CASE69SE(システムエンジニア)
プロワーカーという生き方は職業のリスクヘッジを可能にする
SEとして20年、プロワーカーとして10年のキャリアを築いてきた中島さんは、これまで「オラクル使いのプロフェッショナル」として、企業向け業務アプリケーションの開発にかかわってきた。仕事内容は、旅行代理店の会員向けサイト構築から手術用機器管理システムの構築まで、硬軟織り交ぜて幅広い。そして、その生活サイクルは過酷だけれども優雅だ。あるプロジェクトに携わると1年くらい仕事に没頭する。今年50歳になったが徹夜もいとわない。それが終わると必ず、2、3週間の休みを取ってリフレッシュする。最近は2週間、ニュージーランドに滞在した。
SEになったのは「偶然の産物(笑)」。大学卒業後に営業職で就職した会社がコンピュータを導入することになり、若いからという理由だけで担当者に任命された。ところが、自分が書いたプログラムが実行されることに面白さを感じてハマってしまった。
「そこからヘッドハンティングも含めて3回転職して、末端のプログラミングから設計やデータベース構築の仕事にステップアップしていきました。ただ30歳を過ぎた頃から、このままでいいのか?と考え始めました。かかわる業種は限られていて、やることは変わらない。しかも猛烈に忙しい。ずっとこのままでは会社員としてモチベーションが保てない、先が見えないなと」
漠然とした不安を抱えていた中島さんに、この先の指針を与えてくれたのは、仕事で出会った経営者の一言だった。
「その人は『1年は11カ月しかない』と言う。よく聞いたら毎年8月は仕事を入れずにボートに乗って遊んでいる。それを前提に仕事のスケジュールを立てている。定年になってからの自由な1カ月と、働き盛りのそれとは大きく違いますよね。自分もそういう生活をしたいと思い、40歳で独立しました」
ITは日常生活に不可欠な時代背景もあり、SEの仕事はいくらでもある。とはいえ10年間、第一線で活躍し続けるのは並大抵のことではない。中島さんには、2つ意識し続けていることがある。
「ひとつは、できないことはできないとはっきりと言う勇気。得意でない分野の仕事を焦って受けてはいけない。もうひとつは、専門性を絞り込むこと。ただ技術は日々進歩しているから、最新の動向を無視したらだめです。専門以外のことも気にかけて、流れにとびつく必要はないけれども、乗っていかなければならない。視野を狭くすることが専門性を高めることではないと思います」
中島さんが独立した頃は、プロワーカーという存在は全く世間に認知されていなかった。先駆者として歩み続けてきた今、会社員、正社員という立場に危うさを感じているという。
「私のようなプロワーカーは、いろいろな会社の仕事をすることで、職業としてのリスク分散ができている。今はもう、こういう生き方ができる時代になっているのに、正社員はひとつの会社に自分の運命をゆだね、会社がなくなると路頭に迷う。これは危険なことだと思います。何が安定で何が不安定なのか。この10年、20年で時代は大きく変わっているのではないでしょうか」
PROFILE
中島 清さん(50歳)
1958年、栃木県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、地方のメーカーに就職し、営業職からSEに転身。その後、東京のソフトハウスなどを経て、98年10月に独立。「オラクル使いのプロフェッショナル」として企業向け業務アプリケーションの開発を受け負う。これまでかかわった仕事は、繊維製品メーカー、旅行代理店、医療機器販売店、某公団、家電、携帯電話メーカーなど多種多様。
取材・文●山根洋士 撮影●井出マコト
協力●NPO法人インディペンデント・コントラクター協会
[ 2008.10.17 ]

オー・ヘンリーの短編集(洋書)は常に持ち歩いて読んでいる。心に染みる話が多いので息抜きと、英語の勉強にもなる
POLICY
得意分野以外の仕事はしない。自信を持ってできない仕事は勇気を持って断る。それが逆に信用につながると思う。
HOLIDAY
プロジェクト期間中も土日の休みはあるが、ほとんど仕事のことを考えている。まとまった休みが自分を解放できる本当の休み。
MONEY
金銭感覚はがめつくなったと思う。収入、支出に敏感になったし、買物でも値段と価値を考える、損得感覚が身についた。
SATISFACTION
製品の一部でも自分がかかわったものが、人に使われて喜んでもらえるのはうれしい。物作りの喜びを感じられる。