さぎさか・まさる/神奈川県出身。高校球児を経て、テレビ番組制作会社へ。AD経験後、タレント事務所に転職。関根勤、キャイ〜ンなどのマネジャーを13年間務める。勤務時代から企画・実施していたお笑いライブは、独立した現在も毎年継続して開催。
芸能プロダクションや番組制作会社など、同業界でネットワークを組む企業4社とオフィスをシェア。各社の社長がここで顔を合わせ、情報交換やアドバイスをし合う
テレビ番組をつくる仕事がしたいと制作会社に飛び込み、ADなどの下積み仕事を約2年半続けました。子ども番組に出演する子どもたちをあやしたり、公開バラエティー番組の観客のテンションを高める前説を任されたり……。その器用さが買われたようで、番組で縁があった芸能プロダクションから「うちでマネジャーをやってみないか」と誘われたんです。テレビ番組やイベントの制作に携わりたいという思いは残っていましたが、同じテレビ業界と違う角度で勉強するのもいい機会だと考え、お受けすることに。その決断によって得た経験が、独立してから存分に生かされていると思っています。
タレントのマネジャーというと、出演番組のブッキングやスケジュール管理が主な業務と思われがちですが、芸人の場合は特に、芸人本人が引き立つ番組づくりを制作側に提案するなど、タレントプロデュースの視点が非常に大事なんですよ。今、僕がやっている番組制作もタレントのマネジメントも「プロデュース」という点ではある意味で同じ。芸能プロダクション勤務時代に、番組とタレントの関係を客観的に見ながら、ヒットする仕組みをつくる企画力や発想力を培うことができました。
お笑いライブ「お笑いフューチャーズ」は、前職時代から開催しているライフワーク。新旧の笑いがコラボする舞台「現代狂言B」は大評判で、2009年1月からは全国で興行する
芸能プロダクションでは、タレントのマネジャーだけでなく営業活動も経験。当時は、携帯電話もメールもインターネットもない時代でしたから、テレビ局や広告代理店などを足で回って、担当者と顔を合わせながら交渉する営業スタイルです。そういったフェイス・トゥ・フェイスでの営業経験があったからこそ、この業界で生きていくうえで最も重要な人脈や信頼関係を築くことができましたし、局や代理店のニーズをいち早くつかむノウハウを体で覚えることができました。
また、マネジャーを長く経験するうちに、担当していたキャイ〜ンさんの単独ライブや、将来有望な若手タレントを集めたお笑いライブも開催。実際にイベントプロデュースやスポンサー探しといった現在と同じ仕事を行って、実績と経験を積んでいったことで、独立後の仕事に関しての不安を軽減することができたんですよ。
独立する際に重視したのは、勤務先の辞め方です。この業界は狭い世界ですし、いい仕事を長くさせていただいた会社に、後ろ足で砂をかけるように辞めることだけはしたくなかった。悪い評判はすぐ伝わるものですしね。独立を思い立ってから退職までに2年かかったのも、自分とかかわってくれたすべての人に応援してもらいたかったから。そこで、勤務先に独立の意思を伝えてから1年近くの時間をかけて、仕事の引き継ぎをていねいに行いました。なので、具体的な独立準備を始めたのは、辞めた後ですね。といっても、実際の作業としては、信頼性を高めるために法人化して、オフィスの確保や仕事環境を整えたこと。あとは、業界関係者に独立のあいさつ回りをしたくらいです。
現在は、テレビやイベント、舞台のプロデュース、お笑い芸人を中心としたタレントのキャスティングのほか、番組制作を教える専門学校の講師も務めています。次代の優秀な制作スタッフを育成したいという気持ちも強くて、その学校の卒業生を自社の社員として採用してるんですよ。当社の仕事はかな〜りキツイですが(笑)、その分、優良企業並みの待遇を提供してあげたいので、福利厚生の体制を整えているところです。
マネジャーになって11年目の頃です。テレビ業界で技術関連の会社を経営している社長から「君と一緒に仕事がしたい。そのためには独立してくれたほうがやりやすいんだ」と言われたんです。その方は尊敬する先輩でしたし、もともと僕は制作の仕事がしたかった人間なので、ビッグチャンスだと思いましたよ。しかし、当時はマネジャーとして素晴らしい人や仕事に恵まれていたので、それから約2年悩み抜きました。その間、いろんな人に相談したんです。「やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい」という妻の言葉、当時担当していたキャイ〜ンの天野ひろゆきさんの「自分も夢があるからお笑いをやっているわけだし、キミが夢を持っているのはとっても嬉しいこと。だから、僕はキミの夢を止めるわけにはいかない」という言葉に背中を押され、やっと独立を決断したというわけです。
資本金として用意した300万円のみです。パソコンやプリンタなどの設備・備品のほか、Webサイトの制作費、法人設立の手続き費用を税理士に支払った総額が80万円くらいでしょうか。残りは運転資金に回しています。
退職金の一部を充てました。長く勤めてきた実績が認められたことや、勤務先からも応援いただいて船出ができたこともあって、想像以上の退職金がもらえたんです。そのこと自体、嬉しかったですし、独立に当たって非常に助かりました。
同じ業界の関係者は、みんなビックリですよ。マネジャーから独立する人の中には、トラブルを起こしてやむを得ず辞めたというケースがけっこう多いので。独立したと言うと、小声で「モメたの?」と聞かれることがしょっちゅうでした。「いや、円満退社だ」と伝えると「もったいない! バカだね」なんて言われましたね(笑)。恵まれた環境で、いい仕事をさせてもらってましたから、僕の独立話は「まさか!?」だったようです。
大きな不安はありませんでしたが、順調に仕事が入ってくるかどうかが、不安材料のひとつでした。実際、独立後1発目の仕事として見込んでいた大きな仕事の話がポシャってしまった時は、かなり焦りました。
前職時代から付き合いのあるテレビ局や大手広告代理店などの方でしょうか。独立してあいさつ回りをした際、仕事の話をいただいたり、番組制作にまつわる最新情報を教えていただいたり。前職でも営業職をしていた時期があるのですが、その時の経験、人脈、スキルが大いに生かされましたね。
「独立してみないか」とアドバイスしてくれた、現在、協力会社の会長には、独立後に経営的なアドバイスをかなりいただいていますね。また、オフィスをシェアしている会社の社長たちには、帳簿の付け方やパソコン操作などを教えてもらいました。マネジャー時代の僕は、かなりのアナログ人間だったので、パソコン操作は初心者中の初心者でしたから。これが非常に助かりました。
独立して間もない頃、資金がショートしそうで、「マジでヤバイ!」というタイミングがありました。その時は、妻のお父さんに頭を下げて借金をお願いし、自社の口座への入金と同時に返済し、難を逃れることができたんです。でも僕は昔から借金が大嫌いなんで、その時は本当につらかったですよ。その経験からキャッシュフローの重要性を痛感し、運転資金をしっかり、できるだけ多くプールしておくようにしています。
後悔したくないと思って独立したので、取りあえず今、後悔しない人生を選択できていることが、良かったことのひとつですね。また、独立後は人と人との信頼関係が勤務時代よりかなり深くなったので、人に対するありがたみや感謝の気持ちがいっそう強くなったと思います。
チャンスはいくらでもありますが、あると思って動かないと、ひとつもチャンスはつかめません。チャンスをつかむためには、一歩前へ踏み出す勇気が最低限必要ですよ。それと、今はメールでやりとりするだけで、相手の顔を見ないで済んでしまうことがたくさんありますが、それだけでは人との本当の信頼関係は築けないもの。僕はどちらかというと、アナログ人間ですが、だからこそ相手の顔を見て話すことの大切さを知りましたし、コミュニケーション能力も磨かれたんだと思っています。独立すると、より人と人とのつながりが重要になってきます。人とのきずなを深めるためにも、アナログの人間関係の大切さを忘れないでほしいですね。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報