あらい・ただし/埼玉県出身。中学生の頃から自転車製作に夢 中になり、高校卒業後は片倉自転車工業に入社。4年後に一度 独立するも、7年後に再就職し18年勤務。名車「シルク号」の復活・ 伝承を使命に48歳で独立。自宅と工房の往復50qは毎日自転車通勤。
27歳の時に入手した300坪の土地に、自分でプレハブを建て作業場に。廃業した自転車メーカーから譲り受けた工作機械が随所にあり、中には戦前生まれの現役重機も
子どもの頃から自転車店に入り浸り、「自分が乗りたい自転車をつくりたい!」とずっと思っていました。父が大工だったせいか、「ものはつくれる、自転車だって同じだ」と、物心ついた時から自然と思い込んでいたんです。お金持ちなら欲しい自転車をすぐに買ってもらえただろうけれど、幸いにも貧乏だったから(笑)、どうしたらできるかを一生懸命考えるんですよ。高校では自転車競技部に入部。自転車をつくるのも、いじるのも、走るのも、何でも一番になりたかったから。ロードレース競技では、関東大会で優勝、インターハイでも入賞。ロードレースサイクルの魅力にはまりました。自転車メーカーに入れば「手っ取り早く自分でつくれる!」と、高校卒業後、片倉自転車工業に求人募集もないのに無理やり入社(笑)。この会社は、かつて世界のスポーツサイクル界で名車と称された「シルク号」を製造するメーカーで、東京オリンピックやアムステルダム世界選手権でも日本代表チームの使用自転車として採用されていました。
その憧れの会社に入社し、しかもレーサー技術開発部に配属されて、好きなレースサイクルづくりに没頭できるものだから、毎日が面白くて面白くて。ところが22歳の頃から、業界全体の景気が急速に悪化し、自分もまだまだ子どもで生意気盛りだったものだから、「自分はもう職人として一流。ここでこれ以上学ぶことはない」なんて思っちゃって。じゃ次は何だろう、自転車の世界で何かほかに一番になれるものはあるのか?と考えたんですよ。ロードレーサーとしては世界を目指せないことは自覚していたから、選手としては無理。でも、職人としてなら世界一を目指せるんじゃないかと。「技術もある、経験もある。それじゃ自分で自転車をつくって販売してみよう」と決断し、会社を退職。振り返って考えてみると、大人の世界をまったく知らない子どものまま、独立してしまったようなものでした。
自転車のフレームを削る仕上げ作業。設計図は引かず、個々のレーサーの微細な要望に合わせてオーダーメイドしていく。工房にはプロやアマを問わず、来客が後を絶たない
そしてスポーツサイクルの製造販売店「サイクルファクトリーアライ」を始めるのですが、いざ外界に飛び込んでみて、「まさかこの俺が!」と愕然としました。まったくうまくいかないわけです。自転車業界にも販売網の既得権があって、同エリア内の既存店が優先され、当然、子どもが始めたような新店は、はなからはじかれる。だったらと、オリジナルのスポーツサイクルを組み立てて販売したのですが、それ自体もメーカーからすれば面白くない。部品メーカーも同調して、部品を卸してくれないなんてこともありました。だったら、「部品から特注してつくればいい!」。27歳の時に、300坪の土地を買い、工房を自分で建てて、メーカーに比重をシフト。固定客は付くようになったのですが、円高の猛威に襲われ、国内自転車メーカーが次々と倒産。海外から部品を仕入れて組み立てたら、メイドインジャパンの自転車とは言えません。「俺がつくる意味ないじゃん」と……。今さらですが、つくづくメーカーになるのは大変だと痛感しました。
ちょうどその頃、台湾の自転車メーカー「GIANT」から採用通知が。2年以上も前、このまま継続できるか悩んでいた時、急速にシェアを伸ばし始めていた「GIANT」に履歴書を送っていたのです。送ったことさえ忘れていたのですが、「日本進出のため新会社を設立する。その第1号社員に採用したい」と。経営の勉強のつもりで行ってみようと、即断しました。店舗は商品ごと無償で店長へ譲り、30歳で「GIANT」の日本販売会社に入社。そこで好き放題やらせてもらって、10年が過ぎた頃に取締役になっちゃいました(笑)。その間、片倉自転車工業は廃業し、「シルク号」を受け継いだほかの国内自転車メーカーも次々に……。その元技術者たちとは交流があったので、彼らが好きなように自転車製作できるよう、個人で保有していた工房のプレハブを増設して、各工場で不要になった機械工具を運び入れ、共同作業場として開放したんです。
そんな経緯で製作工房を開放しましたが、彼らも食えるほどは売れないらしく、自然とひとり、ふたりと作業場に来なくなってしまいました。おかしいですよね。へんな既得権があったり、営業活動をコントロールされたり、技術力がありながら為替レートの問題で廃れてしまう。農業もそうだけれど、業界の仕組み自体がおかしい。真面目にやって、力もある人たちが報われないなんて。フェアな業界にしたいという思いがますます募りました。ロードレースの世界は真面目な人がフェアに戦える世界なんです。「GIANT」在職中は好きなように設計できたし、日本での経営も軌道に乗り、今では世界規模の企業になりました。けれど、自分自身、どこか満たされないものがあった。「やはり、自分のブランドを持ちたい」。自動車で交通事故に遭い、半年入院している間、その思いがどんどんふくらんでいきました。自分と業界の満足を実現するなら、やはりフェアな仕組みをつくらなければ……。
「シルク号を復活させよう。そして、自社ブランドでオーダーメイドの高性能スポーツサイクルをつくり続けよう」。それこそ今の自分がすべきこと。その答えを確認できたことで、2度目の独立を決断。「GIANT」を退職しました。就職、独立、転職という紆余曲折を経ましたが、常に自分の心がやりたいと思ったことを正直に実践してきたからこそ、今にたどり着けたのだと思います。いつどのように独立準備をしたかと聞かれれば、自転車に魅了された中学時代からずっと。当時も今も変わらず、「自転車をつくりたい。もっとこんな自転車に乗りたい」という思いで、好きなことを突き詰めて実行してきただけ。お金を出せば欲しいものが手に入る、買えるんじゃなく、自分でいじって、考えて、“改める”を繰り返す。自転車も人生も同じで、決して安心・安全なものではなく、痛い思いをしながら進歩していくものなんですよね。「リスクがあるからこそ、面白いんだ」という人生の真理を、ものづくりの伝承とともに後世に伝えていきたいなぁ。
父が大工だったので、子どもの頃から「ものは自分でつくれる」と思って育ちました。欲しいものは自分でつくるのが当たり前で、お金持ちなら買ってもらえるものでも、貧乏だと自分でどうにかしようって考えるじゃないですか。「起業するんだ!」とか、「独立だ!」というのが先ではなく、「いい自転車に乗りたい! レースに出場するなら速く走りたい! 問題があれば自分で改善する! そのためにどうしたらいいのか?」。常にそんな心の声が、自分を前に進めてきました。中学生の頃から、まったく変わっていませんね(笑)。「素晴らしい自転車をつくりたい」。それが独立の動機です。
2006年6月に開業した時の開業資金はゼロ。22歳の時に開業した「サイクルファクトリーアライ」の開業資金は700万円で、店舗取得費に300万円、残りは仕入れと工具費などです。工房を建てたのは27歳の時。70坪の土地付き建物を2800万円で購入して、今ある4棟のプレハブはすべて自分で建てました。材料費はそんなにかかっていません。機械類は、廃業した自転車メーカーなどから無料で引き取ったものが多いですね。
22歳の時に用意した開業資金の700万円は、貯蓄から捻出した自己資金350万円と、残りは国民金融公庫(現・日本政策金融公庫)からの融資です。
名車「シルク号」を復活させるため、2006年に再度独立した時、周囲の反応は、「当然だろう」というものばかりでした(笑)。当時、取締役を務めていた「GIANT」や片倉自転車工業やほかのメーカーの元関係者たちも、かつての技術を伝承できるのは荒井しかいないことを認めてくれているはずです。
不安はありませんでしたが、会社勤めをしていた頃に、「もっとこうしたい」とか「だからうちの会社は」なんて文句言っているのがどれだけ楽なことか。独立したらそんなこと言っていられませんからね(笑)。自分が好きな自転車「シルク号」をつくりたい、という思いだけで独立したけれど、最初の年の冬に、寒い工房でひとりでいると、「自分は世の中から必要とされていないのでは?」という孤独を感じたことも。まぁ、今はいろんな人が訪れてくれるようになりましたから、孤独の不安は感じなくなりました。
やはり自転車業界で培ってきた経験ですね。ずっと自転車一筋ですし、国内外の業界の事情も知り尽くしてきました。いい面も悪い面も含めて、すべてが役に立っています。
1度目も2度目も、独立する際の相談相手はいませんでした。自分で決めることですから。
初年度の冬に感じた、どうしようもない孤独感ですね。いつかは良くなると思うしかなかったです。ものづくりの伝承をしたい、その一心で克服するしかなかったですね。
何も制約がないことです。自分自身に対峙して生きていること。本当に人間らしく生きていける働き方だと思います。また、「世田谷ものづくり学校」でワークショップなども開催しているのですが、自転車が好きな人に、ものづくりの楽しさを知ってもらえるのも面白いです。工房には、顔なじみのプロからアマまで多くの自転車マニアが訪れますが、自転車で旅しているという海外からの客人もたまにやってきます。自分らで工房内の道具を使ってメンテナンスしていくんですよ。そういう自転車が本当に好きで、ものづくりも好きという頼もしい若者に出会えるのも、独立してからの喜びですね。
独立に限らないかもしれませんが、自分が満足することで、世の中にも満足を与えられることは何か。自分には何ができて何ができないのか。それを考えながら「人間としてどう生きるか、生きたいのか」が、独立という生き方だと思うんです。儲かる、儲からないではなく、どう生きていきたいのかを真剣に考えて独立してほしいと思います。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報