの場所を拠点として活動するようになってきており、それらがまた相乗効果を生むという、まさに雪だるま式の成長を遂げてきているのだ。
パラグラフ自身も、メンバーとの関係性を活性化するために朗読会などのイベントを数多く実施しているし、また出版社や編集者たちも各種の告知や求人などをパラグラフを経由して行うことも多い。すでに幾人もの職業作家も生まれており、今ではインターネット書店のアマゾン内にはパラグラフメンバー作家のページまで用意されている。
前回、空間をうまく利用してニュービジネスとした「Grand Opening」を話題とした。街中にあった空間を有効利用し、大人気となっていることはお伝えしたとおりだ。このパラグラフも、その起業に特に専門知識や高い技術などが必要であったわけではない。都心の便の良いところに広めの空き部屋を探してきて、その中に机と椅子、そしてネット用の回線や電気スタンドを配置。片隅にロッカールームやコーヒーポットを置いただけである。何ら特別な秘密があるわけではないことは両者に共通する特徴だが、しかしこの両者がいずれも成功していることもまた事実だ。
起業とはやはりアイデアと行動力のたまものなのだ。素晴らしいセンスと卓越した行動力こそが成功を手にするのは間違いない。何も莫大な資金や専門知識が絶対に必要というわけではないのだ。そしてパラグラフの二人の創業者だが、
「今じゃ作家としてより、起業家として取材されるばっかりね」(セシル氏)
というのが目下の悩みだと言う。さすがにこればかりは致し方ないだろう。