みずぐち・やすじ/北海道出身。大学卒業後、日本電信電話公社(現・NTT)に就職し1989年に退職。NTT時代からの縁で、成田空港公団警備部(現・成田国際空港株式会社)へ。 65歳で定年退職後、外貨両替企業経営者という新たな人生をスタート。
米ドルから円への両替は、ドル紙幣を入れてボタンを押すだけ。面倒な手続きがないだけでなく、ドルから換えられた円は市中の金融機関よりもレートがいい。ホテルの宿泊客にも好評
米ドルを日本円に両替できる専用の両替機を、成田空港周辺のホテルに設置して管理するのが当社のビジネスです。金融ビッグバン勃発後の1998年、「外国為替及び外国貿易法」が改正されたことによって参入規制が緩和され、一般企業でも外貨両替を事業にすることが可能になったんです。いわゆる両替商です。このことはあまり知られていなくて、外貨両替は金融機関でないとできないと思っていらっしゃる方が今でも多いですよ。
NTT勤務だった私が、なぜそんな事業に着手できたのかと言いますと、後年、NTTとのかかわりがあった成田空港公団警備部に勤務していたからです。警備員の従業員教育を担ってほしいという要請があり、NTTを退職するかたちで転職しました。空港公団は2004年に解散し、現在は成田国際空港株式会社という民間企業になっています。それで、「世界中の人々が行き交う国際空港で仕事をしていた水口さんなら、外貨の扱いにも詳しいのではないか」と、知り合いの両替商から相談を受けたのがそもそもの始まり。やがて、定年退職後の起業につながるとは、自分でも思ってもみませんでした。
成田空港に近い「ホテル日航成田」のロビーには、両替機が2台設置されている。偽札は確実に判定されるという両替機。外国人宿泊客が多いホテルからは絶大な信頼が寄せられている
その相談とは、「米ドルを日本円に両替できる精巧な機械がすでに開発されていて、それがうまく利用されずに宝の持ち腐れ状態になっている。どこか使ってくれるところはないか?」というものでした。両替機を開発し所有しているのは、これも旧知の遠藤智彦社長が経営している日本シーディーアールという偽札鑑定などに使う機械を研究開発している会社。世界中の金融機関や空港などからも引き合いの多い、業界では有名な企業です。当然、その両替機も偽札を確実に判定し、不法な利用ができないようになっているとのこと。そんな便利で安心なものなら、外国からの宿泊客が多い成田空港周辺のホテルが喜んで設置するのではと考えたわけです。
そこでさっそく、空港に近い大型ホテル「マロウドインターナショナルホテル成田」さんに声をかけたら、「そんな便利なものがあるなら、すぐにでもロビーに設置したい」と。それがホテルへの設置第1号です。その時点では、自分でビジネスにするという考えはなく、「頼まれたことでちょっとお手伝い」「実験的な設置」という感覚でした。ところが、周辺のホテルでも話題になり、「ぜひ、うちのホテルにも」と、どんどんオーダーがきたんですよ。ちょうど定年退職を間近に控えていた時期でもあったので、最初に相談してきた両替商、そして日本シーディーアールさんから、「退職後はこれを専業でやってみないか」と背中を押されましてね。
札幌市出身の私ですが、NTT時代は主に札幌に住み、空港公団の仕事をするに当たって成田市に移りました。定年退職後は札幌に戻って、若い頃からの趣味だった音楽を楽しみながら、ささやかなものでいい、音楽関連の仕事ができればと考えていたんですよ。両替機の設置事業は降ってわいたような話でしたが、お客様になるのは長年なじみのあるホテルや空港を利用する方たち。それに、日本の高い技術で開発された精巧な両替機を生かさない手段はないですからね。「これも縁。やってみよう!」と。開業に当たっては、現金を扱うビジネスなので、信頼を得るために株式会社を設立することにしました。
最近、「両替ビジネスはそんなに簡単に成り立つのか?」と、全国からの問い合わせが多くなりました。実際にお金の流れ自体は単純なんです。ところが、そもそも外貨の両替という需要そのものがどこにでもあるわけではありません。大きな国際空港があるエリアや、東京などの都市部に限られています。また、両替機が回収した米ドルを市中の銀行で換金していては利益が出ません。その利益を出すのが専門の両替商で、取引してくれる両替商とのルートをつくること自体が難しいのです。さらに財務省への緻密な月次報告も義務付けられています。私が開業できたのは、まず成田を拠点にできたことと、周辺ホテルのこともよく知っていたこと。それに、両替機が優先的に供給してもらえ、かつ信頼できる両替商とも以前からの知り合いだったこと。そんな、いくつもの巡り合わせとご縁があったから開業できたのです。定年後の人生を意義あるものにしていただいたわけですから、今後もますます精進しなければと思っています。
大学卒業後の1959年に就職したNTTですが、民営化されたのは1985年。私が就職した時は日本電信電話公社、いわゆる電電公社と呼ばれる公共企業体でした。勤めていた時代は、おんぶに抱っこと言ってはなんですが、とても恵まれた環境で仕事ができたことには本当に感謝しています。しかしながら、それだけに自分で何かを成し遂げたという達成感も味わってみたいと思うこともしばしば。空港公団からの退職直後にいろいろなきっかけやご縁が巡ってきたこともありますが、「この好機を逃してはいけない。私にとって、自分で何かを成し遂げるという人生はこれからなんだ!」と勇気がわいてきて、独立を決意しました。
資本金が1100万円、ほかに2000万円ほど用意し、合計で3100万円です。2000万円の使い道ですが、まず外貨両替商としての経営権を以前から外貨両替ビジネスを行っていた旧知の企業から買い受けました。その経営権買い取りに1500万円、あとは、机やパソコンなどの備品購入費として数十万円出費しただけ。残った資金はすべて運転資金に回しています。両替機の購入費は、資本金の1100万円から充てています。
すべて自己資金ですが、主に退職金と、それまでの貯蓄ですね。
独立開業を反対するような人はいませんでしたが、やはり定年退職後ということで、「退職金もあるし、年金で生活できるんだから、もうゆっくりすれば……」と言われることはありました。息子も、「お父さんまだ仕事する気なの? せっかくのんびりできるというのに」と。それが、いざ開業してみると、「生き生きしていて、本当に幸せそうだね。良かったね」と言われました(笑)。
やはり現金を扱う仕事で、かつ両替機の中のお金を回収・補充に出向きますので、セキュリティに関しての不安が大きかったですね。できるだけ間を置かず、何度も回収に出かけることで、一度に出し入れする金額を少額にしています。両替機を設置しているホテルに頻繁に通わないといけないですが、安全第一ですからね。さらに私もスタッフも、防犯ブザーはもちろんのこと、周りの人に助けを求めるための笛、キーホルダー型の小型催涙スプレーを携帯するようにしています。
NTT勤務時代に培った経験や知識が大いに生かされていると実感しています。私が若い頃は、今のようにインターネットなどで様々な情報が得られる時代ではありませんでした。ですから、知識や経験も、もともとは先輩諸氏から直々に教えていただいたことばかり。今でも感謝しきりです。また、まだ電電公社だった時代から、お客様に喜ばれるサービスを次々に展開しようと、電話の応対法を基本にした社員教育サービス部門のリーダーも経験しました。自分で言うのは恥ずかしいですが、68年という人生そのものの中で得てきたもの。それ自体が大きな情報の源となっています。
会社設立に当たっては、千葉地方法務局の成田出張所に通って、必要な手続きを教わりながら自分で定款などの必要書類を作成しました。その担当者の方が、どんな相談にも親切に丁寧に対応してくださって、本当に助かりました。また、外貨両替という特殊な事業に関して教えを請うたのは、外貨両替ビジネスの先輩でもある株式会社クレセールの石川雅章社長です。両替商とのルートづくりや利益の出し方など、その方がいなければわからないことばかりでした。現在も毎月1回、相談と現状報告をするためにお会いしているんです。
特別困るようなことはなかったですね。たくさんの良い機会に恵まれ、多くの方々からご支援いただけましたから。今、困っているというか、嬉しい悲鳴でもあるのですが、両替機設置の引き合いが多いのに機械が足りなくて……。でも最近、米ドルだけでなく、ユーロも両替できる両替機がようやく完成したんですよ。「導入までもう少しだけお待ちください」といった状況です。
多くのお客様に喜んでいただいていること。これに尽きます。当社にとってのお客様は、両替機を設置いただいているホテルと、両替を希望する宿泊客。ホテルとしては、外貨両替を担当する人員を専門に置く必要がなくなり、かつ顧客サービスにもなります。また、専門の両替商とのネットワークがありますので、金融機関で両替するより高いレートで米ドルを日本円に換えられることから宿泊客からも大好評だと。それが、「次もあのホテルで」と、リピート客の拡大にもつながっているそうです。そのように、ホテルからは二重三重の喜びの声が聞こえてきます。
これは、私のように高齢になってから起業される方にお伝えしたいことです。というのも、高齢者にとって、新たにモノをつくって売ったり、あるいは何かを大量に仕入れて販売したりするビジネスは、よほどの体力がないと難しいでしょう。高齢者の独立を有利にするのは、住んでいる土地との縁や、長年の仕事による人脈です。私の場合も、国際空港のある成田市という土地との縁。それに、現役時代の、いろいろな方たちとのネットワークがあったからこそできたビジネスです。皆さんも、今住んでいる土地に独特な需要はないか、また、信頼で結ばれた人脈がうまく生かせないかをまず考えてみてはいかがでしょうか。経験や縁が何もないビジネスを考えずに、身近なところから新たなビジネスの芽を見つけることで、独立への第一歩が踏み出せるかもしれません。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報