いわさわ・さとし/神奈川県出身。縁日の金魚すくいをきっかけに、30代後半から金魚飼育を開始。電機メーカーに勤務中、過労で脳梗塞に、翌年には狭心症で救急搬送。療養のために退職し、2年後に独立。最高の褒め言葉は「金魚変態!」と呼ばれること。
店のノベルティグッズを数種類制作。いっさい販売はせず、店を応援してくれるサポーターだけに恩返しでプレゼントするもの。それを今回は特別公開!
金魚との出合いは30代半ばからです。家族で縁日に行って、金魚すくいをしたんですよ。その金魚がわずか数日で死んでしまって。ショックというか、なぜ死んだのか、死なないためにはどうすればいいのか、と悩んだのが始まりです。さっそくショップへ行って別の金魚を買ってきたのですが、またすぐに死んでしまう。生き物がすぐに死ぬっておかしいですよね。ネットで調べたり、店頭のスタッフに聞いたりして、何とか死なない方法を探ろうとしたのですが、うまくいかない。人の意見を鵜呑みにせず、自分で試行錯誤しながら飼育を続けるうち、数カ月で“死なない”ノウハウが見えてきて、それから金魚にハマって今に至ります(笑)。だからと言って、「よし、金魚で起業するぞ!」と意気込みがあって会社を退職したわけでもないんです。
会社員だった当時、残業は毎月100時間を超えていて、連日帰宅は午前様。金魚だけでなく(笑)、子どもたちと顔を会わせる時間もない。そんな日々が続いたせいか、過労がたたって、40歳前に脳梗塞を起こしてしまい、倒れて救急車で運ばれました。その時は血栓が血流で自然に流れたらしく、病院へ運ばれた時には回復したのですが、翌年に、今度は狭心症を起こして、またもや救急車のお世話に。このままでは自分が死んでしまうと、会社を辞める決意をしたのです。43歳の時でした。今も通院はしていますが、退職して金魚の世話しながらのんびり生活していたら、不思議と体調が良くなったのです。金魚のいやし効果を身を持って体感したわけです。将来をどうしようかと考えた時に、この年齢で再就職は無理。じゃ、自分には何ができるのかと考えた末に、「自分には金魚しかない。それ以外の道はない」と思ったのです。
約18坪の店内には25種類以上の国産金魚とメダカが種類別の各水槽に。「見学だけも長居も大歓迎」。金魚好きが気軽に立ち寄れる憩いの場になっている
勝算はありました。というのも、金魚業界に限らずでしょうが、趣味の世界の商売というのはどこか閉鎖的というか、「売ってやる」「つくってやる」的な、愛好家の足下を見ているようなことが多い。おかしいですよね? 商いのモラルや常識、ごくごく当たり前のことが、どこか欠落している。そんな業界への不満や不足をずっと感じていたので、自分で商売をするならば、僕が行きたくなるような店、僕がほしい商品、僕が嬉しく思える対応であれば、愛好家のニーズに応えられ、商売としても成立するはずだと思えたのです。考えてみたら、何も特別なことではなく、当たり前のことですけれどね。儲けてやろうとか、売ってやるではなく、自分もお客さんも生産者も関係者も、みんながハッピーになれるような店。それを好きな金魚をとおして自分でやろうと思ったんです。
ただ零細の個人事業ですから、器ではなく中身で勝負だと。開業資金もないので、身の丈でできることをしようと、店舗は、飼育場所にしていた自宅ガレージにしました。退職時に通勤に使っていた車を手放したので、車庫にも水槽を置いていたのです。その車庫を改造して店に。品ぞろえは、経験則から自分が納得するものだけを揃えました。在庫を抱えると価格に反映せざるを得ないのでお客さんに負担をかけることになる。そういう経営はすべきではないし、それが差別化になると考えました。えさや飼育用具なども、「これは!」と思える商品のみを厳選。そして、金魚は日本国内産にこだわり、自分で繁殖させた金魚をはじめ、全国の生産者のもとを数カ所訪ね歩いて交渉しました。品質、状態や販売価格と商品の安定供給を考え、市場や卸をとおす商業ルートよりも自家生産、生産者直買、契約ブリーダーからの仕入に重きをおいたのです。金魚大好きの僕が開く金魚専門店ですから、自分が納得できないことはしないと決めたんですよ。
広告宣伝は、県道沿いに立てたのぼり、ショップカードを知り合いの店に設置、それと知り合いにWebサイトをつくってもらったぐらい。それでもクチコミ効果なのか、全国各地の遠方からもお客さんが来てくれます。価格も、自分が買うならこの価格という設定。1つの水槽には1品種のみを入れて、非売品は店頭には置きません。店主の自己満足で、非売品のお宝金魚を店頭の水槽に入れている店ってあるでしょう? そういうの、客の立場からすれば嫌ですもんね(笑)。そうそう、水質管理用のスポンジフィルターも、1年目にオリジナルを開発しました。既存のフィルターを改善してほしいと関連各所にも申し入れたのですが。「できない」と。できないんじゃなく、本音は面倒くさいのだと思います。それで、余計に僕の使命感が燃えちゃって(笑)。つくってくれるメーカーを探し歩いて、1年がかりで開発して、開業の翌年に当店オリジナルで販売を始めました。今や当店の主力製品です。
金魚は文化も歴史もありますが、高価な鑑賞物というよりも、庶民的なペットなんです。僕が金魚にいやされたように、ひとりでも多くの人に金魚にいやされてほしいし、その魅力を知っていただきたい。どこか昔なつかしい日本の金魚で、心温まってほしいという意味の「懐古」と、ここに人が集って気持ちを潤してほしいとの思いで「堂」をつけ、「懐古堂」という店名にしたんです。初心者からマニアまで、ただ見るだけでも気軽に遊びに来ていただけるお店にしたかったし、また、金魚をとおして、お客さん同士が仲良くなってくれたら、なお嬉しいなと。開業から3年目ですが、今、そういう店になっていることが何より嬉しいです。金魚は夏だけのものではなく、うちの金魚は冬でも元気なので、オールシーズンのペット、家族として可愛がっていただきたいですね。開業前に、顔が見える商い、気持ちが通じ合う商いをしたい、と思っていたので、今後も変わらず、金魚好きがひとりでも増えるよう努めていきます。
独立を具体的に考えたのは、体調を壊して退職して1年後、失業保険給付金の受給が終わってからです。この年齢では再就職は難しいと自覚していたし、それじゃ、自分には何ができるのかと考え、「自分には金魚しかない」と。そして“雇われのアカ”を落とすことに専念し、自分の身も心もリセットして、愛好家として自分が望む店づくりをじっくり考えました。逆に言うと、焦らず考える時間と環境があったから、じっくり考えることもできたのだと思います。
約300万円です。店舗は自宅のガレージを改造しました。窓と出入り口を増設し、断熱材などを入れてもらうなど、工事費で40万円です。知り合いに頼んだので特別割引価格でしょう(笑)。あとは、什器で90万円、金魚や備品仕入れで約170万円、県道に立てるのぼり製作費が1台2500円でした。ショップカードなどは自作です。
これまでの貯蓄を充てました。
妻は「一度命を落としたようなものだから、好きにしていい」と言ってくれました。退職してから2年間、ありがたいことに妻は文句ひとつ言わず、のんびりさせてくれました。おかげで、自分も焦らずに将来を考える時間がたっぷりあったのです。これが大きかったですよ。焦って考えたら、ろくなことにならなかった。今はないと思いますから。親は「大丈夫なのか?やっていけるのか?」と心配してくれました。自分も不安はなかったと言えばうそになりますが、「頑張る!大丈夫!」と自分に対しても言い聞かせていました。
勝算はあると思ってはいましたが、やはり不安でしたね。それでも、自分がこれまで積み重ねてきたスキルを当てはめることに専念しようと思いました。金魚に関することはもちろんですが、会社勤めの時に習得したスキル、経営やマーケティングのノウハウ、身近だった経営者の視点や思考法を思い出し、自分のプランがその視点に合っているか、考えに偏りがないか、バランス感覚は取れているか、確認することに集中しました。
これまでの経験すべてが役に立っています。金魚に関すること、愛好家としての経験値、会社勤めの時に習得したスキル、経営やマーケティングのノウハウも含めてです。会社員時代は、他業種の経営者から話しを聞ける立場だったので、当時聞いた経営者の視点や思考法を思い出しながら、自分の開業プランを確認することもできました。
特に相談はしませんでした。金魚専門店での独立ですから、公共機関の相談窓口やコンサルタントの先生に相談しても、金魚業界の説明からしないと通じませんからね(笑)。しいて相談相手を挙げるなら、妻ですね。
定休日を一応は設けているのですが、もし金魚のことで何か相談しにお客さんがいらっしゃったら困るだろうと、実質は年中無休です。開店以来、お店を休んだのは計3日ぐらいでしょうか。会社員だったらつらいでしょうが、まったく苦痛じゃないんですよね(笑)。ただ、開業して2年間は私ひとりで店をやっていたので、風邪をこじらせた時はまいりました〜。当時パート勤めしていた妻が早退して店に来てくれて助かりましたが。2010年11月からは妻も加わって、2名体勢になったので、仕入れに出かける機会も増え助かっています。
毎日、良かったなぁと思っています(笑)。お客さんが気軽に立ち寄ってくれて、お客さん同士も仲良しで、初めて来店したお客さんが金魚に興味を持ってくれて、喜んでくれる。この店の雰囲気は、自分がお客として理想の空間ですから、それを実現できていることが嬉しいです。開業9カ月目から、顧客懇親クラブ「葉山金魚倶楽部」を始めまして、会員数は現在60名までになりました。お客さん同士で仲良くしてくれる人、継続的にお付き合いしてくれる人、懐古堂に貢献してくれる人、限定なんです。そんなルールも、自分の店だからこそできたことだと思います。
僕自身、人の意見に左右されるタイプではないので、メッセージというほどのことは言えませんが、自分の力や経験を信じて自分で決めたことを実行するに尽きると思います。誰かを頼る気持ちが残っているようではダメ。本気で独立したいなら、早くその感覚から脱することです。舵を取るのも、推進力を発するのもすべては自分次第。なので、自己満足にならないよう、考えが傾いていないか、常に心身のバランスを意識して挑む必要があると思っています。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報