いちはら・ひろし / 島根県出身。早期退職をきっかけに独立。ネット販売にも力を入れる今、おいしそうに見える写真の撮影や、Web画面の色彩などにもこだわる。今までに例がないネタでのキムチの試作にも余念がなく、最近オクラのキムチも誕生。
キムチづくりも、完成品を容器に詰める作業もすべてが手作業。この工房を備えた社屋は、元JAの建物を安く落札して入手したもの
広島市に工場のある大手ビール会社に勤めていたのですが、工場の閉鎖に伴って早期退職することになりました。それで、取りあえずのつもりで実家のある島根県邑南町に戻ってみると、同じような理由でUターンしてきている同年代の仲間がたくさんいたんです。ある晩、今後のことを相談し合っていた時に、この町には使われていない畑がたくさんあるじゃないか、その畑を使って有機栽培の農産物をつくってみようということになったんです。
賛同してくれた仲間は、島根県立矢上高校農業科(現・産業技術科)の同級生たちです。さっそく作業に取りかかり、ハクサイなどを町の農産物直売所で販売したところ、あっという間に完売しました。それで本腰を入れてやろうと決意したんですが、その時点では、まだ独立とか開業だといった意識はなかったですね。
定番のハクサイのほか、キャベツ、キュウリ、割り干しダイコン、そして舞茸やエリンギを使ったキノコキムチなど、珍しいキムチも大人気
実家が農家の者ばかりなので、小さい頃からの手伝いが功を奏したのか、収穫するごとに大好評で、わざわざ遠くから買いに来てくれるファンもできるほどでした。そこで欲を出して、加工品にも挑戦しようということになり、特に好評だったハクサイでキムチをつくろうと。いろいろなリサーチをするなど、行動を開始しました。
既存品との差別化を図って、本場韓国の味を実現しようと韓国までキムチのつくり方の実習に行きました。それと、キムチの味を左右するといわれる材料の魚醤ですが、これは島根県の水産試験場でつくり方を教えてもらいました。ちょうど県では、開発した魚醤を特産品づくりに生かそうとしていたそうで、県の意向ともマッチしたんです。
韓国で学んだキムチづくりは、ハクサイの葉っぱを一枚一枚めくりながら、丹念に塩や唐辛子などの薬味をこすりつけていく、正真正銘の手づくりキムチです。日本ではあまり栽培されていない特殊な唐辛子の栽培方法も教えてもらいました。
そこまでは、数人の同級生で行動をともにしてきたのですが、本格的にキムチづくりを開始しようとした頃、やはり将来にそなえて再就職するなど、それぞれの事情で去っていく仲間も出てきたんです。そこで意を決して、退職金を使って会社を設立しました。畑を無償で貸してくれる地主さんがいたり、使われなくなった農協の建物を格安で入手できるなど、田舎ならではの恵まれた環境も私を応援してくれました。少量生産ではありますが、体力の続く限り、末永く愛されるキムチをつくっていきたいですね。
勤務先からの早期退職が直接のきっかけですが、まだ独立とも起業だとも意識せず野菜づくりに着手した時、一緒に汗を流して頑張る仲間がいたからその先に向けて前進できたんでしょうね。その後、それぞれの人生設計のため、直接携わることから退いた仲間もいますが、元同級生ですので、困った時には声をかけてと言ってくれるなど、地元ならではの心強さがありますね。そんな陰の応援団がいるから、法人化も決意できました。
約2000万円です。
国民生活金融公庫から500万円、それ以外は退職金をつぎ込みました。退職金を使ってしまうことにはかなりの決心が必要でしたが、60歳以降は年金があるので、生活だけは何とかなると決意してのこと。国金の500万円は、予定どおり今年の3月で完済しましたので、少しホッとしているところです。
妻や子供たちなど、家族の反対はありませんでした。どんなことになるのだろうと、静かに見守ってくれていたんでしょうね。キムチづくりに本格的に取り組むようになってからは、妻が毎日手伝ってくれるようになり、今ではなくてはならない存在です。娘は休みの日を使って、経理を無償で担当してくれています。
当然、もともとは素人なので、自分たちのつくったキムチが食べてもらえるものになるかどうかということです。大手企業のキムチや、韓国直輸入のものとどう差別化するか、それが最大の課題でしたね。そのために、地元産の無農薬や減農薬野菜を使って、添加物なしの手づくりでということに徹底的にこだわったんです。
知りたいと思ったことは自ら勉強しました。幸いにも島根県は、地域活性化のために、経営に関する研修や、地元産品を使った加工品づくりのセミナーなどが頻繁に開かれています。キムチづくりに直接関係ないことでも、コレは経営者として知っておくべきだろうと思えるセミナーには今も参加するようにしています。また、地域の特産品販売サイトを運営する会社に扱ってもらいながら、流通の仕組みを研究したりしています。
私よりも早くUターンして自動車整備工場を開業した友人がいるんです。最初に野菜づくりをスタートさせた時も一緒に取り組んでくれました。法人化のための書類づくりや手続き、それに経営に関する相談など、何かと助けてくれたのは彼です。彼は町会議員をしていたこともあるので顔が広く、あちこちにキムチを宣伝してくれるなど、広報的な役割も買ってでてくれました。なくてはならない相談相手です。
わかってはいましたが、思うようには売れないということです。また、農作業をしながらのキムチづくりですので、休む暇がないこと。無農薬や減農薬にはこだわりたいので、早朝からキャベツのひとつひとつを見て害虫を手で捕獲したり、まさに体力ありきの仕事ですね。台風のシーズンなど、唐辛子やキュウリなど、倒れてしまった苗を一本一本起こす作業も発生します。
今やっていること、そして勉強やリサーチしたことのひとつひとつが、自分の事業に100%生かせているという実感です。会社員時代はどうしても、会社のためにとか、人間関係を保つためにとか、スッキリしない何かをかかえていましたから。かといって、決して大きく稼げる事業ではないので、苦労しながら、悩みながらの毎日ですが、それを乗り越えるのも自分次第。これこそが生きがいだと思って頑張っています。
だんだん景気がよくなっているといわれても、それを実感しているのは一部の人だけです。バブル期のように、いい方向に進むだけとは考えずに、つまずいても取り戻せる範囲で事業を進めたいです。また、営業や流通に関しても、インターネットなどで様々な知識や情報が得られる時代です。しかし、それは参考にはできても、実際にやってみると思うようにならないことが多いということも覚悟してスタートしてほしいと思います。
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