CASE64ITエンジニア

“継続は力なり”をモットーに15年目を迎えたプロエンジニア

会社員からプロワーカーとして独立を果たす過程には、多大なエネルギーを要するだろう。しかし、独立はゴールではなく通過点。10年、20年と継続していく過程にこそ大きな力が必要なことを、長く続けてきたプロワーカーたちは知っている。ITエンジニアになり20年、独立から15年目を迎えた長谷川さんも「続けることに価値がある」と考えている。

「私がずっと心がけてきたことといえば、お客さんや周辺関係者と良好な人間関係を築きながら仕事を進めることでしょうか。お客さんの要望に沿ったシンプルで使いやすいアプリケーション・ソフト作りを20年間続けてきました。特別なスゴイものを開発しなくたって、真面目にコツコツと長く続けることもその人の付加価値になっていくものだと思います」



中学生の頃からプログラミングを独学し、ゲームソフトを自作していた長谷川さんは、ゲームメーカーのコンテストに入選し市場リリースした経歴も持つ。専門学校時代にはソフト開発会社に出入りして受託開発のアルバイトをしていた。就職口もアルバイト先で知り合った先輩エンジニアが設立した会社から誘いを受け、すんなりと入社した。

「これまでずっと周囲から仕事をもらえたので、営業はしたことがないんです。6年間勤めた会社から独立する時も、当時の取引先をそのまま引き継ぎました。もともとフリーのエンジニアが集まってつくった会社だったので、独立には理解を示してくれました。月給制が出来高制に変わったくらいで、大きな変化はなかったですね」

そんな長谷川さんにピンチが訪れたのは独立3年目のことだ。前職から引き継いだ取引先が経営破綻の末に倒産。当時、取引先を1社しか持たなかったため、仕事がゼロになってしまった。

「そのうち仕事の依頼が来るだろうと何にもしないで待っていたら、3カ月間電話も鳴らなかった。さすがに『バカじゃないの』と思いましたよ(笑)。そんな折、その倒産した取引先の社員が新しく会社を設立したから仕事を頼みたいと連絡が来ました。ホント、人には恵まれていると思います」

そう語る長谷川さんだが、「受けた仕事は最後まで完遂する」という姿勢が周囲の信頼を集めているのだろう。近年、開発案件の外注率は以前にも増して高まり、フリーエンジニアの仕事機会は増えている。一方で納期に間に合わない、要件を技術的に満たせないなどの理由から納品に至らず契約が解除されるケースも生じている。そんな中、長谷川さんはこれまでに47社から130件以上の開発を請け負い、一度たりとも納品に至らなかった案件はないという。

「地道ながらも着実に続けるためには自己管理する努力も必要です。私は3年前からワンルームの事務所を借りて仕事をしています。自宅から歩いてすぐですが、9時に出勤してお昼も家へ戻らず持参した弁当を事務所で食べます。30分くらい昼寝をした後に仕事を再開して17時には切り上げる。夜遅くまで働いて無理をしないことも、長く続けていく秘けつです」



PROFILE

長谷川 和寛さん(42歳)

1966年、富山県生まれ。コンピュータグラフィックの専門学校で学び、ソフトメーカーに入社。開発室長として6年間勤務。パッケージソフトや業務システムの企画・設計・開発・保守などに携わる。94年に独立し、ソフトウェアやWebサイトの開発に従事。同業の個人事業主と連携し、共同受注による開発なども行う。

取材・文●岩見浩二 撮影●井出マコト
協力●NPO法人インディペンデント・コントラクター協会

[ 2008.08.01 ]

営業ツールの写真

独立して最初の大きな商談が決まった時にしていたサスペンダー。以来、げんを担いで大切な仕事の時に着用する

POLICY

仕事は「真面目に取り組み、最後までやり遂げる」こと。それは“プロの仕事”として当たり前のことだと考えている。

HOLIDAY

土日はほとんど休めている。深夜に仕事をしないで済む時間管理をし、体と心にゆとりを持てる生活リズムになった。

MONEY

会社員時代と比べると、年度によって収入の波はある。が、年収の少なかった年でも会社員時代とほぼ同額をキープ。

SATISFACTION

個人の頑張りも会社員時代は会社の成果になっていたが、今はすべて自分に返ってくる。やりがいや満足感は倍増。