いなば・ひろし/茨城県出身。大学を休学し、インターンシップを経験。大学復学・卒業後、リサイクルショップに勤務し、2000年、若手起業家育成を行うNPOを設立。03年に自身でサロンを開業し、最近は東京都内にあるマッサージ学校の講師も務める。趣味は温泉めぐり。
サロンは山形駅からも程近い路面店。女性が入りやすい雰囲気をつくり上げたいと、バリ島のインテリアをコンセプトに置き、内装を仕上げた
大学在学中から起業したいという気持ちはありましたが、まだ漠然としたものだったんです。その思いを具体化するために1年間大学を休学。学生起業家としてリサイクルショップを数店舗経営していた、トレジャーファクトリーの野坂英吾社長のもとでインターンシップを経験しました。ここで一番学んだことは「自分が望む人生は、自分で努力すれば必ずかなえられる」ということ。インターンシップを終えた後は、野坂社長から学んだことを実践しながら、さらに磨きをかけたいと思い、大学に復学する一方で別のリサイクルショップに勤め、ある程度の経営を任せてもらいました。
また、当時はベンチャー起業ブーム。都心では若手の起業家予備軍たちのネットワークがたくさんありましたが、私が暮らしていた山形ではまだまだ。インターンシップの経験をとおして、人脈が事業経営にとって不可欠だと痛感したことと、地方都市である山形を若い力で盛り上げていきたいという思いもあり、地域活性化と若手起業家の創出を目指したNPO法人山形ベンチャーマーケットを仲間と一緒に設立。勉強会を毎月開催するなどして、自分自身のビジネスアイデアも練っていきました。
手技「推拿」は、中国の病院では外科や内科と並んで推拿科があるほど一般的。ツボをしっかり押すことで気の流れに働きかけ、心身のバランスを整える
事業アイデアを練る中で行き着いたのが、中国伝統の健康法を日本に広めたいという思いでした。実は私の祖父と母親は鍼灸師で、特に祖父は長く中国で中医学や太極拳などを学び、日本に伝えた第一人者のひとりでもあったんです。そのルーツを探るために中国を旅しているうちに、自分も中医学にハマってしまって。中国古来の整体術「推拿(すいな)」を学んだことで、中国整体サロンで独立したい人を養成するスクールを立ち上げたいと考えました。
推拿は日本ではさほど認知されていない手技でしたし、競合のほとんどいない地方都市で開業すればイケルはず。ロマンとソロバンのバランスが取れていると勝算を感じました。そう決断してすぐ、中国の大学に何度も通って中医学の職業国家資格「保健按摩師」を取得。中国の師匠から技術を教えるノウハウを学びながら、スクールの綿密なカリキュラムをつくっていきました。本場・中国での研修もできるオリジナリティあるカリキュラムを目指したので、準備には1年くらいはかけましたね。
スクール開設に先駆けて、株式会社として法人化。これまで自分を支えてくれた先輩起業家など10人にビジネスプランを説明し、出資を募りました。そして、2003年にスクールを開業した後、働きながら実践経験も積めるようサロンをオープン。また、スクール卒業生が働ける場の確保も考えて、開業して3 年間は多店舗展開に注力。結局、山形県内と仙台市内に4店舗を開業し、他社と提携して東京都内に3店舗を開業。合計7店舗を運営するまでに事業を拡大したんです。
しかし、自分では100の力を出せることが、スタッフに任せると80くらいの力しか出せないもどかしさを感じるようになったり、独立して自分の店を持つことで推拿を広めてもらいたいという思いがあっても、安定を求めるあまり独立への一歩が出せないスタッフが出てきたり……。そこで、現在は山形県内のサロンだけに店舗を縮小。真剣に独立を目指す弟子だけを集めながらスクール運営をしています。推拿のサロンで本気で独立したい人を、本気で育成すること。そんな原点に戻ったところですね、最近。
大学時代、人気企業というだけで銀行や商社を選び、どの企業にも「御社が第1希望です」と言っている、そんな先輩たちの就職活動に疑問を感じたのが最初のきっかけです。当時、ベンチャー起業ブームだったことも後押しになり、自分も起業を考えるようになりました。中国整体サロンを選んだのは、鍼灸師をしていた祖父や母親の影響もあると思います。が、自分自身が本場の中国で伝統の手技を体験して、これを日本で広めたいという思いがふくらんだからですね。
1000万円です。事務所の開設費と、スクールの店舗開設費、中国への渡航費などで600万円を使い、残りの400万円は運転資金にしました。
50万円はリサイクルショップ勤務時代の貯蓄。残りの950万円は先輩起業家など10人からの出資金です。合計1000万円を株式会社の資本金としてスタートしました。ちなみに、起業後、少しずつ株主から株を買い戻されてもらい、現在は自分を含めた役員が所有する株数は55%になっています。
父は国家公務員なので、起業といってもよくわからないようで、特に反対はありませんでした。起業時よりも、インターンシップで大学を休学する時のほうが大反対でしたよ。周囲の友人は「起業しようぜ!」というモード全開でしたし、応援してくれましたね。そういう友人や先輩起業家しか知り合いがいなかったんですけど(笑)。
特にありませんでした。ただ、スクールを開業する前に法人化して資金を集めていましたから、中国への渡航費などでどんどん通帳からお金がなくなっているのを見ると心配になったりして。早くスクールを立ち上げて売り上げを確保しなくちゃという焦りはありました。
起業家からの「こうやったら、うまくいった」という生の声ですね。そんな生の声を集めて、みんなで共有するために、ネットワークをつくったというのもあります。また、『アントレ』の巻末にある事業アイデアの練り方や、事業計画書の作成方法は本当に役に立ちました。夜、『アントレ』持参で仲間とファミリーレストランに集合して、よく勉強会を開いていましたから。
出資をしてくれた先輩経営者たちです。ノウハウ本には書けないようなリアルなアドバイスをもらえますし、今でもトラブった時などはすぐ相談しています。その中のひとりは、1週間に1度は必ず会うほど。家族のように面倒を見てもらってますね。
何といっても、商いの習慣が違う中国との取引ですね。いまだに頭を悩ませることが多いです。予定の日に荷物が届かない。契約した金額と請求額が違うとか。常に予想外のことが起きます。そのおかげか、交渉能力だけは磨かれました(笑)。
自分がいいと思ったことを、自分のやりたいかたちで伝えていけることでしょうか。うちは、本場の中国古来の手技を変わらぬかたちで伝えるのがコンセプトなのですが、それが実現できるのも自分自身が経営者だからだと思います。
あまり大きな夢を持ちすぎると現実とかけ離れていき、必ずリスクが生まれます。夢と現実の間を縮めるために、ロマンとソロバンのバランスを取ることが大事です。それから、「店舗数は何店舗で、従業員は何人で、売り上げはいくらで」というのが成功の証のように言われますが、事業は結局利益を出してナンボ。経費を極力抑えて、利益をどうやって出していくか。そこに一所懸命知恵を絞っていくことが大切だと思いますね。
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