かわはら・しょうじ / 岡山県出身。空手3段で、高校時代は中国地区大会個人優勝、大学時代は全国国公立大学大会で準優勝。三菱電機、松下電器産業の研究所勤務を経て起業。温泉好きだが最近は暇なく健康ランド通い。社内親睦会で歌うのは五木ひろし。
量産化の前にモックを製作。起業前は妻が担当していたが、現在は社員・三笘さん(アパレル出身で縫製のプロ)がマイミシンを社内に持ち込んで活躍
勤めていた松下電器産業で、「スピンアップファンド」という社内ベンチャー制度が始まり、漠然とした起業マインドを持っていた私は、ベンチャーという言葉にグッときましてね。大企業の看板付きですから取引先に信用も得られる、起業研修も充実、開業資金は一般投資家の前でプレゼンこそ必要ですが、会社が全面的に投資。これはいいぞとすぐに応募しました。
業界初の新商品を開発して、世間をあっと言わせたろうと夢を見ましてね。私はずっと研究所勤務で温度制御の開発エンジニアでしたから、得意の温度管理の技術を武器に起業しようと、メーカーさんと共同開発の交渉も始めました。しかしそのうち、これは起業といえるのか、疑問がわいてきた。会社の投資で起業しても、結局は何の決定権もない社長。それは、会社員と同じじゃないかと。
常温融解潜熱を利用した業界初の蓄熱冷材で、25度の快適温度を提供する「カーナピュア」シリーズ。40度で保温維持する「オンセンティア」も新発売
会社の力を借りず、起業できるのか。公的支援制度はどの都道府県がベストかとネットで調べたんです。その時に、岡山県「ベンチャービジネスプランコンテスト」を見つけましてね。なんと優勝賞金500万円! これはいいぞと応募しました。109件のうち最終審査の7件に選ばれ、結果的には奨励賞で賞金10万円。残念でしたが、大いに励みになりました。
その後も散々悩み、やはり自力で起業しようと決意。共同開発を進めていた3社に、大企業の看板がなくなること、技術と事業をやり抜く自信はあるが儲ける自信はないことを素直に伝えました。これで取り引きは終わると半ば覚悟していましたが、今後も一緒にやろうと。涙が出ましたね。土下座しましたよ。松下電器産業からも、これまでの業績を評価してもらい、幸いにも円満退職できました。
起業する前から、経営理念は固まっていました。新しい技術の開発と既存の優れた技術を組み合わせた、価値あるものを創造して社会貢献すること。具体的にいえば、温度という私の得意分野で、専門メーカーと共同開発し、ベネフィットが得られる新商品。これでニーズのある方々、困っている方々を助けるビジネスをしようと。それで誕生したのが、医療用品・化学メーカーさんと共同開発した新商品「カーナピュア」です。体温調整が困難な頸椎損傷の方や高齢者、長時間の入浴介助や高温での看護をされている介護者向けに快適温度を提供する、業界初の携帯冷房アイテムです。
今では福祉医療用から、工業や農業などの産業用、モーターアスリート向け、OEM供給へと少しずつ反響が広がりつつあります。市場はまだ小さいですが、スモールビジネスを着実に積み重ねて、長期戦でいこうと。人々の暮らしを劇的に改善できることに、温度のプロとして経営者として、やりがいは十二分に感じていますから。
父は商人でしたから、会社員とは違った自由な雰囲気や、仕事でダイレクトに対価を得る姿をずっと見て育ちました。それで私も、漠然とした起業マインドを抱いていたのでしょうか。社内で始まった「スピンアップファンド」に応募し、今まで無縁だった経営や財務の研修を受けて、ますます起業したいと思うように。でもいろいろ学ぶうちに、このままこの制度で起業しても、自分のお金を投資しないわけですから、しょせんは形式的な社長でしかないのではないかと。やりたいことが見つかった安堵感と同時に、結局は会社員のままではないかと疑問に感じ始めまして。スピンアップではなく、スピンアウトして自力で起業したいと思い、決断しました。
600万円です。資本金300万円のほかに、300万円ほど開業費用にかかりました。特許出願・登録料、OA機器、事務所デスク、数字解読までできる高性能なパソコンなども必要でした。また、事務所は、起業前に応募した岡山県のベンチャービジネスプランコンテストで知った、公設民営の「岡山インキュベーションセンター」に入居(入居審査あり)できたので、予算が抑えられて助かりました。充実設備とサービスが整っているうえ、入居費用も安いですから。
退職金とこれまでの貯蓄を充てました。
意外とクールでした。勤務時代の給与はとにかく良かったので、同僚や親からは、もったいないとの声ばかりでした。これだけの高待遇をけって、なぜリスクを負うのかと。つまりその言葉には、これ以上の収入は見込めないだろう、失敗するからやめておけという意味が含まれているわけですよね。それがかえって、必ず成功させるぞという原動力にもなりました。家族は私の性格をよく知っているので、言いだしたらきかないとすぐ理解してくれましたね。今も応援してくれていますし、妻は役員に就き、娘も社員で、共にこの職場で一緒に仕事しています。だから社内の雰囲気もどこかアットホームでしょ(笑)。
やはり安定した収入がなくなることは不安でした。起業してから半年ぐらいは慌ただしく、日中は何かと忙しくて不安に思うこともないのですが、1年後ぐらいでしょうか。現実がわかってきた頃ですね。起業した、法人化したとはいえ、実績ができるまでは社会的には何の意味もないんです。夜、布団に入った途端に、この選択で良かったのかと不安に駆られたり、夜中に目が覚めることもありました。寝酒はあまり効果がないので、妻に付き合ってもらって、夜中に話し込んだりもしました。今もですが、家族が一番の精神安定剤です。
会社員時代に、いくつかのプレインキューベンションセミナー、創業支援セミナーなどを受講しました。また、自力で起業するか、できるか悩んでいた03年に、ベンチャービジネスプランコンテストに応募して、客観的な評価と改善点が明確になったことも大きいです。知り合いの経営者の本音や意見を聞くことも役立ちました。成功事例などよりは、失敗談を多く見聞きすることが参考になりましたね。岡山県主催のあるセミナーで、倒産した経営者の体験談を聞きましたが、自殺しようかと思ったとか、取り立てに毎日追われてたとか、こういう失敗もあるんやでと、現実を知ることは大事です。経営コンサルタントが書いた起業本などを読んで安易に起業してはいけないと、私は警笛を鳴らしたいですね。
精神的な相談については家族、特に妻です。ビジネスについては、共同開発しているメーカーさんですし、精神的にも大いに励まされています。うぬぼれかも知れませんが、うちのことをベンチャー企業として見ているのではなく、経営者としての私個人を見てくださっているような。大企業の看板をあえて外した私をちゃんと見て認めてくださった。いってみれば、信頼関係、誠意ですかね。これがあるからこそ、いいビジネスパートナーと呼べるのだと実感しています。
運転資金です。それと、ものを開発する、つくるよりも、売る方法に費用とパワーがかかることです。「カーナピュア」の販売前に、全国に無料モニターを募って、現場の声を収集したんです。その時、福祉介護の現場で働く人たちにはとても好評でしたが、実際に商品を購入する、費用を支払うのは雇い主である経営者です。介護事業の公的補助金がもらえないものには出費はしたくない、過酷な労働環境で定職率が低くても、新しい人材はいくらでも入ってくるからいい。そう考えている経営者が多いことに驚きました。私は長年、研究所勤務のエンジニアでしたから、営業ノウハウもビジネス的な駆け引きに弱いことは自覚しています。いかに販路を広げていくかが、今後の課題でもあります。
温度管理のプロのエンジニアとして、業界初の携帯冷房アイテムを世に送り出せたこと。それが困っていた方々を助けることができ、喜んでいただけたこと。しかも、それがビジネスになり、その対価をいただけることです。最初に銀行口座に振り込みがあった時は嬉しかったですね。でも今思うと、2回目、3回目の振り込みの方が嬉しい。リピートされるということは、それだけいい商品だと立証されたような気がしますから。
弓矢と同じで、一度矢を放ったら後戻りはできません。独立してからどうしようか、ではなく、やはり実現性の高いビジネスで、ある程度その道のプロと言えるようになってから起業を目指されることをお勧めします。そして、ほかのプロと組むこと、その相手を選ぶ目利きも重要です。それと、実際にお金を支払うのは誰ですか? これをはっきり意識しておくことです。提供・販売する商品やサービスで得られるベネフィットと、実際にお金を支払う人、つまり顧客のベネフィットがマッチしているか、この点を留意して、大海原にチャレンジしてください。もちろん起業は厳しい世界ですが、会社員よりも数倍は楽しいですから。
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