おおにし・まさひろ/徳島県出身。大学院修了後、教員として、公立・私立学校で教鞭をとる。起業家育成に取り組んだことが注目され、経済産業省の起業家育成プロジェクト「ドリームゲート」の四国地域リーダーに。その経験を生かして2006年に独立。
起業支援のみならず、地域再生のための新規事業計画やスポーツ支援、新商品開発などにも着手。そのため、日々作成する書類は多岐にわたり、デザインや写真撮影も自らこなすように
大学院を出てから、公立、私立の小中高校教員、その後、予備校の教師となり、起業直前まで大阪にある私立高校の非常勤講師を務めていました。かつ、土日は経済産業省の起業家育成プロジェクト「ドリームゲート」の四国地域リーダーという任務も負っていましたので、大阪と香川を行ったり来たりという慌ただしい生活。その頃、「もう教員はやり切った」という思いがありました。それもあり、ドリームゲートで、皆さんに「起業しましょう」と言っているだけでなく、自分自身も得意なことを生かして独立しようと。
とはいえ、自分の得意なことって何だっけ?(笑)。まさに徒手空拳の独立決意でしたね。そこでまず、自分がやれることを真剣に考えることに。ドリームゲートで起業支援活動に携わる前の教員時代から起業家育成のための授業を展開していましたので、何かしらの起業支援業務ができるのではないかと。また、教員経験から、しゃべることは得意で、しゃべりで皆を楽しませることには自信がありました。それで、起業や、起業による地域の活性化をキーワードに相談・支援業務を行うことに決めました。
大学の夏休み期間を利用してインターンを受け入れている。立命館大学経済学部の松岡紀之さんは香川県出身。就職前にベンチャー企業で働く経験をしたいと志願してやってきた
現在は、起業支援事業、起業家育成事業、地域再生事業と、3つの柱で事業展開しています。でも、軌道に乗せるまでにはそれなりの時間がかかりましたね。コンサルタントとして相談を受けるにしても、自分は素人という自覚がありました。では、その道のプロといわれる人たちと、どう差別化するのか、それを最初に考えたんです。それで導き出したのが、起業や地域再生に関する相談業務を、とにかく徹底的に何でもやるということ。コンサルタントのプロといわれる人たちによくあるのは、動いた時間だけの報酬を得るというやり方です。そうではなくて、時間に関係なく、お客さんが納得してくれるまで動くことにしたんです。
すると、お客さんがお客さんを呼んでくれるようになり、自然に仕事が増えていきました。やがて、商工会議所が主宰する創業塾の講師の依頼も次々とくるようになったんです。もちろん、その受講生たちが、起業する際の相談にも乗っています。この仕事を進めているうちにわかってきたことがあります。香川県・高松市のような地方都市でのコンサルティング事業は、ある意味“待ち”の姿勢が大切だということです。
東京や大阪など、都会でコンサルタント業務を行う場合は、積極的な営業が欠かせないと思います。しかし地方では、自分がどこの誰なのか、また、何をやっている人なのかが具体的にわかっていないとまったく受け入れてもらえません。仕事や成果を認めてもらい、それが評判となって、ジワジワとお客さんが増えていくんですよね。“待ち”の姿勢を大切にしたことで、起業による地域再生に深くかかわるようになり、商店街の活性化事業なども手がけるようになりました。
時間に関係なく、徹底的に何でもやるというスタンスは今も変わっていません。だから、コンサルタントの域を超えて、商品パンフレットのデザインやWebサイトの企画、それらに使用する写真撮影まで請け負って、何でも屋状態でもあるんですけど(笑)。便利なパソコンソフトや、誰でもうまく写真が撮れるデジタルカメラにも助けられています。もちろん、自分で請け負えないレベルのものは、プロのデザイナーやWebの専門家に依頼して制作しています。今後の目標は、いつか起業家となる若い人を育てること。教員時代から続けてきた起業家育成は自分の使命だと思っていますので、今年(2008年)から自社で大学生のインターンを受け入れるようになりました。当社はまだまだ小さな企業です。でも、だからこそ起業家予備軍が学べるものが大いにあるのではないでしょうか。
教員という仕事に限界を感じていました。高校で起業家育成の授業も行いましたが、学校という限られた場所だけでなく、より実践的な現場を体感させる必要があるんじゃないかと。すると、ちょうどいいタイミングで経済産業省の起業家育成プロジェクト「ドリームゲート」の地域リーダーをやってほしいという要請が。しかし、起業支援を頼まれてやっている立場ですので、ドリームゲートに集まってくる起業家予備軍たちに「起業しましょう」と言っている私が起業していないとまずいじゃないですか(笑)。そこで一念発起して、起業を決意したというわけです。
有限会社設立に必要だった資本金300万円です。自宅の一室を事務所に、持っていたパソコンひとつでスタートしましたので。開業時に大きな出費は何もしていません。
すべて開業前に貯蓄していた自己資金です。
独立に関して、妻は何も反対しませんでした。やりたいことがあったら勝手に進めていく私のことをよく理解してくれているようですね。母親は、なぜ安定した教員を辞めるのかと不安がっていましたが、強い反対をされたわけでもないので、やはり自分の意思を貫きました。
独立当初は、本当にこれでお金が稼げるのか?と不安に思う日が続きました。スタート時からいきなり仕事が殺到するわけはないとわかっていながらも、多忙な教員時代と比較して、“何かヒマな感じ”がつきまとって……。それが苦痛でした。
ドリームゲートの地域リーダーを務めていましたので、起業に関するノウハウはいろいろと知っていました。多くの起業家と接することで、様々な起業パターンを知ることもできた。今でもそうですが、いろいろな本も読みましたし、インターネットで得られる情報は自分なりに解釈したうえで活用しました。今でも本を読むことが大好きですので、ビジネス書に限らず、いろいろなものを読みあさっています。たとえば起業家の本なら、なぜその人は成功したのかという“勝ちのパターン”を自分自身で読み解くようにしています。
自分から人に相談することはなかったですね。経営者は最終的に自分自身で判断して行動しなければならないし、仮に誰かに相談して起こした行動が失敗に終わった時、その人のせいにするのはイヤだからです。ただ起業後、顧客の商品に関する意見を妻に求めることが増えました。女性が、「うん、それはいい」と納得できないものは大抵がダメ。でも、意見は聞くけど最終的な判断は自分です。その姿勢は今も大事にしています。
仕事が軌道に乗ったといえるまで1年ほどかかりましたので、その間の焦燥感でしょうか。気持ちのやり場がない時の自分自身の心のコントロールが大変でした。今は、ちょうどいいリズムができ上がってきましたので、ちょっとしたヒマができた時にも焦ることはなくなりました。
ズバリ、「我がまま」に生きられるということですね。我儘じゃないですよ。いい意味で、好きなことを、好きな人と、好きなだけできるということ。私は、最初から最後まで面倒を見て、最終的なケツ拭きもしてあげたいというような、いわば職人タイプだと思っているんです。教員時代、この子のためにと思ってやったことが親には伝わらなくて、結果として何の役にも立てなかった自分にジレンマを感じていました。会社員の方々の中にも、よかれと思ってやったことが受け入れられないなど、私と似たようなことを経験されている方が多いと思います。自分が経営者になって、責任は重大ですが、納得いくところまで徹底的に取り組めるということ。それが最大の喜びです。ただ、組織に雇われて仕事をすることで、人の立場に立ってものを考え、人のことを思いやる経験が積めます。私も、教員の経験があったからこそ、今の自分があると考えています。
ぜひ、“小さい起業”をたくさん経験してみてください。たとえば、イベントを企画して実行するでもいいし、趣味を何らかの活動に発展させるというやり方もあります。モノを売るならオークションサイトに出品したり、スペースを借りて1日店長をやってみるという手も。小さくてもいいので、自分がやりたいと思っていることに対して初めの一歩を踏み出すことです。そうすると、何がやりたいのかがより明確になってきますし、自分の得意不得意もわかってきます。そしていざ起業したら、そんなにビクビクせずにドンと構えて取り組んでください。いきなり1億円儲けろとか、失敗したら命を取られることもありません。うまくいくことと、いかないこと、それは誰にでもあること。うまくいかないことも経験のひとつです。試練に対しても、「慣れるが勝ち」くらいの気持ちで取り組んでください。私自身がそうしていますから。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報