あんどう・ひでお/愛媛県出身。大学卒業後、エアゾール製品 の受託製造会社に20年間勤務し、開発・営業に従事。顧客の ニーズに応えたいと独立。座右の銘は、高校の世界史教師の口癖だった「絶頂の時に没落の要素あり」。愛犬の散歩が日課。
外壁の厚さが約20pもある防爆壁と扉で守られたエ アゾールの専用充填棟。ガス貯蔵庫と防火用水タンク を両側に配置したことで配管も短く、効率的で安全性も高い
会社員の時に取引先からよく、「試作品をつくりたいが、小ロットでできないか」という声を数多く聞いていました。でも、エアゾール業界のロットは、通常だと20万〜30万本、最低でも5000本以上なんですよ。エアゾール製品とは、溶液とガスをボトルなどに充填して製品化するのですが、スプレー製品、化粧品、塗料、殺虫剤など、製品ごとに使用する溶液もガスも技術も生産プロセスも異なるので、ひとつの製品を製造するには、充填工程全体を変える必要がある。つまり、品目ごとに機械や装置を丸ごと変更するわけです。受託会社とすれば、小ロットではコストも手間もかかるうえ、全体の生産効率も下がる受けたくない仕事。世の中に流通しているスプレー製品のほとんどは、私が勤めていたような専門業者が受託して充填しているのですが、日本に20社ほどしかありません。中には化粧品だけ、建築塗料だけといった特定の製品なら小ロットでも受ける充填受託会社はありますが、条件が限られています。私が担当したお客さんの中には、製品化をあきらめたり、ロット数が多すぎて大量在庫を抱えた会社も……。中小企業や個人事業主にとっては死活問題なんです。
優れた技術やアイデアを持ちながら、ロット数の問題で事業化できないと、エアゾールの発展可能性がなくなってしまう。何とかお客さんの思いに応えられないか。どんなものでも多種多品目を小ロットで充填できる工場がつくれないか。たとえ生産効率は低くても、儲けよりもニーズに応えたい。そう思い、勤務先の仲間3人で起業を決意しました。とはいえ、先に述べたように、充填受託会社は日本に20数社と狭い業界で、部材や材料の供給会社も限られています。勤め先の競合になりかねない独立ですから、へたに在職中に独立準備をして悪評が立ってしまっては元も子もありません。道理を通すために、退職するまでは独立準備をいっさいせず、退職後、「小ロット生産市場に特化した事業を目指す」と社長にあいさつし了承してもらいました。
締めたボルトにかぶせて押すだけで、正確なI線が 引ける「ボルトマーカー」。保守点検の作業効率を 上げるため、鉄道、運送、建設会社からオファーが続々
2007年2月に退職したものの、生産工場はこれから探すという状況でした。一定の広さと近隣の理解はもちろん、高圧ガスの製造許可やエアゾール取り扱い申請、危険物取り扱い許可や資格なども必要で、何より物件探しの前に不動産会社に示す会社登記が先決です。各種の申請や資格取得をしながら、実際に会社登記できたのが7月。その間、一家の主として無収入では困りますので、理解くださった化粧品メーカーに短期間再就職させていただき、仕事をしながら準備を進めました。工場の物件は、物流コスト削減を考えて溶液メーカーが多く点在するエリアで探し、300坪の元倉庫という好物件を発見。2008年3月にようやく改装工事に着手したのですが、その時点で初めて予想以上に設備工事に費用がかかることが明らかになったのです。工事はもう始まっているし、1日も早い稼働を待っているお客さんが大勢いる。資金問題を早急に解決せねばと、民間金融機関に相談に行きました。
そこで、埼玉県の融資制度を紹介してもらったんです。パンフレットを見ると、適用条件にぴったり! これで何とかなると安堵したのもつかの間、「安藤さん、事業のアイデアは面白いですが、審査は下りませんよ」と。起業前なら制度に適していたのに、すでに登記が済んで、起業しているタイミングでした。資本金もすでに3000万円あり、10名以上の株主がいる。これでは起業支援のために融資制度は受けられないというのです。わらをもつかむ思いで、埼玉県創業・ベンチャー支援センターへ駆け込みました。そこで事情を話すと、「危ないですね。こういう起業前倒産って、たまにあるんですよ」と言われて(苦笑)。一時はどうなることかと思いましたが、この支援センターのアドバイザーのご指導のおかげで、3カ月後には融資が受けられることに。独立して最初にして最大の難関を脱することができたのです。
会社設立11カ月後にようやく充填工場が稼働し、化粧品、医薬部外品、建築剤、塗料など、分野を問わず多種・小ロットの充填委託を受けています。株主さんからのご紹介もあり、現在までに約50社と契約。簡単な自社ホームページも立ち上げました。そこからの問い合わせも多く、必ずと言っていいほど最初に「小ロットって何本からやってくれますか?」と聞かれます。「何本からでも」とお答えすると、皆さん一様に喜んでくださり、本当に起業して良かったと実感しています。また、弊社の充填工場は広さも十分あります。そのスペースを生かして、お客さんの倉庫代わりとしても利用いただいています。当社で製品化したものを、ここで保管し、受注に応じて当社の倉庫から卸先へと運べるため、物流コストも抑えられると喜ばれています。
また、お客さんとオリジナル製品の共同開発も行っています。2011年1月には、オリジナルの染毛剤の販売をスタート。通常の染毛剤は、2種類の溶剤を混ぜて使用しますが、この製品はボトル1本でOK。空気に触れずガスを充填できる当社の技術力を応用し、ボトルをプッシュした時に初めて空気に触れ、酸素に反応させるという仕組みです。また、エアゾール技術を応用した「ボルトマーカー」も共同開発によって製品化。常に高い安全性が求められるボルトは、ゆるみ確認をするために手書きでマーカーを引くのですが、それを一瞬で、しかも立った姿勢のままマーキングできるようにしました。スリットの入ったハウジングという特殊工具と、特殊エアゾールのセットで使用するものですが、それらの器具も当社で開発。各種ボルトの形状に合わせて専用製品を提供していく予定で、すでに大手鉄道会社への導入が予定されています。まだまだこれからも、世の中にこれまでないエアゾール製品の生産・開発に特化して、ニッチなニーズに役に立つ企業として、着実に発展していきたいと思っています。
何と小学校の卒業文集に、「大人になったら社長になる」と書いていたんですよ(笑)。父は会社員だったのですが、子ども心にどこか漠然と「雇われの身では、頑張りを正当に評価されない」と感じていたのかもしれません。でも、大学卒業後はエアゾール製品の受託製造会社に勤務。そこで仕事柄、多くの経営者とじかにお話しする機会に恵まれたことが、独立への後押しになったと思います。経営者の苦労話を多くうかがってきましたし、小ロットで生産できないかいうニーズに、雇われの身としては応えられないことがもどかしくて。「たとえ生産効率は低くても、儲からなくても、お客さんのニーズに応えたい。応えられる多品種・小ロットの充填受託会社が必要だ」と、独立を決意しました。
約5000万円です。エアゾールの充填機械の新設と設置工事で1500万円。高圧ガスの保管所や製造現場の防爆設備工事などで1500万円。実験室と事務所倉庫の改造費、事務機器などで500万円。工場と本社の土地借地代で60万円。部材仕入れと運転資金で約1000万円です。
自己資金は500万円強です。事業化に賛同してくださる15名の方に株主になっていただき、3000万円の出資を集めました。当初はそれで生産工場もつくり、始動できると考えていたのですが、思いのほか設備投資に費用がかかることが判明。そこで、埼玉県創業・ベンチャー支援センターに相談し、結果的に日本政策金融公庫から2000万円、埼玉県の独立開業貸付制度で1000万円、銀行から500万円の融資を受けました。
家族には心配をかけたとは思いますが、一度言い出したら聞かない性格も知っているのか、好きなようにやらせてくれました。狭い業界ですから、勤務先には独立するとは言わず、一身上の都合でと退職。退職後に改めて、社長に事情を話しに行きました。それまでの取引先には事後報告でしたが、中には「いずれは独立すると思っていた」と応援してくださる経営者も多かったですね。もちろん、元勤務先の迷惑にはならないように努めています。その点は今でも非常に気を使うところです。
不安だらけでした(笑)。まず法人登記をしないと、工場と本社の場所探しはできません。工場もない状態で独立したわけです。家族を養う責任もありますから、工場が稼働するまでの間、事情を話してご理解いただけた化粧品メーカーさんに約半年間、雇っていただきました。本当にありがたかったです。工場予定地も見つかり、約束どおり退職。そして、いざ改装工事がスタートしてから、予想以上に設備投資の費用がかかることが判明。それから数カ月間、融資を受けられるかどうかの間は、さらに不安がふくらみましたね。
エアゾール充填業界に長年従事してきたので、その間に得た経験が大きいです。取引先の経営者の方々から、起業当時のご苦労話を聞かせていただいたことも役立っています。資金面では、埼玉県創業・ベンチャー支援センターの担当者のプロの指導ですね。この出会いがなかったら、起業前倒産になっていたかも。後述する「独立して一番困ったこと」の救世主でした(笑)。
技術的なことは、共に起業した元同僚の仲間です。とはいえ、資金面のことで窮地に陥った時に、社長である私が動揺している姿は見せられません。それを隠している時は正直つらかったですね。経理担当者もいませんでしたから、簿記入門書を購入して一から勉強しました。
工事に着工してから、設備投資の費用が思った以上にかかることがわかった時です。相談に行った金融機関から、県の融資制度を紹介してもらったんです。これなら条件に合うとホッとしたのもつかの間。細かな条件が合わず、審査が通りそうもないと……。その後、相談にうかがったのが、埼玉県創業・ベンチャー支援センターです。担当してくれたアドバイザーが金融機関出身で、申請書類作成から公的融資機関への問い合わせ、交渉まで親身に対応してくれたことで、トータル3500万円の融資獲得に成功。当時の自分を思い出すと、ぞっとします。その窮地を乗り越えたら、何も怖くなくなりました(笑)。
責任は大きいですが、やはり自分に決定権があり、自分でやっただけの結果を出せることに尽きると思います。お問い合わせで「小ロットとは何本からでしょうか?」と必ず聞かれるのですが、「何本からでも」とお答えすると、驚かれます。業界の常識では桁が2つ違いますから。その驚きと喜んでいる声を聞くと、本当に独立して良かったと思います。
独立するなら早いほうがいいと思います。先輩経営者から「遅くとも45歳までに独立しないと体力が持たない」と聞いたことがあって、その時はピンとこなかったのですが、今なら自分もそう思えます。起業当初は、業務を分担できるほど専任スタッフを雇えませんから、どうしても社長自ら経営も経理も営業もやらざるを得ません。ひとりで負担する業務が多いうえ、専門分野以外の業務もこなすと、チェック作業も大変です。休んでいる暇がない。かつて趣味だったゴルフには、独立してから1回しか行っていません。しかも仕事が気になって、心の底から楽しめませんでした。もちろん、経験を生かした事業での独立であれば業界を知り尽くすことも大切なので、早ければいいというものでもありませんが、独立当初は何でも自分ひとりでやる覚悟と、体力的にも精神的にも頑張れる気概が大切です。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報