先輩たちの独立事例集

先輩たちの独立事例集


関塚 学さんの写真

60種の有機栽培野菜、
平飼い鶏卵をつくる農家

関塚農場/栃木県佐野市
関塚 学さん(35歳)

せきづか・まなぶ/埼玉県出身。大学卒業後、リネンサプライ企業に就職し1年で退職。その後、ワーキングホリデーで訪れたオーストラリアで有機農業と出合い、就農を目標に農業研修や農家の手伝いを続ける。妻というパートナーを得て、29歳で新規就農。

独立準備のがんばりどころ

人生で本当にやりたいことを探すため渡豪。そこで出合った有機農業

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妻の知子さんとの間にはふたりの子どもがおり、おなかには、また新たな命が。頻繁に手伝いに来てくれる両親は嬉しい助っ人。ヤギのハナちゃんは自家用ミルクを提供してくれる

もともと環境や自然に関して興味があり、いずれ何かしらの自然にかかわる仕事がしたいと思ってはいたんです。でも、学生時代は何をすべきかがわからないという状況でした。日本のような先進国で、便利なものばかりを享受してゴミをたくさん出し続けてという生活に、何か後ろめたさのような感覚も持っていましたね。結局、大学卒業後はリネンサプライ企業に就職したのですが、ここでは本当に自分がやりたいことに近づけないと思って1年で退職しました。

それでオーストラリアに行って有機農業に出合うわけですが、最初から就農を目指していたわけではないんです。ずっと親元で生活していましたので、そこから離れたいという思いのほうが強くてね。それに、海外への憧れと英語が話せるようになるのではという期待。よく言われる言葉では“自分探し”とでも言うんでしょうか、少し大変な思いをすれば、自分が本当にやりたいことが見えてくるのではという淡い期待を膨らませて渡豪しました。

資金と、一緒に働いてくれる妻というパートナーを得て、新規就農

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平飼いで育てている鶏。自由に動き回れるので鶏はストレスを溜めず、自然交配でおいしい有精卵を産む。エサも、米ぬかやふすま、もみなど、自然のものを自ら配合して与えている

有機農業に出合ったきっかけになったのは、オーストラリアでのウーフ(WWOOF)体験です。ウーフとは、“Willing Workers On Organic Farms”の略で、有機栽培農家から食事と宿泊場所を無料で提供してもらう代わりに労働力を提供するというもの。それが面白くて、約4カ月間、メルボルンやパースなど、都市郊外の有機栽培農家を手伝いながらウーファーを続けました。帰国してからも、日本でウーフのような体験ができないかと、あちこちの有機栽培農家に電話で連絡を取りました。とある一軒が受け入れてくれることになったので、お世話になることにしたのですが、朝の5時から作業開始という生活は、さすがにきつかった。でも、これもそのうち慣れるだろうと。それが25歳の時です。

この頃には、自分で農業をやろうという気持ちは固まっていました。そこで、ある程度の資金を貯めてから30歳までに就農しようと目標を定め、実家近くの生協で働き始めました。ここで3年ほど働いて資金を貯め、その後の1年間は、農業研修生を受け入れている茨城県の農場へ。その当時、研修仲間とよく話していたことは、「農業にはパートナーが必要だ」ということ。だから、一緒に農業をやってくれるお嫁さん探し。それも急務でした(笑)。幸運なことに、飲み会で知り合った農業研修仲間の女性がいまして……。それが妻の知子です。僕より先に農業研修を終えていたこともあり、農業、そして就農について語り合ううちに、「ふたりで一緒にやっていこう」と、結婚することになりました。

若い就農者が使ってくれるなら大歓迎と、無償で畑を貸してもらうことに

就農のための畑と家は、研修中から探し始めていました。古くてもいいからと、周りに農地があるような家を探しましたが、いい家がなかなか見つかりません。毎週のように探し歩いて、決まるまでに3カ月ほどかかりましたね。その家の周りを見渡すと、畑や田んぼが遠くまで広がっていたのですが、その多くが遊休地になっていました。そこで、佐野市の農協の人、その知り合いの方、さらには地域の農業委員の方と、どんどんつてをたどっていくうちに、地主さんが、「若い人が農業をやりたいなら、ぜひ使ってほしい」と。なんと無償で貸してもらえることになったんですよ。これは嬉しかったですね。

スタートから2年間は貯蓄を切り崩す生活が続きましたが、それ以降、月平均で35万円の売り上げが確保できるようになりました。現在、8反の畑で60種類の有機野菜を育てています。また、平飼いで鶏を育てて卵も出荷しています。労働力は、基本的に僕と妻のふたりですが、就農を宣言した時には大反対していた両親が、多い時だと週に3日くらい手伝いに来てくれています。子どもたちの面倒も見てくれるので、本当に助かっています。また新しい試みとして、食材を地域のイタリアンレストランで提供しようと活動している「佐野プレミアム イタリアン」という組織があるのですが、彼らと連携して農業体験イベントを開催していこうと計画しているところです。

取材・文 / 田村 康子 撮影 / 小林 佐孝

ちょっと気になる10問10答

  • なぜ独立した?

    「有機農業を自分でやるんだ」という熱意だけですよ。その熱意がなぜ生まれたかと言えば、やはりオーストラリアで体験した有機農業と、そこでの暮らしぶりです。食べ物をつくっているのですから、もちろん自給自足の生活。お風呂も薪で焚いているし、仕事をしていない時は実にのんびりと過ごす人たち。自然から享受したものを捨てることのない生活なので、ゴミもほとんど出ません。これを日本で自分がやるべきだと。そう決めて、就農への行動を起こしました。

  • 開業資金は?

    800万円です。住居は古い民家を借りて、礼金や敷金なしの家賃2万円。鶏小屋と作業用の納屋は新しく建てたので、その工事費が合計120万円。ほかに、種代や農業資材、細々とした農機具の購入で1年目に300万円ほど使いました。残ったお金は運転資金と当面の生活費ですね。畑は無料で貸与していただいていますし、トラクターは知り合いの農家から中古を無償でもらいました。また、農家になくてはならない軽トラは、妻が結婚前から所有していましたので、当初はそれを活用しました。

  • 開業資金はどう集めた?

    開業前までに貯めていた貯蓄。それと開業と同時に結婚したので、皆さんからのご祝儀も開業資金にさせていただきました(笑)。

  • 周囲の反応は?

    両親は猛反対でした。「何たわごとを言ってるんだ!」と。父は公務員だったので、安定した自分の状況から考えると、無理をして不安定な人生を選択するなんて……という思いだったのでしょう。また、父が子どもの頃は実家が兼業農家だったんだそうです。収穫の時期は駆り出されて手伝いをしていたようで、農業の大変さも教えてくれました。そんな、両親はあくまでも反対、僕自身は絶対にやるという状況の中、「結婚して夫婦ふたりで農業をすることに決めました」と報告したんです。すると、あっけないくらいに「じゃあ、とにかくふたりで頑張ってやってみなよ」と。意志の固さがやっと伝わったというか、いや、妻がしっかりしていたので安心したんでしょうか(笑)。

  • 不安だったことは?

    やっぱり経済的なことです。結婚と同時の開業だったので、ちゃんと生活していけるかどうか本当に不安でした。でも、幸いに当面の生活ができるだけの貯蓄がありましたし、畑も無償で借りられましたからね。2年後に利益を出せるようになれば、何とかなるだろうと。あまり深く考えないようにしていました。

  • 役立った情報源は?

    農業研修で学んだことはもちろんですが、修了後も、指導してくれた師匠や同期の仲間たちとの情報交換が一番役立っています。といっても、「さあ、情報交換だ」と大それたことをやったわけではなくて、ちょっと電話で連絡を取った時にお互いの状況を語り合ったり、「こうしたら良かったよ」とか、「これは失敗だった」とか、そんな経験談がとても役に立ちました。野菜などの栽培法に関しては、農業の専門書を大いに参考にしています。

  • 相談相手は?

    妻、同時期に新規就農した仲間たちです。有機農業の実践を目的に、生産者と消費者、それに研究者などが連携して組織されているNPO法人「日本有機農業研究会」にも所属しているのですが、そのメンバーたちも良き相談相手ですね。有機農業にもいろいろな手法がありますから、自分の失敗を語ることで別の方法を教えてもらうなど、「ああでもない、こうでもない」と語り合うのも楽しいですね。「なるほど、来年はその方法を試してみよう」と考えるだけでニンマリしてしまいます。

  • 独立して一番困ったことは?

    理想ばかり追ってしまって、売り上げにつながらない時期がありました。その時は、「このままでいいのか」と悩みましたね。また、最初は有機農業を実践していたのですが、3年後に「より難しい自然農法に挑戦してみよう」と昨年まで頑張ってきたんです。ちなみに自然農法とは、農薬を使わないことは当然として、不耕起(耕さない)、不除草、不施肥で行う農法です。とはいえ僕たちはできるだけ耕さず、除草も最低限にして、少ない施肥で試みました。土や自然が持っている本来の力を最大限活用して行う農法ですが、自分たちの能力や使っている畑の状況から、今はまだ無理があると判断して再び有機農業に立ち返ることに決めました。

  • 独立して一番良かったことは?

    農家に定休日はありませんが、それでも毎日が楽しくて仕方ないですね。種をまいて、やがて小さな芽が出てきた時は、毎回、新しい生命が生まれた瞬間に立ち会っている気分にひたれます。今後は収穫した作物で、自家製の味噌や醤油、お酢などをつくろうと計画しています。「あれもつくれそう、これもつくれそう」と考える時間も至福です。塩以外は自分たちですべてつくる。それを目標としています。

  • 独立を志す人へのメッセージ

    日本の農業が危機的状況にあることは周知の事実ですが、今、農業をやりたいと思っている若い人たちが増えているんです。もちろん僕自身も若い新規就農者たちがどんどん増えてほしいと考えています。そして、やるからには継続してほしい、そして失敗してほしくないと願っています。そこで農業を志す若い方たちにお願いしたいのは、ぜひ、僕たちのような先に農業を実践している人を大いに活用してほしいということです。皆、日本の農業をどうにかしなければ、就農者を増やさなければと考えている人ばかりです。ですから、就農に当たってのアドバイスもしますし、実践の場も提供します。ぜひ、積極的な行動を起こしてください。実は、借りていた土地を買い取って、自分で新しい家を建てようと工事に着手したばかり。その家には研修生用の部屋も確保しているんです(笑)。

開業
2002年3月

開業資金
800万円

従業員数
2人

年間売上高
非公開

アクセス
〒327-0517 栃木県佐野市秋山町1562 関塚 学


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