CASE66ビジネス・コンサルタント&コーディネーター

「外資」で得た経験と人脈を武器に人やアイデアと企業を結びつける

阪本さんは、外資系企業5社を渡り歩き、その合間にベンチャー企業の立ち上げと失敗も味わった。その経験と人脈を武器に、2007年11月からビジネス・コンサルタント&コーディネーターとして活躍している。

外資4社目の企業がインド系だった。その人脈からインドの富裕層向けショッピングサイト「美匠(びしょう)」をプロデュース。もともと医療に関心があったので、治験(新薬の実験)をスムーズにするシステム「メディビュー」の開発にも携わるなど、その活動範囲はジャンルを問わず多岐におよぶ。





山あり谷あり、まさに波乱万丈だった阪本さんの人生は、大きな3つのつまずきがあった。最初のつまずきは20代前半。父の会社を継ぐために、会社を辞めて理工系の大学に再入学したものの、卒業と同時に父親が亡くなり、会社を継ぐ道もなくなってしまった。
 やむなく半導体商社に就職すると、当時はIC化の時代で扱っている商品が飛ぶように売れる。活躍が認められ、85年にイタリア系企業にヘッドハントされると、次はバブルの波に乗って金融ソフトを売りまくる。93年には英国系企業に転身した。

「ここでは3年連続で世界のセールスランキングに名を連ねました。でも、外資はプロ野球選手と同じで、前年の成績がよくても今年がダメなら立場が危うくなる世界。トップクラスの営業成績をあげ続けるのがしんどくなってきた時に、並行して友人と3人でやっていた会社にベンチャーキャピタルから『出資するので上場を目指しませんか』という趣旨のメールが来たのです」

当時はネットバブルの絶頂期。オフィスも構えていないような会社でも、アイデアさえ面白そうであれば数千万円単位の出資の話が来るのも珍しくなかった。

「今思えば本当に考えが甘かった。何も準備していないところにいきなり話が来て、人柄も熱意も何も見ずに技術力だけで人を採用したりして。『会社は人がすべて』ということを痛感した出来事でした」

結局、その会社は3年で清算。2つ目の大きなつまずきの後、インドの大手IT企業の金融部門日本代表を経て、米国系企業に移りナンバー2の重責を担っていたものの、今度はそこが買収されることに。この3つ目のつまずきが、阪本さんに大きな決断を促すことになった。

「外資では個人事業主のような感覚でしたから、自分では自由にやっていたつもりだった。でも、しょせん会社の中の人間、雇われる側の人間だということに気づきました。この時も他社からの誘いはありましたけど、もういいかなと。今まで短距離走でたくさんの金メダルをとってきたけれど、これからは競争しないでずっと長くできる仕事をしていこうと思い、独立することを決めました」

阪本さんは、先述した事業以外に社会貢献活動にも熱心で、NPO法人女子教育奨励会(JKSK)の理事や、世界の子どもたちを支援する慈善団体の活動にも携わっている。また、長く外資系に勤めてきた「外資の視点」から、日本の中小企業が持つ強みと弱点をこう分析する。

「真面目でコツコツやる人は多いけれど、トレンドを読むことにたけていない人が多い。みんな目先の仕事に追われているのでしょう。外資はいかに効率よくパフォーマンスを上げるかが重視される世界です。私も世の中の流れを読んで、様々なアイデアを出して、結果を出してきました。そのノウハウを生かして、人と人、アイデアと会社を結びつける。そんな存在になりたいと思っています」



PROFILE

阪本 正彦さん(54歳)

1953年、三重県生まれ。明治大学卒業後に就職した海運会社を退職し、早稲田大学に再入学。卒業後、父の会社を継ぐのをあきらめ半導体商社に入社。85年にイタリア系企業にヘッドハントされたのを皮切りに、英国系、インド系、米国系企業を渡り歩く。2007年11月、勤務先が買収されたことをきっかけにビジネス・コンサルタント&コーディネーターとして独立する。

取材・文●山根洋士 撮影●井出マコト

[ 2008.09.05 ]

営業ツールの写真

名刺入れには、外資時代に出会った各界のトップクラスの人たちの名前がずらり。アイデアを模索する時に眺めたりもする

POLICY

仕事も遊びも人生をポジティブにとらえて楽しむ。また、外資時代も「日本のために」という気持ちは忘れていなかった。

HOLIDAY

自宅オフィスで一日中パソコンに向かっている。休みと仕事の区別はないし、新しいビジネス企画が成功するまで休む暇もない。

MONEY

ボーナスを含めて富裕層的高給取りだった会社員時代と比べて、当面は大きく収入減。今は資金調達に注力している。

SATISFACTION

自分の功績が上司を支えているのが会社員。多くの友人たちのために支え、支えられる仕事ができるのが独立したプロの生きがい。