THE REVENGE 逆境こそが人を強くする

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第1回 新潟県中越地震被災からの復活

木村 和久さんの写真

事業より大切なものはあります。
あの時、事業を最優先していたら、
今、この会社はない

今回のファイター

ストーリオ(株) 代表取締役

木村 和久さん (44歳)

新潟県小千谷市

1964年5月、新潟県生まれ。神奈川大学在学中から、将来の起業を目指す。卒業後、電気・電子関連メーカーに就職。自ら望んで海外拠点の開設にかかわるなど、後に経営者として必要になるであろう経験を積む。2000年頃より「日曜大工応援隊」を試験的に運営開始。2004年、「にいがた産業創造機構」の育成事業に選ばれ、同年8月にストーリオを設立。「自分だけの家具をつくりたい」というニーズにこたえる、ネットを使ったオンリーワンビジネスを展開している。
http://www.storio.co.jp/

念願だった会社を設立して2カ月。事業を軌道に乗せるべく、土日も昼夜の別もなく働いていた時期だった。その日も土曜日ではあったが、木村和久は事務所に出社。一人、ノートパソコンに向かっていた。午後5時56分―突然、事務所全体が激しく突き上げられたかと思うと、強烈な揺れが襲ってきた。2004年10月23日、新潟県中越地震の発生である。事務所のある小千谷市と、自宅のある長岡市の両方が被災した。

もちろん、起こしたばかりのビジネスも大打撃を受けた。「日曜大工応援隊」というそのサービスは、ユーザーが描いたスケッチをもとに、オリジナルの家具をプラモデルのようなキットに仕立てるというもの。設計図を起こし、熟練の木工職人がパーツに加工。キット化して発送し、ユーザーが完成させるというビジネスモデル特許も取得した斬新な事業だった。

その木材加工を頼んでいた協力会社の工場も、内部を完膚なきまでに破壊された。このままでは事業の息の根が止まる。しかし目の前には被災し、余震におびえる家族や地元の人々が。自分は何をなすべきか? それからの1ヵ月は、木村が事業家としての、人としての器量を問われた日々だった。

地震直後、どういう行動を取られたんですか。

まず、長岡の自宅に電話しました。すると一瞬ですが通じたので、家族は無事だろうと。次は大切な顧客データの入ったパソコンの保護。それから金庫の中の現金をすべて取り出して、逃げようとしたんですがドアが開かない。事務所は2階なので、窓を開け、商店街のアーケードの屋根を伝って、ひびわれた道路に下りました。町は思いのほか静かで、地鳴りのゴーッという音だけが響いていました。

その夜は、家族の安全確保で精いっぱいでしたが、翌日にはこの事態を少し長い目で見ていこうと思い始めたんです。まず、優先順位を考えて、今日、明日やるべきことをきちんとこなしていく。なのでこの時点では、申し訳ないけどお客さんのことは二の次にさせてもらいました。友人・知人の安否確認に回り、ご用聞きみたいに必要なものを聞いては買い出しをし、配達するようになりました。最初の3日間は、とにかく物資がなかったですから。多くの大人たちは、現場に張り付いて地域を守る必要があったので、そういう役割分担が自然にできたんですね。

協力工場も大変な被害を受たたそうですね。

地盤沈下で基礎が半分浮き上がり、1tもある機械が横倒しになっているような状況でした。加工済みの商品ももちろん台無しです。工場長ご夫婦も「この工場はもうダメかも……」と。でも、「いやいや、ここから何とかしていこうよ」と励ましながら、地盤沈下で浮いた基礎をジャッキで支え、散乱した木材を片付け、倒れた工作機械を引き起こしました。この時、力になってくれたのが若いボランティアの皆さんです。素晴らしい人たちばかりで、私たちの要望をきちんと聞いて黙々と手伝ってくれました。1カ月後に事業を再開できた時、私たちもささやかながら被災者への支援サービスをやったんですが、それには恩返しという意味もあったんです。

事業再開後に苦労したことは。

まずは、震災前に受注していた商品を新たにつくり直し、発送することから始めました。あとはとにかく、設立時に産業創造機構に提出した事業スケジュールに追い付くのに必死でしたね。この事業計画の達成を前提に助成金を受けたわけですから。もちろん、被災したことを言い訳にもできたでしょう。でも、そもそも事業環境の変化は考えておくべきことですし、何とか計画に追い付きたかった。無理をしたかなとは思いますが、うちのスタッフも本当に頑張ってくれまして。ありがたいことに、お客さまからのクレームはゼロで、それどころかメールで励ましをいただいたり、中には義援金を送ってくださった方もいたほどです。

天災に対するリスクヘッジとして、やれることはありますか。

パソコンのデータのバックアップくらいでしょうか(笑)。ただ、いざという時、最大のバックアップは「人」なんです。こう言うと、「人付き合いも商売のうち」的な処世術と誤解されるかもしれませんが、そうではなく、本質的にそれを確信したということです。そもそも私が起業したのは、自分がつくったもの、考え出したサービスで人が喜んでくれることが、私自身の幸せだと思い至ったからです。ですから震災で周囲の人が困っていたら、その人たちに喜んでもらえるようなことを最優先することにつながってきたわけです。ただ、この時「将来を見すえて、今日の現実に立ち向かっている」のだということを忘れてはいけません。状況が厳しいほど、時間・モノ・人が制限されるほど、そうした考え方が大切になってきます。それは同時に、起業にも通じる心構えではないかと思うのです。

取材・文 / 神戸 真  撮影 / 刑部 友康  構成 / 内田丘子

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