THE REVENGE 逆境こそが人を強くする

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第6回 自己責任ではない1億超の借金に立ち向かった10年

伊原ルリ子さんの写真

「ピンチ=チャンス」ではない。
正面から向き合った人にだけ、
次のチャンスが来る

今回のファイター

(株)晴天(あおぞら) 代表取締役

伊原 ルリ子さん (39歳)

福岡市中央区

1969年、福岡県生まれ。九州外語学院在学中にサンディエゴに語学留学。卒業後、英会話スクールの講師に。23歳で結婚、翌年長女を出産。94年、マイケル・ジャクソンの福岡公演実現を目的に、仲間とエンターテインメントの会社を設立。96年、福岡ドームでのコンサートを成功させるも、興行師らにチケットの売上金を持ち逃げされ、巨額の借金を背負う。自力での全額返済を誓い、早朝から深夜まで、複数の仕事を掛け持ちしながら10年で全額を返済する。返済中の2003年、葬儀専門の人材派遣会社、晴天(あおぞら)設立。自社で保有・運営する「aozora学院」で人材育成にも注力。現在、福岡のほか東京・大阪にも進出し、登録スタッフ数約950 名の会社に育て上げた。
http://www.aozora-inc.jp/

全国的にも珍しい、葬儀専門の人材派遣会社の創業社長。とはいえ、決して野心満々の女性起業家というタイプではない。子供向けの英会話スクールで講師の職にあった伊原は、23歳で結婚。一人娘も授かり、幸せな家庭を築いていた。そんな「すてきな奥さん」人生に、とんでもない転機が訪れたのは26歳の時だった。

気の合う仲間7人が集まって、「何か面白いことをやろう」という話になった。その思いつきが、やがて「あのマイケル・ジャクソンを福岡に呼ぼう!!」というところにまで膨らんでしまった。素人のノリとは恐ろしい。何と96年、マイケルの福岡ドーム2日間公演を本当に実現してしまったのだ。

しかし、至福の達成感は直後に暗転した。仲間の一人が、興行師と共に数十億にのぼるチケット代金を持ち逃げ。伊原が公演資金として集めた1億3700万円は、そのまま借金となってしまう。自らも横領された被害者ではあったが、伊原は「自分の力で全額返す」と決意。若さゆえのがむしゃらさでひたすら働き、返済し続けた。その時間と経験は、単に借金というマイナスをゼロにしただけではなく、彼女の人生に大きなプラスをもたらすことになるのである。

そもそも、よく億単位のお金が集められましたね。

根が素人のサークルのノリですから、家族に始まって親戚、友人・知人と、とにかく頼みまくりました。「福岡にマイケルを呼べるんよ!!」という熱意だけで集めたようなものです。公演後に、チケット収入で返金するからと。ところが、コンサートの翌日に持ち逃げがわかって、天国から一気に地獄ですよね。集めたお金が、そのまま借金。仲間の中には、5億円の借金を抱えた人もいました。

皆さんも被害者なのですから、弁済しなくても良かったのでは?

確かに、被害者意識はありました。けれど「伊原を信じて出したのに」なんて言われると、バンザイして責任逃れもできない。もちろん取り立ても受けましたし、態度をあいまいにしていると、かえって心が折れます。それで自力で返済しようと決心したんですけど、夫は反対でしたね。結局離婚し、娘を実家の両親に預けて、とにかく私が働けるだけ働こうと。若くて、お金に関しては無頓着なほうだったからできた決心でしょうね。

以後は朝から深夜まで……。

はい。職種や条件、あとプライドにこだわらなければ仕事はいくらでもありました。早朝はアイスクリーム工場やお総菜屋さんで肉体労働、昼間は英会話講師やテレアポ、夜は中洲で水商売を2軒掛け持ち。何でもやりました、風俗と犯罪以外は(笑)。ただ、私は下戸なうえに、同伴もアフターもできない。だってお店の前後も仕事ですから。店内での接客だけでどう指名してもらうか、ナンバーワンの人の横で徹底的に勉強させてもらいました。最初の数年は、まともな睡眠時間なんて取れない生活です。でも、つらいからやめようと思ったことはありません。不安でしたけど、返済にはそれなりの喜びもあって、借金が5000万円を切るようになると「すごいじゃん!! 私」って(笑)。むしろ、債権者から逃げて、私らしくもなくイジイジしていた頃のほうがつらかったですね。

ただ、娘さんには反発された時期もあったそうですね。

小学校5年生の時、仕事前に電話したらいきなり「もう、いいわ!」って切られちゃったんですよ。あわてて家に戻って、娘と話しました。そうしたら「ママは参観日にも運動会にも一度も来てくれない。ママは、私より仕事が大事やけん!!」。子育ては、ほとんど母任せでしたからね。子供なりに大人の事情を察して、様々な思いや不満をため込んでたんです。「ごめんねー、寂しかったとやろ」と、娘に謝りました。そして初めて、借金の詳しいいきさつと、両親にも黙っていた借金の額も教えたんです。「これからは、いくら減ったよという報告もするたい。でも、ばあちゃんには言ったらいかんよ。ぶっ倒れるから」。以来、娘も私に協力してくれるようになりました。私の気分も引き締まって、最終的に10年で完済できたんです。

危機を乗り越えたからこそ言えることって、何かありますか。

私、借金なんか背負ったこともない人が言う、「ピンチはチャンスだよ」なんて言葉が嫌いだったんです。ピンチはピンチであって、借金も取り立ての電話も、そりゃないほうがいいに決まってる。ただ、この借金がなかったら、今の私も晴天という会社もない。だから、自分自身を変えるチャンスは確かにもらったと思います。ピンチ=チャンスでは絶対ないけれど、逃げずに正面から向き合った人には次のチャンスが来る。私はこのお金を返せたことで自信がついたし、何より好奇心やノリといった“私らしさ”を失わずにすんだ。経験も知識も皆無だった葬祭業に飛び込んでいく勇気は、そこから生まれたんですから。

取材・文/神戸 真  撮影/松岡美紀  構成/内田丘子

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