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気づくことから始まる「自認化」のプロセス
人間は、成長のプロセスにおいて、「自認化」「周認化」「公認化」の3つのプロセスを踏むという考え方が、アクティブラーニングにある。まず、自分が持つ能力や資質について、自己認知することを「自認化」という。子供の時期を振り返ってみよう。例えば、学校の体育の時間に初めて逆上がりをした。やってみると面白かった。ぐるんとまわる感覚が妙に心地よい。面白いので、休憩時間や放課後も逆上がりをやりたくなる。ここに自己成長のポイントがある。自分の中にある資質を「自認化」すれば、その行為について考えたり、行動する回数が増える。そのことが、その素材を成長に導くある種のトレーニングとなる。逆に言えば「自認化」がなければ、何らかの資質を持っていてもそれは「発芽」しない。あなたに子供がいるのなら、多くの経験を積ませることだ。体を使う経験、頭を使う経験、一人でやり遂げる経験、集団でやり遂げる経験……。「あなたが考えるよいもの」だけではなく、「あなたが考えないよいもの」も与えなければならない。どれが発芽するかを完全に予測することはできない。大切なことは、多面的な経験によって「自認化」の機会を与えることだ。
成長を助ける身内評価「周認化」のプロセス
「自認化」の次に来るのは「周認化」だ。その資質について、周囲が認めるという時期である。周囲の人とは家族や友人、同僚などを指す。要は本人をよく知っている人々だ。その人たちは、本人の成長の変化に気づきやすい。またこの時期の成長に必要な適度な「栄養」を与える役割も果たしてくれる。
「身内評価」がそれだ。例えば、先ほどの逆上がりが好きだと「自認化」したことについて、母親に「あのね、鉄棒でうまくぐるんって回ったんだよ」と自慢混じりに報告したとしよう。するとたいてい「へー、そうなんだ。○○ちゃんは昔から器用だもんね!」と優しき母親はほめてくれる。まだ発芽したてのやわらかい葉に対して、あまり厳しい水や光は逆効果だ。ソフトでやわらかい、適度な栄養が必要なのだ。
しかし、ほめるだけではだめだ。自認化の中には「思い上がり」も数多くある。さしたる才能があるわけでもないのに、自分はイケてるんじゃないかと勘違いすることは誰しもが経験することだ。そんな時、「身内評価」は適度な攻撃を与えてくれる。「お前ね、逆上がりぐらいだれでもできるんだから。大車輪でもやってから自慢しな」父親や仲のよい友人は身内ゆえに、時にこういった辛口の評価を容赦なくあびせかける。これらの評価は「自認化」された資質について、本物であるかどうかの試練を与える。周囲が厳しい目で見ることによって、本人はそのマイナス評価を超える成果を出さなければならない。これもその資質を育てるうえで重要な要素となる。
「身内ゆえの優しさ」と同様に、「身内ゆえの厳しさ」が、資質の成長には欠かせないのだ。しかし、ありがたいことに身内の評価は、厳しいものであっても本質的に本人を傷つけることはない。身内が言うことであるから、多少厳しくてもさほど気にならないのだ。「優しさ」も「厳しさ」も、その強さにおいて、程よいあんばいでその資質を育てる役割を果たすのが、「周認化」であるといえる。
プロの始まり「公認化」のプロセス
そして「公認化」。全く関係のない他人をも認める段階に高まることを「公認化」と言う。身内なら認めても、他人には温情を発生させる必要はない。文字通り「客観的な評価」が下される。先ほどの鉄棒の彼を例にとってみよう。周囲から十二分に認められた彼は、さらに上のレベルを目指して有名な体操教室に通い始めた。そこで練習を繰り返し、教室の中でも誰もが認める存在に。彼の技を初めて見た人も驚くほどだ。ここまでくれば、彼の実力は「公認化」されたことになる。客観的に見て、その資質が一般人よりも突き抜けている時、人はその技能を高く評価する。わかりやすく言うと、その資質に対して「金銭」を支払ってもよいと思わせることができたとしたら本物だ。文字通り、ここから「プロフェッショナル」が始まる。
「自認化」「周認化」「公認化」の3つのプロセスを経て、人は自分の資質を高めていく。独立を目指すアントレ読者の皆さんもこのプロセスを意識してほしい。そうすれば、意図的にその成長の速度を速めることができる。
では、私自身の例をお話しよう。私は大学時代、音楽活動に明け暮れていた。プロになることも考えた。多少の才能はあったのかもしれないが、「周認化」から「公認化」の段階でその限界を知ることとなる。ある時、有名な音楽会社のスカウトが我々のコンサートを見に来るという。メジャーデビューへのチャンスである。複数のバンドが参加するコンサートだったが、誰もが色めき立っていた。結果、我々はスカウトされなかった。しかし私の友人がスカウトされた。まだ青いものがあったがその魅力的なパフォーマンスを見いだされ、友人はその後、見事メジャーデビューを果たし、有名人となっていった……。一方、私の音楽活動はその後、終息に向かっていく。しかし同時期、私は「教える」という仕事をしていた。アルバイトで始めた塾講師だ。単に時給がよいという理由で始めたのだが、続けるうちに、その面白さを「自認化」するようになった。もちろん最初は周囲からなかなか認められない。まだ教え始めの青二才君の技術では、何年も教えてきたベテラン教師の技術にはかなわなかった。しかし、どんどん自分の技を周囲に見せることを私は怠らなかった。仲のよい先生に自分のクラスを見てもらい感想を聞いた。さらには生徒からも毎回のクラスで感想を聞いてみた。それらの感想で気づいたことをすぐに反映し、自分の技を出す。この「アウトプット」と周囲からの感想をもらうという「フィードバック」を続けるうちに、私の技に対する評価は次第に高まっていった。同じ塾の中では教員の上を行くほどの評価をもらえるほどになってきた。
私はもっとレベルの高い予備校で指導するようになった。そこでも同じ「アウトプット」と「フィードバック」を繰り返した。気づいた頃には私は日本を飛び出し、アメリカへと向かっていた。アメリカの大学で指導を開始すると、いかに自分の技術が低いかということを思い知らされた。だが、「アウトプット」と「フィードバック」だけは忘れなかった。自分の中に唯一ある強みはこれしかないということを、その頃すでに気づき始めていた。自分の現在持っている技術が自分の強みではなく、その技術を常に高められるエンジンを持っていることが強みであるということだ。そうして、私は最終的にハーバード大学で指導する立場になっていた。周囲の評価は時に私に自信を与えてくれ、時に私の慢心を打ち砕いてくれた。さらには周囲の評価が自分に何かが足りないことを教えてくれた。公に認められ始めると面白い現象が起こる。周囲がさらなる課題を自分に与えてくれるようになるということだ。
私は「自己成長力を伸ばす教育」のプロとして認知され始めてきた。そうすると「その方法は大脳生理学的に見ても正しいものなのですか?」という問いかけがやってきた。そういわれるとその部分の研究が自分の中で足りないことに気づく。そしてなんとかその部分を補おうと必死に足りない要素を埋めようとする力学が働いてくる。「公認化」のプロセスを通じ、成長を続けていけば、そのサイクルが自分を育てていることに気づくようになる。
自己成長の速度を高めたければ、もっと意図的に自分の資質を「アウトプット」し、周囲からの「フィードバック」を受け続けることだ。そうすれば、自分の資質はいつしか周囲の誰もが、いや、公のだれもが認めるものに成長していくだろう。
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アクティブラーニングスクール代表
羽根拓也 |
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日本で塾・予備校の講師を務めた後、1991年渡米。ペンシルバニア大学、ハーバード大学等で語学専任講師として活躍。独自の教授法はアメリカで高い評価を受け、94年、ハーバード大学より優秀指導教授賞(Certificate
of Distinction in Teaching)を受賞。日米10年以上にわたる教育活動の集大成として、97年、東京・神田に「アクティブラーニングスクール」開校。これまで日本になかった「学ぶ力」を指導育成する教育機関として各界より高い評価を得ている。新世代教育の旗手として教育機関、政府関係機関、有名企業などより指導依頼がたえない。
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