「花屋さん」はどの街にもある。多くは小さな個人経営店であり、街の人々に親しまれそして地元に密着した経営をおこなっていることだろう。しかしここにそんな街の花屋から出発し、今や全米一になった生花店がある。そしてその社名はほかに例を見ないユニークなものであった。
0120で始まるフリーダイヤルは日本でもすっかりおなじみだ。そしてもちろん米国にもフリーダイヤルは存在する。「1-800」で始まる番号がそれであり、「トールフリー(無料通話)」と呼ばれている。もちろん多くの企業がビジネスツールとして活用しているのだが、その「トールフリー」をそのまま社名にして大成功を収めたアイデアパーソンがいるのだ。
1-800-flowers.comの創業者、ジム・マッキャン氏がその人だ。FLOWERSは電話のプッシュボタン上で356-9377にあたり、日本でもよくある語呂合わせのようなもの。.comは、もちろんインターネットのURL。そしてこの長い名前が同社の正式社名なのである。
ジムはニューヨーク近郊で数軒の生花店を経営していた。想像されるとおり個人経営の小さな生花店であったのだが、米国には花を贈る習慣が多いこともあり、地元密着の堅実な経営は実を結んでいたようだ。
そんな彼の転機は1986年。遠くテキサス州で1-800-flowersという電話番号を保有していた生花業者が経営不振となり、そこから屋号や電話番号もろともその会社を買い取ったのだ。しかし彼にはテキサスで事業を行う気は全くなく、買い取ったトールフリー番号と屋号をそのまま自身の生花店へ冠することとした。
トールフリーの番号は全米共通。この時点ではまだ街の小さな花屋さんでしかなかった同社は、しかしその電話番号故に全国から次々と注文が入ってくることとなる。電話をかける側には同社の規模などわかるはずはないないのだから当然だ。
そのうちに注文は同社だけではとても処理しきれないものとなっていった。特に大都会から遠く離れた過疎地からの注文が多く、これは広大な土地柄故にショッピングが不便であったためである。そのため特に注文が多いこれらのエリアには同業の提携先を探し、受注にこたえる体制を整えるとともに、自身の経営規模も徐々に拡大していったのである。
さらなる転機は91年、湾岸戦争の勃発である。戦地へ赴く家族や知人に花を贈るというキャンペーンが大当たり。その間もカタログ販売の開始などその販路を増やすことには積極的で、インターネット創世記の95年にはすでにオンラインショップを開設。URLはもちろん1-800-flowers.com。同時に社名も変更。間違えようがない社名、電話番号、そしてURLとしてしまった。
ジムの積極策はまだまだ続く。他社と提携しチョコレートや玩具、アクセサリーなども扱い始めたのだ。これらを贈る際には、きっと花も添えるだろうとの考えからだという。こじつけのような理由だが実際はその通りだった。オンラインへの進出が早く、AOLなど大手サイトでの生花販売を一手に引き受けるなど先手を打った積極策が功を奏していたこともあり、提携もスムーズだったという。
しかしその一方で、直営店の出店はいまだに10州どまり。また本社は依然創業の地に置いたまま。ITが経営を手助けするようになった数年前には、近所のより小さなビルへと引っ越しをするなど、相変わらず堅実な経営を貫いている。これこそがが彼らの真骨頂なのだ。
覚えやすい電話番号を取得し、それをそのまま社名にする。ネットが普及すると見るやすぐに参入し、社名も変更。花が売れる手段があれば躊躇なく取り入れ、無駄な経費は可能な限り省く。これらが1-800-flowers.comの成功の要因だ。
そしてもちろん最初はトールフリーだった。ただもっと注文しやすくするためにと考えたことが同社をここまで成長させるきっかけとなったのだ。今や同社の年間売り上げは500億円以上に達し、全米でももっとも大きなギフトショップの一つとなっている。街の生花店が出発点とは思えないほどの大躍進であるが「ただ、いかに花を売るかだけを考え、できることから順番に実現してきただけ」だとジムは言う。
景気や流行を追ったり、策を講じたりするのではなく、自身の仕事をただ黙々と遂行する。当たり前に見えて実は我々が今一番おろそかにしている点ではないだろうか。最初は小さな生花店であっても、このことを守れば全米一にまで成長できるのだ。ジムにできて日本の若者に出来ないわけはないと思う。そういう成功例を早く日本でも目にしたいものである。