ひさだ・ともゆき/大阪府出身。高校を中退し、独学でコンピュータ技術を習得。システム開発会社に3年半勤務、後にフリーを経て起業。趣味は読書、ドライブ、100km歩こうよ大会への出場。特技は対人バリアフリー。座右の銘は「神は細部に宿る」。
様々な公共的プロジェクトに企画段階から参加。経済産業省委託事業「起業支援ネットワークNICe(ナイス)」もそのひとつ。システムプロデューサーを務めている
中学生の頃にファミコンがはやっていたけど、僕は持っていなくて、なぜか家にはパソコンがあったんです。なんとか、これを使いこなしてゲームをしようと、パソコン専門誌を買ってきて独学で勉強しました。プログラムを覚えて、3回の失敗でゲームオーバーのところ10回に増やせるまでに(笑)。始まりはそんな遊び感覚でしたね。17歳からシステム開発会社に勤めて、給与計算や人事管理系のプログラムをつくっていました。そのうち、コンピュータにかかわるならもっと高度な数学的要素が必要だと感じ、大学入学資格検定を受けて大学で勉強しようと退職。ところが立場がフリーになると、あちこちから仕事の依頼が来るんですね。で、会社員の時よりも報酬が良いものだから、受験はそっちのけでズルズルと元の世界へ戻っちゃったわけです(笑)。
あるクライアントから「法人格だったらこの仕事をまとめて任せられるのに」と言われたのを機に有限会社を設立。体のいい断り文句だとも知らずに、世間知らず99%の若造でした〜(笑)。その仕事の依頼は結局来なかったけれど、自分ができること=コンピュータだとわかっていたので、まぁいいかと。コツコツやっていけば、そのうちお金も貯まるだろうし、仲間も広がるだろうし、何かやりたいことが出てくるだろうとあっさりした気持ちでした。
ケータイゴングを利用したイベント会場で。「どんな社長?」との問いに「まじめで仕事しやすい、と書いてください(笑)」とは社員の田口さんと白石さん
僕は見えないレールのようなものが嫌で、高校1年で中退したんです。だから、中卒者がひとりで生きていくには、企業に雇われない生き方をしないと難しいだろうと漠然と考えていました。コンピュータの世界のいいところは、新しい分野や技術が次々と世に出てくること。当然、吸収力が要求される。たとえば同時期に同じスキルを持っていたら年齢が若いほうが吸収力は高いでしょう? 「雇われない生き方」という言葉もない時代でしたが、根拠のない自信だけはあったんです(笑)。
ちょうどその頃、中小企業支援プログラムの構築や起業のためのセミナーなどを開催する、インキュベーション施設「大阪産業創造館」(愛称は産創館)の立ち上げに携わることに。企画側としてプログラムや館内のネットワークシステムづくりにかかわりながら、いろんなセミナーを聞く機会に恵まれたんです。またここで、多くの経営者や、めちゃめちゃなビジネスプランを考えているおかしな起業家にたくさん出会えたことが大きな刺激になりました(笑)。「この本を読んでみれば」とか「コンピュータのこの資格を取っておけば」とか、いろいろアドバイスしてくれる人もいて、それでOracle Master Platinumや上級システムアドミニストレータなどいくつかの資格を取得。思えば、高校の教師の言う非論理的な物言いには反発したけれど、実践して生きてきた先輩起業家のアドバイスは聞けたんですよね。自分でも驚くぐらい素直に(笑)。
その後、産創館で一番年齢が近かった飲み仲間と、「何か一緒にやろうよ」「じゃ、インターネット関連事業をやろう」と盛り上がって、インキュベーションプラザ Mebic扇町に入居、半年後に株式会社化しました。産創館からの起業支援つながりで、起業サポートプロジェクト「ドリームゲート」や「起業支援ネットワークNICe(ナイス)」にも準備段階から参加することに。タイミングや運もあるでしょうが、前例のないプロジェクトにかかわる面白さにひかれ、そこに集う面白い人たちとのつながりで、今があると思います。
こうして振り返ると僕の場合、真の意味での起業準備は会社設立後ですね。その原動力は好奇心、かな。「面白い人たちと何か面白いことができないかな」というのがいつもベースにある。今、メイン事業の「ケータイゴング」も、大勢の人が集うセミナーで参加者の意見を集約できたら面白いよね、という発想から生まれたものです。携帯電話を使って投票や集計ができるオンリーワンシステムで、セミナーやイベント、学園祭や結婚式など、活用シーンが広がりつつあります。インターネットを使ったツールですが、テーマはやはり“人のつながり”。人と人がつながることをサポートできることが、コンピュータやインターネットの面白さかなと。人の温もりが感じられないテクノロジーでも、ちゃんとつくれば温かみが宿る。そう思うんです。人がつながる面白さ。これが、これまでの僕の生き方にもこれからの事業展開にも、共通するキーワードになるでしょうね。
大学受験するつもりで会社を退職し、仕事依頼を受けるうちに個人事業主になっていて、取引先の担当者から「法人格なら仕事を頼めるのに」と言われて法人化。でも、自分で本当に独立したと思えるのは、株式会社へ移行した時でしょうか。仲間とインターネット事業を始めたかったんです。とはいえ、具体的な事業プランはなく、「やりたい!」という好奇心だけです。その思いが世界につながって、何かに広がると感じたので。ずっとひとりで仕事してきた僕が仲間と組みたいと考えたのは、食事と同じで、ひとりよりふたりのほうが楽しいだろうと(笑)。人数が増えれば増えるほど、喜怒哀楽の振れ幅が大きくなって面白いんじゃないかと思えたからです。
開業資金はゼロです。ずっと自宅で作業していましたから。法人化した時は、資本金として300万円必要でした。
法人化する時の資本金を開業資金とするならば、自己資金です。これまでの貯蓄を充てました。
特になかったです。家族は「人さまに迷惑かけなければいい」という感じでした。何をするかビジネスプランも何も持っていませんでしたから、迷惑がかかるのは僕本人だけだから、いいだろう(笑)、そんな反応でした。
ありませんでした。根拠のない自信です(笑)。不安ってたぶん、誰かに懇々と話していたらふくらんでくるものではないでしょうか。取引先から言われて法人格を取ったのに仕事依頼がなかった時も、「あぁ、そういうこともあるんだな」程度で、ショックではなかったです。その当時、プログラミングの仕事はいくらでもあったし、いざとなったらプログラマーとしての自分自身を商品として売買すればいい。そんな気持ちでいました。
コンピュータの知識やスキルに関しては、これまでの経験です。システム開発会社に勤めていた時に様々な業種のシステムに携わってきたので、会社経営に必要な数字的項目を理解していたことも大きいです。それと、大阪産業創造館の立ち上げ企画にかかわりながら、数々の起業セミナーに参加したことも役立ちました。その後に入居したMebic扇町もそうですが、多くの“雇われずに生きる人たち”に出会えたことも貴重です。人との出会いで得た、情報や刺激が何よりも役立ったと思っています。
相談はしません。誰かに相談する、悩みを聞いてもらうって、すでに自分自身の中に答えは出ているケースが多いと僕は思うんです。相談するふりして誰かと一緒に飲んでいることは多いですけど(笑)。
大切なビジネスパートナーのプライベートな問題が発生した時ですね。僕にできることが何もなく、どうにか早く元気になってほしいと念を送るぐらいしかできませんでした。それが良かったかはわかりませんが、立ち直ってくれてホッとしました。「友人がビジネスパートナーだと、事業も友情もうまくいかない」とよく言われていますが、最初から仕事の役割分担を決めておく、立場を明確にしておけば問題ないと思いますよ。今困っているというか嬉しい悲鳴は、大阪本社と東京オフィスを頻繁に行き来しているので、好きな読書をする時間が多くて、どんどん本が増えることかな。
精神的な部分でラクになりました。独立する前は、世の中に気を使って生きている気がしていましたが、自分に表裏がなくなって、どんどん素直に生きられているなと思えます。自分ができることの力を付けながら、好奇心を持って取り組んで、面白い人たちにつながってビジネスにしていく。こんな独立方法もアリだと思いますね。
素敵なおバカさんにいっぱい出会うことです(笑)。とんでもないビジネスプランで夢を描いている愛すべき起業家や起業予定者は世の中にたくさんいます。そういう人に出会って語り合うと、いい化学反応が起こります。もんもんと自分だけで考えていたり、家族に相談や不安を言っても、いい反応どころかマイナスに作用するだけ。起業セミナーや異業種交流会に参加すれば、とんでもなく面白い人にたくさん出会えますよ。そして、「自分はこれができる」「これがやりたい」と、表明しておくことが大事です。名前を覚えてもらわなくても、そういう言葉を残しておくと、後々いつか跳ね返ってきますから。もうひとつは、素直にアドバイスを聞くこと。何でも試してみることです。
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