ささき・のりこ/兵庫県出身。海外専門の旅行会社に勤務しながら、27歳から趣味で音楽を始め、北海道から九州まで演奏活動も展開。音楽をライフワークにしたいと退職して独立。座右の銘は「keep busy」。好きなアカペラグループはTRY-TONE。
ライブ中は接客もあるので、PAのミキシングをリハーサルの段階で綿密に行う。機材のほとんどと壁のウクレレは音楽オタクの夫の私物。楽器の店内貸し出しもあり
幼い頃から音楽が好きで、学生時代は合唱部でした。でも、本格的に始めたのは会社員になってから。インターネットで知り合った仲間と男女混声のグループをつくり、仕事の合間を使ってライブ活動をスタート。「定年退職したらライブハウスを開いて、自分の店で歌うなんていいなぁ」なんて漠然と思うようになったんです。そんな私の夢話を覚えていてくれた音楽仲間の先輩が、後継者を探しているジャズスポットがあると教えてくれて。「チャンス到来!」と見に行ったのですが、昔風な雰囲気で自分が抱いているイメージと違う。しかも契約金が高い。そのまますぐに使えるならまだしも、内装工事が必要で経費がかさむ。「これはダメだな」と諦めてから3年後、同じ先輩から違う物件を紹介されたんです。
そこは元バーだった居抜き物件で、契約金もお手頃。「カラオケ機材さえ撤去すればすぐに営業開始できる!」と完全にその気モードに。面接でオーナーにも気に入っていただき、「さぁやるぞ!」と12年間勤めた会社に退職の意向を伝えました。ところが数日後、「カラオケ機材が撤去できない」との通知が……。ショックでしたね。でも意外に、そこまで自分が本気だったんだと驚いたし、手が届く寸前でダメになったことが、かえって闘志に火を付けた(笑)。「どうせなら、物件を自分で探そう!」と、7カ月後の自分の誕生日を開業目標に、逆算して計画を立てました。今思えば、頓挫した居抜き物件で開業できていたら、事業は失敗していたと思います。憧れだけが優先して、現実的な部分がまったく見えていませんでしたから。
この日に出演するグループTigger Setとユミコ・ベックさんのリハーサル風景。観客は入店チャージ500円+1ドリンクで優しい生音の2ステージを楽しめる
まずはブログを開設して決意表明。しっかりコンセプトを固めるため「5W2H」を考え、物件を紹介してくれた先輩が税理士だったので、相談に乗ってもらいました。提示された見本フォーマットで事業計画書をつくり、周囲の人たちに見せて何度もダメ出ししてもらいました。物件は、不動産会社を経営する音楽仲間と調査を開始。ライブハウス用物件の場合、飲食店用やオフィス用のように表に情報が出ないんです。それが何と、彼のおかげで60件も集まり、そこから選別した10件ほどを見に行きました。どこも帯に短したすきに長しで、ようやく出合ったのが現在の店です。もう、外観を見た瞬間に「やっと巡り合えた!」と涙が出てきました。希望の沿線で、駅からも近く周辺環境も良い。ところが、いざ中へ入ってびっくり。長年放置されていた元美容室で、ほこりはもちろん、器具などもそのままで、まるで物置状態。それでも気に入ったのは音響でした。「パン!」と手をたたいて一曲歌ってみたら、音の響きがいい。これが何よりの決定打でした。
内装は、憧れのライブハウスがあったので、オーナーさんにアポイントを取って、内装業者を紹介してもらいました。そのライブハウス自体が参考になるいい見本だったので、自分も業者もとてもイメージしやすかったですね。これで内装工事は順調のはずでしたが、思わぬアクシデントもありました。少しでも広くしようと柱や内壁を取り除くつもりが構造上できなかったり、何度も雨漏りしたり、水道メーターが私設のもので新規工事が必要だったり……。柱が抜けないとわかった時はショックでしたが、「テーブルが置けないなら、いっそその部分を座敷にしちゃえ!」と、苦肉の策で解決。結果としてアットホームな雰囲気になり、ライブハウス然としていない、うちらしい特徴となりました。そうやって、アイデアをひねり出して問題を一つ一つ解決。というか、するしかないですし、柔軟性や発想の転換は大切だなぁと思いますね。思い入れだけが強かったら、工事も滞って、精神的にもつらかったと思います。
内装工事と並行して、国分寺にある「クラスタ」というライブハウスで2カ月間、見習修業をしました。私は飲食店で働いた経験がなかったし、開業後もひとりでやる覚悟でしたから。「クラスタ」のマスターもひとりで仕切っているので、その動線、接客、出演者の受け入れ方、接し方、カクテルのつくり方、経営の細かな点まで、親身になって教えてくれました。昼間は内装工事中の現場チェックに通い、夜は「クラスタ」で修業しながら、開業後に備えて出演者依頼も開始。そして工事完了後に試験営業をスタートしました。この試験営業の2カ月間は、実際の課題や問題点が鮮明になるし、改善策も見えてくるいいシミュレーションになりましたね。
今年は開業して3年目。生の音楽を自然体で感じられる和みの空間として、奏者と観客の息づかいや距離の近さも楽しんでもらえているかなぁと思います。私自身も少しは落ち着いてきたので音楽活動に力を入れ始めました。奏者としての心構えや感覚を失いたくないという気持ちもあったからです。それと、やはり体が資本なので、開業2年目から週1回、自転車で新聞配達をしています。四季の移ろいを感じられて、いいリフレッシュになってます。ちなみに朝は夫のお弁当をつくるので、ライブハウスオーナーとはいえ、意外と規則正しい生活をしてるんです(笑)。夢としては、60歳になったら、店ゆかりのミュージシャンたちとコンピレーションアルバムを制作すること。そして100年後くらいに「教科書然とした音楽でなく、奏者の楽しみだけでもない、人と人との身近なコミュニケート手段としての生演奏文化がこの時期に育った」なんて言われていたら嬉しい。そのためにも、ゆるゆると、末永く、居心地の良いライブ空間であり続けたいです。
今思えば、学生時代にヨーロッパ旅行した時、アカペラ・コーラスのストリート演奏を偶然見かけて、「国籍も言語の違いも超える、音楽っていいなぁ」と感じたことが原点だったような気がしています。27歳の時にインターネットを通じて知り合った仲間とアカペラの音楽活動を始めて、「どうせやるのなら」とボーカルレッスンにも通ったんです。その先生が、ご自身のお店でライブをされたのを見て、「いつか自分もこんなお店を」と漠然と憧れました。そんな夢の話を音楽仲間の先輩が覚えていてくれて、とある空き物件を見に行くことに。それで一気に夢が具体的に膨らみましたが、条件が合わず断念。それが逆に闘志を燃やすことになり、独立を決意しました。
開業資金はざっと654万円です。店舗取得費に145万円、内装・設備工事に463万円、楽器・機材に23万円、資格申請に7万円、備品に10万円、仕入れに6万円です。PAのミキサーやスピーカー、楽器などは、我が家にもともとあった夫の私物を流用できました。
すべて自己資金です。これまでの会社員時代の貯蓄を充てました。
夫がとても冷静に対応してくれました。現実的なリスクを細かく指摘してダメ出しする、そんな批判者でありながら同時に最大の協力者でした。そのスタンスは今でも変わりません。私の実家の両親が、「ライブハウス=夜の商売=水商売するだなんて!」と大反対だったのですが、夫のひと言で静観の姿勢に変わったんです。「留学に行かせたつもりでしばらく見守ってやってください」と。ほれなおしました(笑)。元職場では、私が音楽活動をしていることを知らせていなかったので、とても驚いたようですが、エールを送ってくれました。
出演者のブッキングです。開業前から知り合いのミュージシャンに声をかけ、募集もしました。とはいえ、一定レベルのクオリティーを保つことも必要ですので、初出演のグループには音源審査とプロフィールの提出を求めます。演奏がお店の雰囲気に合うかどうかを一番の判断基準とします。ライブハウスを見に行って知り合ったり、練習スタジオに募集チラシを置いてもらったり、地元の掲示板にチラシを張ったり。今でも休日にはライブハウスや音楽スポットに行き、広くアンテナを張るよう努めています。それでも月によって変動があるので、ライブの入らない日には、お客さんが飛び入りで演奏できる「オープンマイクの日」を設けました。これが意外と好評なんですよ。ライブを聴きにきたお客さんが、翌日には演奏にやって来たり(笑)。
出演者として、またリスナーとしていろんなライブハウスに通った自分の経験。音楽という共通の趣味の仲間でもある、夫と先輩からのアドバイス。そして、2カ月間のライブハウス「クラスタ」での見習修業です。私が開業することを心配して、実家の両親からはビジネス本が、友人からはカフェ本が大量に送られてきたので(笑)、それらも参考に。ただ精神論的なことよりも、具体的な事業計画書の書き方など実務指南のほうが役立ちましたね。この事業計画書は、不動産のオーナー面接や各所との契約時、親の説得にも大いに活躍してくれました。言葉では伝わりきらない真剣さの度合いが、文書だと伝わりやすいんですね。
やはり、音楽仲間でもある夫と先輩ですね。夫は音楽関係の出版社に勤務していて、音楽機材や楽器にも精通。先輩には顧問税理士になってもらっています。開業準備中も開業後も、私がへこみすぎないように温かくも冷静なアドバイスをしてくれます。でも、ふたりとも強力な批判者なんですよ(笑)。それが何よりの協力だと実感しています。このふたりのおかげで今があると思えますから。
予定していた演奏者がドタキャンどころか、何の連絡もなく来なかったことです。うちは基本的な条件として、プロでもアマチュアでも、事前に出演者に負担してもらう形でのノルマを課していません。出演者へのチャージバックやギャランティの支払いもない。演奏者との信頼関係だけで成り立っていると思っています。困ったというよりも、そこを裏切られた気がしてつらかったですね。それと、うちはアコースティックのライブスペースで、ドラムレスだしスタンディングも禁止。これは出演者に事前に伝えているのですが、時々演奏スタイルとのズレは起こってしまいますね。特に大音量の打楽器は、防音のこともありますが、何より音が飽和してしまうんです。小さい空間での気持ち良さをお伝えするには、まだ時間がかかりそうです。
人と人との距離を身近に感じられることです。演奏者も観客も気持ち良い時間を共有できた、そんな満足げな笑顔を間近に見られることが嬉しいです。自分の店を持ってから、よくほかのお店で人間観察するんですけど(笑)、買い物すれば「ありがとう」、飲食店なら「ごちそうさま」と言って帰りますよね。うちの店では、より間近に目を見つめ合って、笑顔で「ありがとう」って帰られるお客さんが多いんですよ。音楽を通じてコミュニケートできる、そんなスタイルのライブスペースにしたかったので、今不思議とそうなっているのが嬉しいです。
慎重になるべきだとは思いますが、恐れすぎては何も始まらない。やらないで後悔するよりも、やって後悔すべきだと思います。とはいえ、失敗しないためには、強い思い入れや計画だけに縛られない柔軟性が大切です。それと、身近に批判的な協力者がいることもポイントだと思います。こだわりや思い入れが強い分、自分では見落としがちな問題点に気づかせてくれる貴重な存在です。私の場合は身内にひとり、外部にひとりいましたが、「ここがダメじゃない?」「これ、甘くない?」と批判してくれる人こそ最大の協力者だと実感しています。その意見を素直に聞き、受け入れながら柔軟に対応することが、夢を確実なものにするのだと思います。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報