CASE75コンピュータエンジニア
派遣エンジニアからプロに転向。自己裁量と成長機会が増え大満足
昨年のサブプライムローン問題に端を発する金融危機や株価暴落などの影響を受け、日本の雇用環境も厳しさを増している。製造業を中心に相次ぐ「雇い止め」が世間でも問題視されているが、その危機は期間工(期間従業員)だけではなく派遣エンジニアにも及んでいる。紹介する小林さんも、独立するまでの3年間にわたり派遣エンジニアとして働き、2002年6月にプロワーカーとなった。
「私が独立した頃は、今ほどの厳しい雇用環境ではありませんでした。しかし、派遣エンジニアという働き方を選んだ背景を振り返れば、社会人デビューの振り出しで正規雇用のチャンスを逃したことに起因しているとも感じます。私がバイオテクノロジー系の専門学校を卒業したのは、バブル崩壊後の就職が厳しかったいわゆる“就職氷河期“の頃。景気が後退し企業は軒並み採用を縮小したため、就職先を見つけることができず……。そこから5年間は、フリーター生活をしていました」
アルバイトはエアコンの取り付けからコンピュータ修理まで、機械いじりができる仕事を主に選んでいた。その後、エンジニア専門の派遣会社に登録。大手重工業メーカーやコンピュータメーカーなどに勤務し、ソフトウェア・ハードウェアの設計・開発に携わってきた。
「派遣エンジニアの頃は常に時間に追われている感覚がありました。納期を守ろうという意識は持っていても自分の裁量で仕事ができないとか、派遣契約上、仕事の遅れを残業してカバーすることも難しいとか。そんな中では、スキルアップなど自己成長のために時間を割くこともままならない。そんなもどかしさも、独立することで解決されました」
独立後は商社やソフトハウスを通して、企業からの依頼案件を受託し、また筑波研究学園都市にある研究機関などからも仕事を受け、実験用装置やデータ収集ソフトの開発など研究開発支援業務を行っている。
「化学系の実験用装置などの案件では、研究論文を読んで仕様を考えることもあります。こうした時に、バイオテクノロジーを学んできたことが生かされたと感じますね。クライアントのニーズを確実に理解して、機能で応えるモノ作りを行うことが、私の目指す姿です」
小林さんは化学の知識を活かし、鉛フリーはんだによる電子機器の組み立てを実施。さらにEUで発効されたRoHS指令(電気・電子機器に含まれる特定有害物質の使用制限)にも対応するなど、環境に悪影響を与える物質の拡散防止にも積極的に取り組んでいる。
「知識は生かすと同時に、増やすことも大切。自己裁量で働けるようになった今は、スキルアップなど成長の機会をつくりやすくなりました。これまで目を向けなかった自動車・健康産業などの新聞記事や報道番組も見るようにしたり、金融に関しても勉強を始めました。経済動向をつかんでおくと先読みできるようになり、仕事にもきっと役立つと思います」
PROFILE
小林 賢一郎さん(34歳)
1974年、東京都生まれ。バイオテクノロジー系の専門学校を卒業。その後、約5年間はアルバイトで生活する。エンジニア専門の派遣会社に登録し、大手重工業メーカーやコンピュータメーカーなどに勤務。2002年6月、コンピュータエンジニアとして独立。ソフトウェア・ハードウェア設計開発、研究開発支援請負などを手掛ける。
取材・文●岩見浩二 撮影●松本朋之
協力●NPO法人インディペンデント・コントラクター協会
[ 2009.01.30 ]
制御装置などオリジナル製品も昨年より製作。商社を通してカタログ販売を行っている
POLICY
納期よりも早く仕上げることを目標にし、またソフトウェア部品の共通化によるコスト削減など“顧客重視”の提案を行う。
HOLIDAY
昨年の休日は10日程度。自己裁量の大きな働き方に満足しているため、休日数こそ少ないが、生活は充実している。
MONEY
派遣エンジニア時代と比べると、収入はやや減少。お金に対する価値観は、“給料”から“稼ぎ”へと変わった。
SATISFACTION
仕事の達成感が大きくなった。新しい業務に取り組めば実績となり、次の営業機会でウリになる。そんなやりがいもある。