ゆみきの・たけし / 岐阜県出身。放浪の旅でネイティブアメリカンの人々の生活を目の当たりにした時、人間は特別な存在ではなく、ほかの動植物と同じ生態であるという真理を悟る。自然の中に溶け込んで生きる方法を模索する中、行き着いたのが農業。
上出来のダイコンに喜ぶユミキノさん。年間を通して様々な野菜が収穫できるように、また連作を避けるためにと、一つの畑で多品種を栽培
ここにたどり着くまで、本当にいろいろなことがありました。まず大学4年の時、仲間と会社を設立して、総支配人としてディスコやバーの経営をしていました。学生起業がもてはやされた、あのバブル全盛期の頃ですね。結局、大学には7年もいたんですよ。会社経営のほうは、ちょっと考えるところがあったので、就職を決めて引退しました。就職先は機械部品を販売する会社で、営業として勤めていたのは1年ちょっとです。はっきりと、これは自分に合っていないと判断して退職。それで何をしたかというと、放浪の旅。インドや北米のネイティブアメリカンの居留地を訪ね歩いているうちに、自然の中に溶け込んでできるような仕事があったら……。それが自分のやるべきことだと考えるようになったんです。
ところが、そんな仕事はそうそうないんですよ。とりあえず自給自足の生活に挑戦しようと、九州の古民家に移り住みました。しかし、それも半年で挫折。自給自足といったって何の技術も持ち合わせていませんでしたし、田舎での適切な振る舞いやルールをまったく知らなかったんですね。気がついた時には周囲から疎外されてしまって……。
移転により中断していた“野菜宅配便”は、07年10月に再開。常時何種類もの野菜を栽培し、その時に取れた旬のものを箱詰めして発送
それで、農業をやっていくには最低限でも技術の習得が必要だと、ある農業生産法人が主催する有機農法の研修を受けることにしました。泊まり込みの共同生活で1年間、研修生ですから無給です。2年目にはそこのスタッフになったのですが、月給は5万円。その時、すでに僕は30歳。このままでは有機農業に未来はないと思いましたね。それでも農業に活路を見いだそうと、5、6人の仲間で有機農業を事業化するための会社を設立しました。
まず着手したのは有機農業のマニュアル化です。それをもとに50人の研修生を受け入れて実践し、1年目からそれなりの利益を上げました。ところが、そこで何が起こったかというと、出資者たちの利益の奪い合い。僕は合法的ながら追放されたかたちでその会社を去ることになってしまいました。いいことをやろう、世の中が必要としていることに挑んでいこうと始めたことなのに、まさかそんな理由で辞めることになるとは考えてもいませんでした。衝撃は大きかったですが、それが、ひとりでやっていこうという決意へと変わっていくんですね。
神奈川県の伊勢原市に農地を借りて新たなスタートを切ったのが2003年の春。軌道に乗ってきたのは3年目からです。旬の野菜を詰めて送る野菜宅配便にも顧客がついてきました。ところが、ますます張り切ってやっていこうとしていた4年目に、借りていた畑が近い将来バイパスになるということで、立ち退くことになってしまったんです。
ここ成田市に移転してきたのは今年(2007年)の4月です。20年以上前から有機農業を実践している地元の大先輩に、畑や古民家を借りる世話をしてもらいました。ここで初めて収穫したのはジャガイモですが、それを掘り上げる時は涙が出そうでした。いや出ました(笑)。実は今、アルバイトもやっています。現状では農業での収入は生活していくだけで精いっぱいなんです。アルバイトは今後に備えての貯蓄のため。今後の第一の目標は、有機農家としてしっかりとした収入を得て、一人前になること。さらに、すでに取り組んでいますが、新規就農者を増やすための土台をつくることです。これは絶対に誰かがやらなければならない。いってみれば、僕の使命だと思っています。
いろいろな職業を経験してきた中で、農業をやっていきたいと思ったのは、自由度が高い職業だからです。自分が感じる自由というのは、口では言い表しにくいのですが、楽であるとか、束縛されないということではありません。ちょっと思索的になってしまいますが、芸術家が表現方法を追い求めるように、どんなにきつくてもつらくても、自分にとって自由にやれることって何だ?というところを突き詰めた結果、その答えが農業だったんですね。
50万円です。中古の軽トラックや農業資材など、必要最低限のものを買ったら、あっという間になくなってしまいました(笑)。
農業で独立すると決めて、アルバイトをして貯めました。しかし50万円というのは失敗というか、甘く見すぎていましたね。これから新規就農を目指すなら、最低でも300万円は用意することをお勧めしたいです。500万円あれば、かなり不安は緩和されます。農業は事業として軌道に乗せるまでに時間がかかります。それまでにお金のことは一切心配したくないなら1000万円くらいは必要ですね。
独立前からすでに農業の世界に入っていたし、周りは農業に関連した人ばかりで、誰かが反対するということはありませんでした。それに、反対されたからといって、「ではやめておこうか」などとは考えなかったでしょうね。実は両親には一人で農業をやっていることをまだ話していないんです。今もサラリーマンをやっていて、最近神奈川から千葉に引っ越したとでも思っているでしょう。年を取った両親に今さら心配をかけないためにも、という思いがあるんですよ。
新規就農を目指す人はみんな不安を抱えていますよ。ほとんど農家ばかりのこの集落は約40世帯ですが、後継者はゼロだと聞きます。今、日本では、1年に7万軒の農家が離農しているんです。ということは1日あたり約200軒の農家がなくなっているという計算。家も、畑も、機械も持っている農家でも、子どもに継がせず、あるいは子どもが継がないという道を選ぶのですから、新規就農は、人生そのものが不安の塊になるということかもしれない。自分はそれを覚悟して踏み切ったということです。
まず、有機農法を実践している諸先輩方からの情報です。これまでに培った栽培技術や経験など、リアルな声に勝るものはありません。それからインターネットでも様々な情報を探しまくりました。ただし、それらの情報は何でも信じるわけにはいきません。自分の経験と照らし合わせてみて、使える情報とそうでないものとをふるいにかけることも必要です。今では、大学の偉い先生が書いた論文でも、この人は机上で研究しているだけだとか、この人は畑や田んぼに出て実践している人だと、読むだけでわかるようになりました。
農業に命を懸けている仲間たちです。ある時は自分から訪ねていったり、ある時は僕のところにやってくるなど、お互いに近況報告をかねて相談し合っています。個人で頑張っている人ばかりなので、束縛し合わずに緩いつながりを保っていくことも大切だと思っています。このネットワークが、やがて次の世代の農業者へとつながり、必要不可欠であるはずの農業を絶やさないことが自分たちの役割でもあると思っています。
困ったことだらけですよ(笑)。無農薬で野菜を栽培するのは誰がやっても難しいことです。そして、農産物がたとえうまくできたとしても、売れなければお金になりません。有機野菜が広く普及するのはいいことですが、お金にも人にも事欠かない大手企業が市場を牛耳ってしまえば、僕らのような個人農家は太刀打ちできない。そこをどう打開していくかが、これからの大きな課題だと思っています。
どんな苦労があっても、どんなに毎日がきつくても、常に自然と共に生きていることを実感できることです。農業は自然が相手ですし、ちょっとでもサボると必ずしっぺ返しがきます。精魂こめて半年、1年と育て上げてきたものが全滅することだってあるんです。しかし、それも含めて、やってきたことへの結果が明確にわかります。取れた農産物を見れば、「よしOK」「はい、ダメ」と。それが農業のいいところなんですよね。
これからの時代、“何のためにやるか”という動機が大事だと思います。利益追求を尊ぶ時代はもう終わりました。不思議なことに、農業をやりたいと相談にやって来る人の8割が女性なんですよね。しかも、なぜ農業をやりたいのか、自分の考えをしっかりと持っているのも女性です。男性、とくに若い男性は、これは残念ながらダメです(笑)。ほとんどが、あれもイヤ、これもイヤ、それで農業にわけもなく憧れる。それは逃げですから。何をやるにしても、動機がはっきりしていない限りは時期尚早です。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報