はら・かつや/東京都出身。“金八先生”に憧れ教員を目指し勤労学生となるが、心理学に専攻変更したことで運命が変わる。卒業後、整体師を目指し、“ニッポン元気化計画”をスローガンとして独立。2年後には移動店舗「八つ当たりどころ」も開始。
話術でリラックスさせながら、整体・カイロプラクティックで体をケア。要望に応じて深夜1時までの出張サービスも実施。その合間に「八つ当たりどころ」で全国各地へ
フォーク音楽が好きで、高校生の時にはストリートミュージシャンをしていました。大学に進学する気などまったくなく、将来はフリーターをしながら音楽活動でメッセージを伝えて生きようなんて思っていたんです。ところが高校3年生の時、テレビドラマの『3年B組、金八先生』を見て、「教師になりたい!」と突然の決心。あの熱血ぶりにほれたんですよ(笑)。遅ればせながら受験勉強に燃え、第1志望の国立大に落ちましたが、私立大学に合格。生活費も学費も自分で稼がないとならない身でしたから、飲食店で接客のバイトをしながらの勤労学生に。ところが、これも金八先生の影響か、「人と接するっていいなぁ」と、バイトに夢中になりすぎた(笑)。1年で単位取得が危なくなり、泣く泣く教員コースから心理学コースへ専攻変更。挫折感にさいなまれました。でも、やはり人が好き=人の心の勉強が、これまた楽しくて夢中に。心の勉強をするうち今度は体の勉強もしなくなり、介護ヘルパー2級の資格を取得。介護施設で介護や心理カウンセラーのバイトをしていました。就活の時期を迎えた時、心と体の両面をサポートできる仕事って何だろうと考え、行き当たったのが整体師。それで大学卒業後、整体師を目指して専門学校の整体プロフェッショナルコースに進学したのです。
学校は二年制でしたが、在学中にフリーの個人事業主として温泉施設と契約を交わし働き始めました。でも驚いたのは、この施設のスタッフのほとんどが、整体・カイロプラクティックを専門的に学んでいないんです。施設側の研修を受けただけ。押す、揉む、こねるだけのアマチュアのマッサージなんですよ。僕は骨格矯正までできるのに、施設側から制限されてしまって……。専門に学んだことを生かせず、専門外のスタッフと同じ扱いなのも納得できない。何のために勉強したのか……。もっと自由にやりたいと退職し、専門学校を卒業した2カ月後に自宅でサロンを開設しました。
この日は秋葉原の屋台村に出店。トラックの中につくられた個室で、客が廃棄用の皿を割ってストレス発散。廃材も100%再利用されるエコシステムを確立
サロン開業の数カ月後、「常連さんだけでなく、普通の会社員にも心のケアが必要だよな」と考えるようになったんです。ストレス解消法って、お酒を飲んだり、歌ったり、運動したり、いろいろありますが、もっと気軽に時代に合った方法はないものかと。それで思い出したのが、学生時代に心療の現場で担当した家庭内暴力の子どものこと。あり余るエネルギーを家族や家の中で発散させるのではなく、ほかのモノに当ててはどうかと思い、「いらなくなった雑誌をビリビリ破ってみろ」とアドバイスしたんです。そうしたら、家庭内暴力が減ったんですよ。イライラをぶつけても構わないものに八つ当たりするビジネス、これだ!と思い、新事業「八つ当たりどころ」を都心で始めようと思い付きました。
でも問題は何に八つ当たりするか。スペインでは廃墟や廃車を壊す手法の破壊セラピーという分野があることをネットで知ったけど、日本ではマズいでしょ(笑)。そこで、不要な家電はどうかと。実際に山奥に持っていき、ハンマーでたたき壊して試したのです。が、これが楽しくない、疲れるんですよ〜(笑)。これじゃダメだと、またネットで探し出したのが皿割りでした。「これはいいぞ!」と、廃棄される業務陶器を扱う廃棄業者と、割った後の再利用も100%できるよう再生業者を探し出しました。運搬用の中古トラックも購入し、会社員が多い駅中に、スピード写真ブースのような2畳ほどの防音室を置かせてもらおうと計画。ところが、打診したすべての鉄道会社から断られてしまって……。こうなったら屋外にテントでも張って始めようかと考えたのですが、どうせなら世界初の手段はないものかと。その時に気付いたんです。「運搬用に買った中古トラックがあるじゃないか!」と。これを改造して使えば、移動式ということで世界初にもなる。問題は場所だけでした。
そんな時に訪れたのが秋葉原です。あの悲惨な通り魔事件があった直後でした。「ニッポン元気化計画」をスローガンにしている僕は、災害地でのボランティア活動もしていて、自分なりに秋葉原の元気を取り戻すために何かできないかと考えていたんです。そのアイデアを探しに訪れた時、偶然、駅前の駐車場で「移動店舗の出店募集」の立て看板を発見。もうこれは天命だなと、すぐにその駐車場で「八つ当たりどころ」をデビューさせました。物珍しさもあってか、マスコミで「究極のストレス発散法」と取り上げてもらいましたが、収益への効果は思ったほどではなかったですね(笑)。でも、始めて良かったなと思っています。お客さんのストレスの原因を聞き、思いっきり皿を投げて割った瞬間、一緒にハイテンションで盛り上がるとスゴく喜んでくれるから。
僕は手技療法士、ホームヘルパー2級、運動療法士、准・認定心理療法士などの民間資格を持っていますが、やはり心と体は密接だなと実感しています。その両方をケアすることで、ニッポン元気化計画が実現するんだと。それに、音楽も整体も「八つ当たりどころ」も、人を喜ばせるエンターテインメントということでは同じだと思っています。今後は、今のふたつの事業をさらに充実させて、また、新規事業も展開していきたい。それらの事業で十分な収益を挙げられるようにして、ゆくゆくは全国各地で整体の無料奉仕活動をしたいんです。プロの整体師、セラピストを超えて、皆に喜ばれるエンターテインメント・セラピストになりたいっていう、でっかい夢、持っているんで。妄想、空想、行動力には自信がありますから(笑)。確実にそうなりますよっ!!
大学在学中、心療カウンセリングと介護のバイトをしていたことで、医療の現場を見てきました。心理療法士という選択肢もあったのですが、経済的に不遇な職種だと感じ、心と体を癒せる自分がやりたい仕事で、自立できる収入が得られる仕事を考えてたどり着いたのが整体師でした。整体の専門学校に入学し、在学中に温泉施設での仕事が決まった時点でまず個人事業主として独立。とはいえ、半分は雇われの身です。そのまま施設で働けば収入も安定していたのでしょうが、もっと自分の思いどおりにやりたい、専門知識を生かしたいと思い悩むように。そして、20名ほどのお客さんから指名をいただけるようになったタイミングで施設を辞め、自宅でサロンを開業しました。
身ひとつで創業したので、開業資金はゼロです。その後、自宅にサロンを開いた時は、ベッドなどの購入に10万円。「八つ当たりどころ」を立ち上げた際には、中古のトラックの購入、廃棄皿の購入などで合計150万円ほどかかっています。
開業資金はゼロです。18歳からずっと学費も生活費も自分で稼いで学生ローンも返済しています。それなりの貯蓄もあり、独立後の運転資金も新規事業の必要経費も、借金することなくまかなえました。
特に反対はありませんでした。ただ、温泉施設の経営者からは引き止められましたし、同僚からも生意気だと思われていたと思いますけど(笑)。温泉施設で僕を指名してくれていた常連客は喜んで僕のサロンに通うようになってくれました。
これも特にないですが、しいて挙げれば自分の体のことです。それまでずっと苦学生で節約生活してきて、食生活も決していいとはいえない状態でした。自炊してカレーばっかり食べていたんです(笑)。大量につくっておけるし、少しのカレーでご飯をたくさん食べられるのでお金もかからないでしょ。でも独立したら、やはり健康面でお客さんにアドバイスする立場ですから、自分が体を壊しては説得力がありませんからね。バランスの良い食事を心掛けるようになりました。体力づくりのために、ジムにも通って鍛えています。
自分の経験です。学生の時から介護ヘルパー、心療カウンセリングのアルバイトをしていましたし、整体専門学校の在学中に、個人事業主として施設で仕事も始めましたから。あと、ネットで調べて常に必要な情報収集をしています。自治体が主催している起業セミナーにも一度参加しましたが、すでに自立していた僕にとっては物足りない内容でした。
特にいません。自分で考えて行動するタイプですし、ほとんどネットで調べられますから。専門的なことでもっと知りたい場合のみ、その道のプロに直接話を聞きます。「八つ当たりどころ」を始動する前もそうでした。リサイクルのことを勉強しようとネットで調べて、多摩市のリサイクルセンターの環境セラピストのことを知り、すぐ会いに行きました。その紹介で、廃棄食器を提供してくれる業者と取り引きできるようになったんです。
サロンだけでなく、お客さんのご自宅へ出張で行くことも多いので、「八つ当たりどころ」の運営はスタッフに任せようと思っていたんです。でも、やはりエンターテインメントの要素が強いので、向き不向きがあったんですよね。それを僕が見極めてあげられなかった。事務で採用したスタッフにやらせてしまって、結局、無理がつのって退職……。困ったというよりも、申し訳なかったなと反省しています。始めてしまった以上、後には引けませんから、自分で人員不足の穴を埋めるしかありません。昼間は「八つ当たりどころ」、その後は深夜まで整体と多忙極まりないですが、やりがいも十分にあるので苦ではないです。
まずは、金八先生(武田鉄矢氏が組んでいたフォークグループ名:海援隊)への敬意を込めた屋号にしたこと(笑)。人に喜んでもらえるのが自分の喜びでもあるので、それを自分のやりたい方法でできることです。今思えば、ストリートミュージシャンを始めたのも、誰かに喜んでもらいたいという思いからでした。人を元気にする・癒す、誰かのために何かをする。それが今、収益とのバランスも取れるカタチで実現できていることが嬉しいです。それと、雇われの身だと急には仕事を休めませんが、自分で調整できるのも経営者ならでは。あ、休むのは、遊びたいからではないですよ(笑)。新潟県中越沖地震では翌日に、岩手・宮城内陸地震ではその日のうちに現地へ整体のボランティアに行けたのも、自分ですべてを決められる立場たからこそ。今でも定期的にボランティアに通っています。
ひとつの夢に挫折しても、次の夢をでっかく持つことです。夢を持つと人は考えようとする。考えると次は行動したくなる。人からくだらないと言われても気にせず、でっかい夢を持つことで空気が流れ出します。その前にもしも夢が見つからない人は、まず自分で自分の生活を自立させることです。自分で働いて、その金で食って生きてみれば、何がしたいか、何に喜びを感じるか、どうしたいか、自分のことが見えてきますよ、僕みたいに(笑)。その小さな発見から夢はふくらんでいくと思うんです。試してみてください。そして夢が見つかったら、より自分が楽しむためにどうしたらいいのかを考えてみてください。きっと、その実現のために行動したくなるはずですから。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報