もり・よしこ/鹿児島県出身。大阪の製薬会社に10年間勤務。退社して帰郷するも、大阪が恋しくなる。就職活動中に起業へ方向転換。2007年にJGAP(適正農業規範)審査員資格取得。同年に再婚し、2008年11月、長女出産。趣味は料理と酒、ゴルフ。
思いを込めて起業後の初報酬で購入したワイン。創業10周年の記念日にどれだけ多くの仲間と分かち合えるかを楽しみに、オフィスのワインクーラーで寝かせ中
会社勤務時代の仕事にはやりがいも感じていたし、職能給システムで収入もスゴく良かったんです。でも、両親から「鹿児島に帰ってこい」とずっと言われていて、35歳を目前にして子どもを産むならそろそろ微妙な年頃だなと。Uターンしてすぐお見合い結婚したのが3月でしたが、5月には結婚生活の継続はもうムリだと思うようになり、6月には離婚を決意し、就職活動をしていました。どこに就職するか迷っていた時、SOHO起業イベントに参加したんです。
SOHOってITのイメージを持っていたし、起業なんて私には無縁だなぁと。でも、会場に来ていた人たちが、なんかスゴく楽しそうなんですよ。そして、株式会社フォーエバーの久永忠範社長も参加していて、「へー、鹿児島にもこんな面白い人がいるんだ。この人と話してみたい」と思ったんです。イベント後の飲み会の席で話したら、会社の忘年会に誘ってくださって。そこで出会ったのが、雇用・能力開発機構鹿児島センターの天辰所長(当時)。「機構に遊びにおいで」と言っていただき、年明けに会いに行きました。「起業って何のことかさっぱりわからないんですけど,私にもできますか?」って聞いたら、私の履歴書を見て、「これなら何でもできるよ」って。「ええええーーーっ?!」でしたよ。前職の経験を生かせるとしたら食関連のセミナー講師ぐらい。ただし、もちろん実績もないし、セミナーも頻繁にあるものじゃない。この時はやっぱり起業なんでムリだと思いました。
出産直前のプレゼンで勝ち取ったセミナーの仕事は、「人脈が財産」との言葉どおり起業家仲間が協力。そのひとり閏ひさみさん(写真左)との打ち合わせ
天辰所長の勧めで「アントレプレナーDo It」という勉強会に参加することに。毎週様々な経営者をゲストスピーカーとして招いた講演があるのですが、特に有意義だったのは勉強会後の飲み会です(笑)。「ゲストスピーカーと絶対に話すぞ!」と決めて、必ずその方の正面か左右の席に座わりました。じかにいろいろ聞ける、聞いてもらえるチャンスですから。そして1カ月後には、食関連のコンサルタントで起業。「起業って何?」状態から3カ月弱で(笑)。仕事の当てもまったくありませんでしたが、自分が何をしたいかは固まったので。今では、起業したいのにためらってる人を見ると、「いつになったらするの? いつでもできるじゃん」と思っちゃいます(笑)。
鹿児島は北海道に次ぐ規模の農業生産県で、生産は得意だし、おいしいものもいっぱいあるのに、売るのが下手なんです。宣伝ベタというより、その方法自体を知らない。プロデューサー的な役割を果たす人がいないと感じました。たとえば焼酎。人気銘柄は東京や大阪では高価で取り引きされてますが、卸値はずっと同じで製造元の儲けが増えていないんです。ちゃんと鹿児島にお金が落ちるようにしないと、鹿児島が元気にならない。そこをビジネスにして故郷を元気にしたいと。でも、今まで地元にはなかったビジネスモデルなので、まず知ってもらうのが先決だと考え、得意な(笑)飲み会にさらに積極的に参加して、多くの経営者や関係者と話すことに努めました。
周知には1年くらいかかりましたが、広告出稿も飛び込み営業もせず、講演依頼やコンサルティングの依頼が増えてきました。今の夫と知り会ったのもその頃。オフィスを構えた“ソーホーかごしま”は5年間入居できるのですが、「ここに5年いるようじゃダメだよね」って、そんなこと言う人初めて。この人面白い、話してみたいと思って付き合いが始まり、その1週間後には結婚を決めていました。私、何ごとも思い切りがいい(笑)。法人化の時もそう。妊娠がわかったタイミングで一瞬迷ったのですが、「今できないなら将来もできない」と思ってエイッと。薩摩のわらべ歌に「泣こかい 跳ぼかい 泣こよっかん ひっとべ!」ってあるんですが、“ひっとべ”とは“思い切って飛べ!”という意味。座右の銘であり、私の性格を見事に表している方言です(笑)。
出産前も“ひっとべ”精神で、出産予定日の2週間前にどうしてもやりたい仕事をプレゼンして取っちゃって(笑)、予定日3日前まで仕事していました。それは、厚生労働省委託の地域雇用創造推進事業「かごしま食のスペシャリスト人材育成研修」という3日間のセミナーイベント。私は本来、何もかも自分で決めたい性格ですが、さすがに無理だなと。経営者仲間の閏さんと柳田さんに協力を頼みました。こういう仲間がいるのも、起業を機に広げた人脈のおかげ。今は、育児というクリエイティブな仕事も楽しいですが、完全復帰したら、もちろん鹿児島を元気にするために“ひっとび”続けますよ!
前職では商品開発や、食品保健指導士の資格を生かしてお客さま相談室の仕事もしていましたが、親の要望で退職し、Uターンしてお見合い結婚。けど、なんか違うなぁと。親に「ごめん、離婚して大阪へ戻るわ」と言ったら、当然怒られまして(笑)。「鹿児島で何か仕事しなさい」と。就職活動して3社から内定をもらいましたが、たまたま参加した鹿児島市と雇用・能力開発機構鹿児島センターの起業イベントで、初めて「起業という手もあるのか!」と知ったんです。起業の“き”の字も知らなかったけど、自分は何がしたいか、地元にどんなニーズがあるか、前職の経験をどう生かせるかを考え、取りあえず始めてみようと。“ひっとべ”精神で起業しました。
開業資金は50万円です。鹿児島市のインキュベーション施設「ソーホーかごしま」に入居する際に、家賃月4万円、机やソファなどの備品で30万円。残りは運転資金です。
すべて自己資金です。これまでの貯蓄を充てました。
親は「何か仕事しなさい」と言ってしまった手前、反論できなくなったみたいです(笑)。独立前に勤務していた小林製薬の同僚や後輩からは「大阪に帰ってきてくださいよ〜」と言われました。鹿児島大学時代の友人は、もともと女子が少ない理系でしたし、鹿児島にUターンしている人も少ないので、地元にいないんですよ。でもみんなに事後報告したら、まったく不思議に思われなかったですね(笑)。
起業前より、起業直後のほうが不安でしたね。インキュベーション施設「ソーホーかごしま」に入居したものの、毎月の家賃4万円を払い続けられるのかなぁと。天辰所長に言ったら「あなた、月に4万円も稼がないつもりなの?」って、ハッとしましたが(笑)。不安を抱えていても何も始まりません。せっかくだからこの時間を生かして勉強しようと、JGAP(適正農業規範)の導入指導員の資格を、その後、JGAP審査員の資格も取得しました。夜は毎晩飲みに行って誰かとしゃべっていましたね。どうぜ晩ご飯はどこかで食べるのですから(笑)。この“飲みニュケーション”は大切だと思いますよ。とにかく私自身のこと、新事業を知ってもらうことに努めていました。不安を解消するには行動し続けるしかないですから。
雇用・能力開発機構鹿児島センターの天辰所長、「アントレプレナーDo It」の勉強会でゲストスピーカーをされた先輩起業家のお話です。この勉強会の後には飲み会があるのですが、毎回、ゲストスピーカーとじかに話そうと決めていました。そこで、ひたすら飲んでしゃべっていましたね(笑)。経営理念を教えてもらったり、自分の考えを聞いてもらったり、社長ってどんなことを考えているのか聞き出していたんです。それと、鹿児島センターで貸し出している「事業計画書の書き方」や「企画提案の企画書」、過去の「アントレプレナーDo It」の講演ビデオなども役立ちました。
起業前の相談相手は天辰所長です。私が創業した直後に横浜へ異動されてしまったんですけど、その後もメールなどで叱咤激励をいただいてます(笑)。今現在の相談相手は夫ですね。彼は公認会計士で中小企業診断士でもあるので、私が苦手な財務も詳しいんです。でも「借り入れとか自分でやったほうが勉強になるから」って。「確かにそのとおり!」と、なるべく頼らないようにしています(笑)。
コンサルティングやコーディネーターの役割をクライアントに理解してもらえずに困ったことがありました。とある飲食店のオープンのお手伝いをさせていただいた時、相手の要求と私のできることがマッチングしなくて。相手は私に、コーディネーターとしてではなく料理人としての知識を求めていたんです。何度説明しても、なかなか理解してもらえず、結局、契約金を一部お返しして身を引きました。大きな仕事でしたので、降りるのも返金するのも勇気が必要でしたが、お金だけ取って仕事しなかったと後から言われるよりもいいですからね。コミュニケーションの大切さ、相手の要求を見極めることの大切さを学んだので、いい勉強になりました。
やはり、雇われの身だったら自分がイヤな仕事もやらないといけないけれど、自分が「これがいい」「これがやりたい」と思う仕事ができることですね。とはいえ、起業直後はどんな仕事でも嬉しいものですよね。でも、忙しくなり始めた時、私ひとりで多くの仕事はこなせないのだと割り切って、「好きな人、好きなもの、好きなこと」しかやらないと決めたんです。自分が思いを込められない仕事はしない。それが今できていることが幸せです。それと、広い意味で出産もいい経験になりました。人に任せることも覚えたし、ちょっとのことでは動じなくなりましたから(笑)。
迷っているだけでは何も始まりません。一歩踏み出すことです。その時に、なるべく多くの人に会うことが大切です。異業種交流会などでも、単に名刺交換するだけじゃダメで、話して、覚えてもらうこと。誰かに会って、自分の事業を聞いてもらい、相手からもニーズがあるのかを聞き出すんです。私は創業1年目で名刺を1000枚配りましたけど、その時の名刺には、自分の似顔絵を入れたり、好きな言葉“ひっとべ”を入れて、相手に覚えてもらえるようにしました。今、身をもって実感していますが、人脈が一番の財産です。人脈づくりは独立してからでも遅くはありません。人脈を広げることを常に意識しておくことをお勧めします。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報