きたがわ・なおき/兵庫県出身。高校まで、岐阜県、三重県、愛知県での生活を経験。兵庫県の大学に在学中の1995年1月、阪神大震災に遭う。卒業後、時計修理専門会社に就職するため上京。11年間勤務して退職し、2007年9月、時計修理会社を設立。
時計の修理は、委託契約している3人の時計修理技能士やベテラン職人が行っている。修理が終わったものは、北川さんが一つ一つ細かい点検をして、お客様の元に発送する
もともと時計が大好きで、大学時代からバイトで手にしたお金のほとんどを時計に費やしていました。だから、バイト先も時計店。しかし、当時は時計関連の仕事をしたいとは特に思っていなかったんですよね。卒業後にどんな仕事をしたいのか、そんなに深くは考えないような大学生活を送っていました。そして、そろそろ就職活動を始めなければと思っていた時、あの阪神大震災が起こったのです。私自身は無事でしたが、バイト先の時計店は建物ごと倒壊し、再開のめどが立たないため当然バイトも解雇。その時に強く思ったのは、自分の人生に、いつ、どんなことが起こるのか誰も予知できないということです。
経済学部でしたので、同級生の多くは金融機関などへの就職を望んでいました。でも、何があっても生きていくには手に職をつけなければならないと考えて、時計修理の専門会社に就職。研修を終えて配属されたのは、東京都内にある大手百貨店の時計売り場に併設された修理カウンターでした。その時計修理専門会社には11年間勤めました。その間に国家資格である時計修理技能士1級を取得。あまり知られていませんが、実務経験がないと受けられない資格で、3級から1級まであります。その資格を取得していないと時計修理技能士と名乗ることはできません。
修理依頼のあったお客様には、時計を固定して保護できる専用箱を先に発送。その場で時計を詰めて送り返してもらうという方法を取っている。パソコン画面は時計のカルテ
毎日、会社の仕事に励む中で、強く感じるようになったことがあります。時計修理の専門家にしかできない仕事であっても、こちら側の都合だけでなく、もっとお客様の立場に立ったサービスを提供したいということ。経験がある方も多いと思いますが、修理を依頼したら、「部品をスイスから調達しなければならない。だから時間も費用もそれなりにかかります」という返事。そこで修理をあきらめてしまうお客様も多いのです。実際には、そんな部品をある程度確保している修理技能士が全国にいますから、彼らと連携しておけば、時間も費用もかけずに可能となるわけです。
そういった行き届いたサービスを徹底させて、業務改善をしていこうと会社に提案書を出しました。しかし、自分が考えていたような改善にはいたらず、また、様々な事情がからんで退職しました。とはいえ、そうなった場合は独立することを視野に入れていましたので、それを機に、自らチャレンジする決心をしたのです。最初は実店舗とWebサイトを組み合わせたサービス展開を考えていました。しかし、いい店舗物件がなかなか見つからない。でも会社を退職する時期、開業する時期ははっきりと決めていました。なので、先にWebサイトのみでスタートして、ゆくゆく実店舗を持てればいいかと。
実務を行う修理センターは、起業家支援の仕組みが整っている「埼玉県創業・ベンチャー支援センター」の上階にある「新都心ビジネス交流プラザ」に設けました。また、Webサイトを窓口にすると、お客様と直接お会いすることができないので、信頼度を高める方法を考えました。そこで実践したのが修理費用の目安を時計のブランドごとに公表。また、お客様ごとのカルテをつくって、IDとパスワードでログインすることで、いつでも修理状況が見られるようなサイトを実現しました。
さらに、時計を引き取ったり引き渡したりする際の運搬途中に時計が破損しない専用の箱をつくりました。また、宅配会社と契約して確実に受け渡しできるシステムも確立。現在、実際に時計の修理に携わってくれているのは、前職から縁のあった3人の時計修理技能士です。ウォッチ・ホスピタルという社名は、「なるほど、時計の病院ですね」と言っていただけるのですが、人間の病院も急な病気の治療だけでなく、健康診断など、予防治療もしてくれますよね。当社も、壊れた時計だけでなく、壊れる前の点検、つまり時計の健康診断と簡単なメンテナンスも提供しています。また、お客様自身でできるメンテナンスに関しては、電話やメールにて無料でお教えしています。喜んでくださるお客様が増えれば増えるほど、それが当社の成長にもつながると思っていますから。念願の実店舗は、今年(2009年)の8月に出店する計画です。
若い頃から大好きだった時計ですが、修理専門の会社で働けたことも幸せでした。しかし、長年勤めているうちに、その会社が提供できるサービスを超えて、「もっとお客様に喜んでいただけるものを提供しなければいけない」と強く思うように。会社には様々なアイデアを提案しましたが、そこは組織、なかなか実現のめどが立たないわけです。本当に求められているサービスを提供するためには、一社員のままではかなえられないと判断し、退職して独立開業する決意をしました。
400万円です。そのうちの300万円を資本金にしました。そして、Webサイトは専門業者に依頼したので、その制作費として130万円。東京・中央区にあるレンタルオフィスの住所・電話番号貸し費用と、さいたま市に設けた修理センターの物件契約の補償金と前家賃などで合計70万円ほど出費。残金は運転資金として残しました。
100万円は自己資金ですが、これは、自分の時計コレクションを売り払って集めた資金(笑)。中には手ばなしたくない時計もありましたが、それは起業のためだと自分に強く言い聞かせて。300万円は父親から借りました。父も、そして祖父も自営業者で、私が独立して何か始めるということを喜んでくれましたし、300万円を資本金にすることにも賛成してくれました。
両親は賛成してくれましたが、妻は、育ち盛りの2人の子どもがいることもあり、「独立してやるってことは、それなりに責任重大だよね」と、少し不安がってました。しかし、決して反対というわけでなく、言葉にしてくれたわけではないですが、「やると決めたなら応援するからね」という気持ちは、その様子から十分伝わってきました。
やはり売り上げの確保です。会社員として時計修理業務に携わっていた頃は、お客様と直接対面してやりとりしていましたが、顔の見えないWebサイトを通じてのお客様がどれだけいらっしゃるのかと……。それが予測できないことが不安でした。少なくとも1年は様子を見ないと安易な判断はできないと考えていましたが、時間を無駄にせず、できることはどんどん実践していました。そして、ちょうど開業1年目で収支がトントンに。その時はホッと胸をなでおろしましたね。
先輩起業家の経験談を参考に、修理センターは「埼玉県創業・ベンチャー支援センター」の上階にある「新都心ビジネス交流プラザ」に設けました。情報収集や相談窓口など、何かと支援体制が整っており、とても重宝しています。法人設立のための届け出方法を始め、セミナー情報、交流会の情報など、様々なお役立ち情報を入手して、実際に活用しました。
「埼玉県創業・ベンチャー支援センター」では、様々な専門家による無料相談も受けられます。特に私は、経理に関することを専属の税理士に相談しました。また、この「新都心ビジネス交流プラザ」に入居している人たちは同じ起業仲間。お互いの悩みごとを相談し合うこともよくあります。定期的な交流会も開催されていますので、できるだけ参加しています。情報収集や相談が気軽にできるという点で、支援施設でのスタートアップはお勧めですよ。
Webサイトを窓口にしていますから、サイトづくりの方向性に相当悩みました。大切な時計を預かるビジネスですから、どのような内容を載せると信頼していただけるかなど。それに、Webサイトだけで売り上げを確保していかなければならないということも相当なプレッシャー。なので、コンテンツに関しては、悩みながら本当に何度も何度も練り直し決定。デザインに関しては専門業者に依頼しています。SEO対策などもやってもらっていますが、いまだに大きな成果は感じていません。それよりも、お客様の口コミ効果のほうが大きいです。本当にありがたいと思っています。
自分が起業していなければ出会えなかったような方や、影響力のある起業家とのつながり。それがどんなにありがたいことかと実感しています。また、起業家が集まる交流会などに参加することで、自分と同じように開業間もない大勢の仲間と出会うことができました。その仲間たちは、お互いに切磋琢磨しながら、常に連帯感を保っている同志といったところでしょうか。会社員時代のことを思い出しても、そのような連帯感は味わったことがありませんでした。起業したからこそ得られた宝物だと思っています。
どんなにしっかりした事業計画を立てても、実際にそのとおりにいかないことのほうが多いです。だから、独立したらあまり細かいことにこだわらずに最初に決めた道を進んでいくことが大事。そしてトラブルに出遭ったら、その都度立ち止まって考えて、対策を練って、悪いほうに進まないようにすればいい。なので、小さなトラブルや失敗は、軌道修正のチャンス。事業を継続し、成功に導くために、必ず訪れる試練だと思っておくと良いと思います。逆に、最初から何もかもがうまく進んでいくと浮足立ってしまって、気づかないうちに大きな失敗に陥ってしまうケースもあるんです。成功が続いても油断は禁物ですね。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報