先輩たちの独立事例集

先輩たちの独立事例集


望月昭宏さんの写真

液晶ディスプレイの
新境地を開く研究開発企業

ナノロア株式会社 / 川崎市高津区
望月昭宏さん(52歳)

もちづき・あきひろ / 静岡県出身。工学博士。富士通研究所主任研究員、米国Displaytech, Inc. 副社長を経て起業。98年にコロラド州に移住。月2週間は日本へ単身赴任。自称・食いしん坊。趣味は歴史とスポーツ観戦で、NHLアバランチのファン。

独立準備のがんばりどころ

アングラで始まった液晶研究開発。27年の経験と実績を生かして新たな挑戦

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独自開発した液晶新技術PSS-LCDの原理実証実験、製造可能な技術のためのプロセス開発、試作などを行うクリーンルーム。最先端の研究設備がそろっている
 
 
 

理学部出身ですが、LCD(液晶ディスプレイ)に携わったのは富士通研究所に入社してからです。今だから言えることですが、入社後3年間はアングラ研究でした(笑)。というのも実は、私が入社する数年前、富士通研究所では時期尚早という理由で液晶の研究が打ち切りになっていたのですが、当時のメンバーが「会社に内緒で新入社員にこっそり研究させよう」と。それが私だったわけです(笑)。もちろん予算もない、実験室もない、先輩もなく、私ひとりでした。あちこちの部署からものを借りたり、協力を仰いだりと、今思うといい経験でしたが、当時の正式記録はないんです。残せませんから(笑)。4年目には新方式のプロトタイプを完成させ、公式なテーマとして会社に認められましたけどね。

17年間勤めた富士通研究所を辞めたのは、私は管理の立場でなく、ワンプレーヤーとして研究開発を続けたかったからです。小さな企業ならそれができると思い、アメリカの企業と大学からオファーをいただいたのをきっかけに渡米して転職。そこで経営の立場も経験したことが、起業の際にも役立ちました。

アメリカと日本の違いを実感した、ベンチャー企業の投資環境

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2枚のガラス板の間2μm(2/1000mm)に液晶を均一に注入し、偏光顕微鏡で電気光学効果を測定。次代の世界標準に向けた研究開発が着々と進行中だ

独自に開発した技術を液晶関連メーカーに提供して、ロイヤリティ・フィーを受け取るライセンス事業で起業しようと。まず2002年12月にハワイ州でNano Loa,LLCを設立。これは、米国特許庁に出願するためでした。技術供与のライセンス事業には、知的財産権の法的整備が世界で最も整っているニューヨーク州やコロラド州の法律に則っておくことが大切だから。そして、液晶LCD業界で世界をリードしている日本で、研究開発拠点としての当社を設立したわけです。

我々のように数年のスパンで研究開発している企業には資金力が必要ですから、まずはこの技術で何ができるか、どうしたいかを投資家に説明し、資金を集めました。ここで計算外というか、アメリカと日本で大きく違っていたのは、ベンチャー企業が置かれた環境です。アメリカではユニークな技術を持った小さな企業へ投資する機関も支援も多く、大企業から小さな技術系のベンチャー企業へ転職するのが技術者やサイエンティストのステイタスみたいなところがあって、実際に大企業より年俸が良いケースもあります。ところが、日本はそういうサポートもシステムも整っていないし、ステイタスも低い。今でもまだまだ理解を得るのが難しいのが現状です。実際に投資契約まで10カ月要しましたから。今思うと、綱渡りでしたよ。

産業と密接な研究開発ならではの醍醐味。世界を変える次世代の液晶製品誕生へ

日本にはいい技術がたくさんあるのですから、アメリカと同じように特化した技術を持っている新しい会社がどんどん出てきて、日本全体の技術を高めるようになってほしいですね。おこがましいですが、我々の事業が成功すれば、少なくとも日本の投資家は、こういう事業モデルの可能性に希望を持ってくれる。他への投資も広がることになるのでは、と。そのためにも、ぜひ成功させたいですね。

私が開発した新技術PSS-LCD(分極遮蔽型スメクティック液晶ディスプレイ)というのは、一言で言うと、既存の液晶デバイスの問題点を解決するものです。従来の液晶ディスプレイに比べて約100倍の応答時間で、どの角度から見ても色やコントラストが均一で美しい広視野角で、大型テレビから携帯電話まで応用範囲も広い。さらに、既存の液晶デバイスに欠かせない部材のいくつかが不要ですから、生産コストも軽減できます。昨今のノートパソコンの普及はLCD(液晶ディスプレイ)があったからこそ実現したのと同じように、PSS-LCDによって、第2・第3のノートパソコンが世に出る可能性があるわけです。どんな製品が出てくるかわかりませんが、研究のための研究ではなく、産業と結び付いている研究開発というのは、いろんな人の知恵やアイデアでさらに広がる、将来が楽しみな世界なのです。

取材・文 / 岡部 恵 撮影 / 加納拓也

ちょっと気になる10問10答

  • なぜ独立した?

    一言で言うと、LCD(液晶ディスプレイ)の研究開発を続けたいからです。個人的な意見として、大学レベルでできる研究開発と、産業と一緒にならないとできない研究開発があると思うんです。研究のための研究も絶対に必要ですが、私はその研究開発によって、世の中にどういうメリットが提供できるかという、産業に結び付いた研究開発の方が好きなんです。そういうものは多くの人が注目しますし、関心を持たれることにより、さらにやるべきテーマが見えてくるからです。ある程度実用化されると、芋づる式に研究ネタが出てくるわけです。私の能力には限界があります。でも、私は欲張りなので(笑)、いろんな人から意見や批判、要望をいただくことで、自分では思い付かないような研究テーマを見つけていきたいのです。

  • 開業資金は?

    当社を設立する前の2002年12月に、ハワイ州でNano Loa, LLCを設立した時、会社登記に100ドル、特許登録で50ドルかかっています。独自技術のPSS-LCDはすでに開発していましたし、それは理論的なものでしたから、当時の開発費用は自宅にある机と鉛筆と紙ぐらいです(笑)。当社設立の資本金は1100万円ですが、設立1カ月後に日本のベンチャーキャピタルと1億円の投資契約を結び、それからが正式スタートです。現在まで5回増資し、クリーンルームの設置や研究開発実験装置などで合計7000万?8000万円ほどになります。ここ「かわさきサイエンスパーク(KSP)」を選んだのは、研究開発棟があり、スタートアップから業務拡大に対応してくれる設備があること。また、会計事務所の紹介などの支援も充実していること、事業展開に応じてKSP内での引っ越しが可能であること、入居に当たって保証金、敷金が不要な点なども選択理由です。

  • 開業資金はどう集めた?

    資本金1100万円は、私を含め4名の設立メンバーの出資です。そのうち技術者は私だけ。私が出資したのは450万円です。貯蓄を充てました。

  • 周囲の反応は?

    富士通研究所を辞めて渡米する時も、妻は「あっそう」という感じで(笑)。私が好きなことをやる人間だと認識しているからでしょうね。それに、妻はもともとリトグラフをやっているアーティストなんです。日本に比べてアメリカは住環境もいいので、広いスタジオをつくって楽しんでいるようですよ(笑)。会社関係では、私が退職してから数年後に富士通研究所はシャープに液晶開発の事業を譲渡し、当時のメンバーは分散しているので、反応はうかがえません。それ以外の関係者も、私は渡米する以前から国内外の大学や研究所とも連携してきましたし、世界各地の研究機関に人脈がありますが、特別な反応はないと思います。起業うんぬんよりも、研究開発を続けているということでは変わりありませんから。

  • 不安だったことは?

    自分がやりたいことをやろうと突っ走ってきたので、正直言うと、不安に感じている余裕はありませんでした。「技術畑の人間が経営や資金の話をできるのか」とよく言われますが、自分の技術はどういうものか、それによって世の中がどう変わるか、自分は何がしたいのかを投資先に説明するだけのことです。これはもう、懸命に説明するしかないです(笑)。それと、人って崖っぷちに立っている状況だと思ったら動けなくなりますよね。スタッフのことを考えると、トップの人が背水の陣では、落ち着いて仕事できません。いい意味での緊張感は大切ですが、トップが悲観的だったり、後ろ向きだったり、暗かったらダメだと思います。だから、私は常に前向きです。

  • 役立った情報源は?

    5年間アメリカのDisplaytech, Inc. という小さな技術系ベンチャー企業で副社長を務め、そこで研究開発と同時に経営に携わったことが、いい経験になりました。富士通研究所は当時も今も好きですが、もし富士通研究所を辞めてすぐだったら、起業はできなかったかもしれません。大企業の場合、いかに予算をもらうかが重要ですが、いち企業となると、ゼロからいかに投資してもらうかですから。小さな企業体で特化した技術を持つベンチャー企業を維持する、発展させるためにどうすべきか。経営の立場で経験させてもらったことで、起業に当たってやるべきことがクリアになっていました。

  • 相談相手は?

    ふたりいます。ひとりは、リードインベスター担当であり取締役である鈴木洋一氏。もうひとりは、設立メンバーでありパートナーであり、良き友人でもあるハビラント・ライト氏です。彼はペンシルベニア大学ウォートン校のMBAの博士で、統計数学の専門家。私が5年間勤めたアメリカのDisplaytech, Inc.のCEOでした。どういうわけかすぐに気が合って、それから現在まで家族ぐるみの付き合いをしています。時にはケンカもしますけど(笑)。好きなことが言い合えるいい関係です。

  • 独立して一番困ったことは?

    管理系の人材確保です。当社の事業スタイルは、開発し、特許を取り、ライセンス供与するという、いたって単純明快なものです。理屈は単純なのですが、ビジネスとしてどう実践していくかを理解する人が少ないですね。アメリカでは、音響の「ドルビー」や半導体の「ランバス」など、同じように技術開発&ライセンス供与で大きくなった企業があるので、管理仕事のプロセスやノウハウを理解している人は多いのですが、日本ではこういう事業モデル自体が少ないですからね。それに、小さな企業に転職する・入社することが、“身を落とす”という感覚が日本ではまだまだあるようですね。

  • 独立して一番良かったことは?

    正直、独立したという感覚があまりないんです。事業として成り立つこと、発展させることも大切ですが、結果的に、産業界と密接に結び付いた研究開発をする環境と私がやりたいことの素地をつくれたこと。それが嬉しいです。

  • 独立を志す人へのメッセージ

    どんな状況でも、状況判断だけは冷静にする必要があると思います。よくある話で、文系出身の人は「技術のことはわかりません」とか、技術系出身の人は、「技術畑出身なので経営についてはわかりません」とか言いますよね。でも、経営者たるもの理系・文系は関係ないと思います。出身学部は事実ですし、それはもう過去のこと。それよりも、自分が置かれた環境で何をすべきか、何が必要かを考えるべきです。知識が必要なら勉強しないといけないし、ある程度勉強してできること、勉強してもできないこともわかってきます。それにより、自分に足りない部分をどう補うかを考えればいい。その分野にたけたパートナーと組むなど方法はあるんですから。自分の状況を判断し、考え、必要なことは何か、自分には何ができて、何ができないか。状況判断をすれば、おのずとどうすべきかの方向性が見えてくると思います。

設立
2003年4月

資本金
8億3286万円(設立時1100万円)

従業員数
23人

年間売上高
非公開

アクセス
http://www.nanoloainc.com


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