THE REVENGE 逆境こそが人を強くする

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第4回 2年8カ月の入院闘病生活からのリカバリー

中溝裕子さんの写真

「ゴルフしかない人生」は終わった。
今は「ゴルフもある人生」を生きている

今回のファイター

プロゴルファー

中溝 裕子さん (43歳)

東京都

1965年、滋賀県生まれ。森口祐子プロに憧れ、高校卒業後、同プロを育てた故・井上清次プロに師事。23歳でプロテストにトップ合格、初の滋賀県出身女子プロゴルファーとなる。91年、「骨髄異形成症候群」の宣告を受ける。しかし入院を拒み、トーナメントに出場し続けた。97年、妹の骨髄を移植。その後、拒絶反応に苦しめられながら、2年8カ月の入院闘病生活を送る。退院後は、自らの経験をつづった著書やコラムの執筆、講演(ゴルフレッスン付き)、ラジオ・テレビへの出演、そして絵手紙制作などの幅広い活動で、骨髄バンクの普及や知識の啓蒙に努めている。「骨髄移植推進財団」評議員。
http://www.nakamizo-book.com/
骨髄バンク(フリーダイヤル)0120-445-445

14歳の少女は、ふとしたきっかけでゴルフに目覚め、プロになると誓った。23歳で、その夢は現実になった。だがそれから3年後、中溝は「骨髄異形成症候群」の宣告を受ける。骨髄の造血機能が損なわれる病で、治療法は骨髄移植しかない。幸運にも彼女の妹の白血球型が適合し、移植は可能。だが、中溝はその後6年近くもかたくなに移植を拒み続ける。病気という現実を受け入れられないほど、彼女はゴルフに人生を懸けすぎていたのだ。

31歳の時、ある人の力強い助言によって、ついに骨髄移植を受ける。が、今度は激しい拒絶反応に襲われ、口から飲食することさえできない状態で入院生活を続けた。退院までに3年近い月日を要した。

骨髄移植で、血液型はAB型から妹と同じB型になり、移植を受けた12月3日は彼女の第2の誕生日となった。2007年から、その日は「中溝裕子 骨髄バンク チャリティーコンペ」の日にもなった。自称「日本一ゴルフをしていない女子プロゴルファー」は、薬の副作用を抱えつつ、同じ病に苦しむ人たちを励まし、助ける道を歩む。ふたつの血液型とふたつの誕生日は、ひとりの人間が生き直し、生き続ける証しなのだ。

プロゴルファーを目指そうと思ったきっかけは何ですか。

中学生の時です。打ちっ放しで練習していた父に、「やってみるか」って言われて。真っ青な空に、自分が打った小さな白い球がすーっと吸い込まれていくのを見て、その瞬間思ったんです。「私、プロゴルファーになりたい」じゃなく、「私はプロゴルファーになるんだ!!」って。なのに、プロになってたった3年で、命にかかわる病だと宣告されたんです。「神様、それはないでしょう!!」って感じですよ。それでも、妹から骨髄移植を受けられることがわかって、正直、ホッとはしました。でも、移植は拒んだんです。絶対に死ぬってわけじゃない。そもそも、病院に行くから病人にされるんだ。自分なりの変な理屈をつくって、そんな状況でもゴルフに没頭する日々でした。病気なんか気力で治す!!みたいな。

気力では治らないですよね。

治らないですよ(笑)。単なる先送りです。病気だという事実を認めたくなかった、目をそむけていただけなんです。その後、千葉のゴルフ場に移って、病院で輸血を受けながらトーナメントに出続けました。免疫力は落ちる一方で、肝臓もボロボロ、一度出血したら止まらない。それでも、まだゴルフに執着し続ける私の心を動かしたのが、元関脇の阿武松(おうのまつ)親方の一言でした。「そこに生きるチャンスがあるのに、なぜ生かそうとしないんだ」。その力強い言葉に励まされて、私は移植を受けたんです。

移植後の経過はどうでしたか。

大変なのは、むしろそれからで。移植後、口の中がただれ始めて、お茶をちょっと含んだだけでも飛び上がるほど痛い。骨髄移植をしたことで、GVHD、つまり拒絶反応が出たんです。先生が「3年間は、口から食べることも飲むことも無理でしょう」と。3年ですよ!!焼き肉モリモリ食べてた人が(笑)。結局、それからの2年8カ月、栄養はすべて点滴と体に通したチューブからの流動食。おまけに外気に触れるだけでも熱が出る、紫外線はGVHDを強くする。だから一日中日の差さない部屋の中で、寝たきりの生活でした。

何が支えになったんですか。

おばが、絵手紙を勧めてくれたんです。最初はただ、胸にたまったやり場のない気持ちを紙にたたき付けただけ。ところが、それを見たほかの患者さんやご家族がとっても喜んでくれたんですよ。ゴルフの勝利よりもうれしいことがあるんだと、初めて思いました。自分の回復を実感したのは、母が軟らかく炊いてくれたご飯を口から食べられた時ですね。食道の直径が4oにまで縮んでいたので、まず器具で広げて。驚きました。2年8カ月ぶりに食べ物が口から入ってきた瞬間、内臓全体が喜んで動いているのがはっきりわかったんです。いつも冷えきっていた体がカッと熱くなってきた。「食べることは、命をいただくこと」という意味が、実感できました。

大変な病を経験して、自分は変わったと思いますか。

健康だったら、ゴルフしか知らない狭い人間になっていたでしょうね。今は自分が生きている、生かされていることのありがたさが心底わかる。だから、自分と同じ病気で苦しんでいる人たちを少しでも助けたいと思うし、そのために活動を続けています。私は、病院で2年8カ月過ごす間に、生きたいと願いながら亡くなっていく人を何人も見てきました。だから、そこに生きるチャンスがあるのに、それを生かそうとせず安易にあきらめたり、いわんや自ら死を選ぶという今の風潮には、すごい憤りを覚えるんですよ。生きることの意味、あきらめない勇気をしっかりと自分に問うてほしい。

取材・文 / 神戸 真  撮影 / 刑部 友康  構成 / 内田 丘子

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