ほし・のりふみ/東京都出身。育ちは横浜。運送会社に勤務中、植木職人を見かけて漠然と憧れる。その後、造園、建設、植樹会社へ計4回の転職を経て、植木職人で独立。造園技能士。趣味はスノーボード。プロ野球は横浜ベイスターズのファン。
1.5tトラックと軽トラックを有し、現場に合わせ使い 分け。荷台の工具は仕事の必須アイテム。夏は虫除け も欠かせない。剪定ゴミはひとつ残さず持ち帰り、専門業者で廃棄
運送の仕事をしている時、走行中に何度か植木職人を見かけて、「面白そうな仕事だなぁ」と思ったのがきっかけでした。ある日、信号待ちで、ちょうど樹木を剪定している姿を見て、数日後に再びその信号で停止して見ると、住宅の庭木がとてもきれいになっていて、「すごいな?」と憧れましたね。当時、勤務先の社長の人柄にも、経営方針にも、労働環境にも疑問を感じていて、「この仕事は長くは続けられない。運転免許さえあれば誰でも就けるのとは違って、手に職のある仕事に就きたい」との思いが増しました。その後、社長と意見が合わず、とうとう口論になり、解雇。ハローワークで見つけた造園会社に迷わず転職したのです。最初は掃除ばかりでしたが、親方に「教えてほしい」と頼んで、剪定の基本から教えてもらいました。ですが、天候に左右される仕事だし、収入も不安定。当時はそれがイヤで、屋内での仕事で手に職を付けようと建築内装会社に転職したんです。
転職後すぐに地方の現場へ1カ月出張。そこで、同じ横浜から出張で来ていた内装職人の親方に出会い、人柄にほれました。この人の下で働きたいと、工事終了後に頼み込んで転職。仕事も人間関係も良くて、いずれはこの仕事で独立しようと頑張っていたのですが、1年ぐらいたった頃、工事の機械音で持病が再発。子どもの頃、耳のすぐ近くで爆竹を鳴らしたせいで、片耳が難聴なんですよ。機械音から出る一定の周波数のためか耳鳴りがひどくなり、夜も眠れない状態に……。泣く泣く退職しました。休養と通院で耳鳴りは治癒し、「やはり植木職人を目指そう!」と、またハローワークで見つけた植樹会社に転職したのです。
顧客は地元の横浜市、川崎市、東京都がほとんどで、 庭木全般だけで依頼件数は年間180件ほど。現場作 業は朝8時半から夕刻までで、多少の雨天なら気にせず決行
1年半勤めましたが、自分の性格でよく持ったなと思います(笑)。職人が居着かず、新人が入っても、すぐに自主退社かクビ。それほど仕事のやり方も手順も品質も、「この人から学べることはない」と思うほどの経営者で、一度も尊敬できることができないまま、自分も最後は社長と大げんかをしてクビに(笑)。この会社では公共事業がメインで、個人宅から依頼の電話があっても「個人宅はやらない」と無愛想に断っていたんです。自分は個人宅の庭をやりたかったのですが、中堅や大手の植樹会社は、どうしても大口の法人や役所相手の商売をしたがり、個人宅を受けないことが多い。それがかえって、「ニッチな市場だし、ニーズがある!」と思えました。本当はもっと、個人宅での現場経験を積んでから独立したかったのですが、もう雇われ仕事に疲れてしまって(笑)。「いっそ独立してしまえ!」と決断したわけです。
剪定や手入れの基本は、どの木もさほど変わりません。要はセンスなんです。でも当時は、営業の経験もないし、これまでは企業や役所が相手でしたから、個人宅の仕事をいくらで引き受けたらいいか、その相場も知りません。独立しても植木職人の仕事だけではきっと食えないだろうから、最初から別のバイトと並行するつもりで始めました。「これくらいかな?」と思える料金を設定し、ダメもとで、庭のあるお宅を選んではチラシをポスティングしてみたんです。そうしたら、約3カ月の間に、6、7件も依頼の電話が! 嬉しいというよりもびっくりしましたよ(笑)。
「きっとそんなに仕事依頼はないだろう。でも、3年間は絶対に続けよう」と決意して独立したのですが、2年後にはバイトに行く時間がないほど忙しくなり、3年後には人手が足りず困るほどに。日数や人員が必要な大きなご依頼の時は、自分のような“ひとり親方”でやっている仲間に声をかけて手伝ってもらっています。元職場の同僚、現場先が近くて知り合った職人など、同業者仲間が8、9人いて、人柄も技術もセンスもわかっているので、人を雇うより安心です。
その仲間たちからは「お客さんに対して、素のままだな〜」とよく言われます。独立当初は緊張感もあったし、個人のお客さんにどう接すればいいのか、正直戸惑っていました。昔ながらの寡黙な植木職人キャラでもないし。今どき、そんな職人もいませんけれどね(笑)。接し方は、逆にお客さんから教わりました。「(孫や子どもと)同じ年頃なのに頑張っているわね」なんて言われて、近所の兄ちゃんが手入れしているような感覚で接してくれるんですよ。それで、「あっ、自然のままでいいんだ」と思えるように。植木職人って、庭の手入れだけでなく、たまにおしゃべりしたくなるような存在かなと思うんです。少子高齢化や相続問題で、庭のあるお宅はどんどん減っていますが、お客さんの年齢層が高いだけに、“近所の兄ちゃん”的な定期訪問者が喜ばれるのかもしれません。庭付き邸宅の減少は今後の経営課題ですが、考えても仕方ない。ただでさえ奥が深い植木が、気候変動の影響でここ数年変わってきていますし、生態系も変わっていくでしょう。それを考えても仕方がないのと同じこと。ひとりでも多くのお客さんに喜んでもらうことだけを考えて、自然体で日々ベストを尽くすだけです。
最初に個人宅の植木職人を見かけて、手に職を付ける仕事に憧れました。それで、修業したくて造園会社に転職したのですが、取り引き相手は企業や公共事業が多く、個人宅の仕事は単価が低いため嫌がります。もっと個人宅での経験を積んでから独立したかったのですが、4回も転職していて、いい親方に出会える機会のほうが少ないのも実感していました。また、修業先を探すのにほとほと疲れて(笑)。事業として成り立つか自信はありませんでしたが、「もう自分で始めてしまえ!」と独立を決意したんです。
開業資金は12万円です。廃車同然の軽トラックの整備費用と諸手続き代が5万円、ポスティングのためのチラシ作成が約1万円、残りは運転資金です。はさみやのこぎりなどの道具類は前職から自前で持っていましたし、開業資金はなるべく抑えて始めたかったので、必要最低限のものしか用意しませんでした。
すべて所持金でまかないました。
家族には事後報告でしたが、特に反対されませんでした。かつての同僚たちは「大丈夫か? やっていけるのか?」と声をかけてくれたので、きっと心配していたと思います。耳の持病のために泣く泣く退職した建築内装会社の社長からは、庭の手入れのご依頼をいただいています。ありがたいです。
あまり深く考えていなかったので(笑)、不安は感じなかったです。独立しても経営は成り立たないだろうと最初から思っていたので、植木職人の仕事と、便利屋でのバイトを並行してやるつもりでしたから。植木職人の仕事がうまくいかなくても、3年間は続けようと決めていました。独立2年後くらいになって、植木の仕事依頼で手いっぱいになり、バイトは辞めました。
技術面や知識は勤め先での経験が大きいですが、独立後のほうが勉強していますね(笑)。知り合った植木農家さんにいろいろ教わっていますし、営業や接客なども独立後に実践しながら、お客さんから学ばせてもらいました。これまでの職場はBtoBだったので、個人宅との取り引きはほとんど経験がなく、料金設定も適切かどうかわかりませんでした。逆にお客さんのほうから、「この料金じゃ安すぎるわよ。ほかはこれくらいの金額なんだから。もっと取りなさい」と提案されたこともありました(笑)。
当時はいないっす(笑)。現在は、もともとの同僚や、現場で知り合った植木職人の仲間が8、9人ほどいて、大きな仕事で人員が足りない時には助け合ったりしています。彼らにも、相談するというよりは、情報交換ですね。というか、飲み仲間かな(笑)。
独立して3年目の夏に、急性肝炎になり1カ月入院したことでしょうか。休みなく働き続けていたので、ただの疲れか夏バテかと思っていたのですが、仕事がちょうど一段落した頃、あまりにも調子が悪くて病院に行ったら、その場で即入院命令が。日焼けしていたので自分では気がづきませんでしたが、入院中、日焼けが落ちてきてようやく、陽焼けではなく黄疸だったんだと自分でもわかりました。体力には自信があったので、頑張り過ぎたのでしょうね。それ以降は毎年、定期検診を受けて健康には気を使うようになりました。身体が資本ですから。
ダメもとで独立したので、今もこうして植木職人でやっていけていることが何より嬉しいです。お客さんから見ると、自分はお孫さんやお子さんと同世代という方が多くて、ありがたいことに気軽に話しかけてくれるんです。それも嬉しいことのひとつです。独立当時は緊張して、個人のお客さんにどう接していいのかがよくわからずにいましたが、素のままでいいんだ、そのほうがお客さんにも喜ばれるんだと気づいたんです。それも自然と、お客さんに教えていただいたと思います。
すべては本人のやる気次第、スイッチを入れられるかどうかだと思います。あれこれ考えているだけで、最初の一歩を踏み出せないような人は、いつまでも独立できないのではないでしょうか。一歩踏み出してみれば、何かが動いて、やり方も見えてきますよ。失敗だな、問題だなと思ったら、その原因と課題を見つけて、改善すればいいんです。どんな仕事でも、独立した後には時代も状況も変化していくのですから、臨機応変に対処することが連続して訪れますよ。ですから、最初のスイッチを恐れずに入れてみてください。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報