CASE74翻訳業

展示会やネットから情報収集。技術用語の翻訳で製造業を支援

高度成長期から日本経済を牽引しつづけている「モノづくり」。その現場に欠かせないのが、技術文書を翻訳し、国内外の工場や外国人に伝えるというプロセスだ。フリーターから技術系専門の翻訳家に転身した瀬良さんの故郷は、発電所や工場が連なる山口県岩国市。メーカー勤務の父親からは、「予備知識がなければ絶対に無理だ」と反対されたが、需要が少ない出版翻訳に比べ、産業翻訳のほうが一生の仕事として有望だと、果敢に挑んだ。

短大時代に学んだ英語を生かすべく銀行に就職しながら、体調を崩してやむなく退社。その後は、就職氷河期という壁に再就職をはばまれ、私生活では離婚を経験した。失意のまま故郷に戻った時、母親が勧めてくれたのが翻訳業へのチャレンジだった。



「勉強してみてわかったのですが、翻訳に必要なのは英会話の力ではなく、日本語にアウトプットする力。日本語の語彙を増やさない限り、頭でわかっていても言葉が出ません。だから、初仕事の結果は惨憺たるものでした」

翻訳会社のトライアルに応募しようと考えていた矢先、趣味で参加していたメーリングリストで食品関連の翻訳ができる人を募集する告知があり、約100ページの冊子の翻訳を受注した。しかし、栄養学や薬理学に明るくない瀬良さんは悪戦苦闘。何度も書き直した原稿に対するクライアントの評価は厳しく、報酬はわずか3万円だった。

「このつらい経験があったおかげで、次に受注した軍事設備関連の製造マニュアルの翻訳をやり遂げることができたんだと思います。書籍などで関連項目を調べておき、メーカーに勤めている知人や父親にチェックを頼み、少しずつ語彙を蓄えていきました」

以来、技術翻訳に特化するにつれて、受注は着実に増加。翻訳会社などを介した仕事が約7割だが、残りの3割はインターネットからの問い合わせに応じたり、東京で開かれる展示会で営業をかけたりして、直接受注したものだという。

「展示会では講演が併催されることもあるので、レジュメを訳してみたり、同時通訳を聞いてコツを学んだりしています。交通費はかかりますが、業界の最新動向を知り、近い将来に脚光を浴びそうな分野に詳しくなっておくことは大切ですから!」

そんな努力のかいあって、今では正月休みにも仕事を抱えるほど引き合いが絶えない。 「すべてが自己責任で、『上司や会社が悪いから』と言い訳できない潔さが私には合っているみたい。ずっと仕事があるという保証がないことだけが不安材料ですが、技術系であれば業種は絞らずに広く浅く受注する、価格や拘束時間がほかの仕事に悪影響を及ぼす場合は断るなど、私なりのルールを決めて再発注してもらえるクオリティを保つようにしています」と瀬良さん。独立時のおよそ5倍の収入が得られるようになった今も、「代わりはいない」と思ってもらえるプロフェッショナルになることを目標に、大好きな「モノづくり」を陰で支える努力を続けている。



PROFILE

瀬良 沙央理さん(37歳)

1971年、山口県生まれ。短大の英語科を卒業後、都市銀行の外為部門に配属されるが、体調を崩して1年足らずで退社。その後、大学への編入や結婚、離婚を経て、98年に岩国にUターン。実家に戻って家庭教師などのアルバイトをしながら、翻訳業のノウハウを独学で身につけ、2001年春に個人事業主として独立。

取材・文●服部貴美子 撮影●マツラヒデキ
協力●NPO法人インディペンデント・コントラクター協会

[ 2008.1.16 ]

営業ツールの写真

製造業に関する資料をネットなどで集め、日本語で理解することから準備が始まる

POLICY

翻訳業全体の相場を下げてしまわぬよう、内容に対して安すぎる仕事は、勇気を持って断る!

HOLIDAY

ここ2年間、受注好調のため休みなし。けれど、平日に買い物や銀行に行ける生活はとても快適。

MONEY

独立当初、収入の半分をアルバイトに頼っていた。それから7年で翻訳業の収入は5倍に増加。

SATISFACTION

初仕事をもらった相手から、「上手になった」と褒められて大感激。プロとしての実感がわいた。