このコラムで取り上げているエピソードは毎回実話だ。むろん誇張はある。というより、かなりひどい誇張をしていると自分でも思う。であるがゆえに、不幸にも題材にされてしまった起業家は、まずもって「それはないよ」という気分になるものだ。すまん。
ところがどんな世界にも例外はある。「増田さん、僕のことを書いてくださいよ」と、せがむ男がいるのだ。しかも何度も。
信じられない価値観。だが頼まれて書くのもいやなので、本人には毎度のように、「このコラムは登場人物を前半でボコボコに批判しておいて、後半で本当は素敵な人なんだって持ち上げるわけよ。だけどさ、アンタは何の取りえもないからストーリーにならないんだよねぇ。残念だけど」と、丁重にお断りしている。
これまた我ながらひどいセリフだと思うが、その男、なぜかニヤニヤ笑って私の暴言を聞いているのである。ひょっとして危険な野郎か? 危険な野郎、略してKY。
そうだそうだ。彼はKYなのだ。だが危険な野郎というよりは、やはりオーソドックスに空気が読めない。ないしは感情が読めない。あるいは距離感が読めないといったところだ。とにかくこの男、何かがズレている。ちなみに彼はサトちゃんという。
サトちゃんが経営する会社の名前は「サポートKY」。もっとも登記簿上は「サポートK」らしいが、周囲は皆「サポートKY」と呼んでいるし、サトちゃん自身も「サポートKYのサトちゃんでーす」とか浮かれているからKYでいいのだろう。
で、このKY社、経理代行サービスをメイン事業としている。特に飲食店の経理や経営支援に特化した会社である。と、サトちゃん自身は言うが、実際はどうなんだかねえ。「経理が読めない。会計が読めない。というよりも数が読めない」というのが周囲のおおかたの意見だ。見事なKY攻め(笑)。いやまあ、これはいささか言いすぎの感がなきにしもあらずだが、当たらずも遠からずと言えなくもない印象ではある。
まあ、そんな感じで概して評判の良くないサトちゃんだが、人間、ひとつくらいは自慢話があるものだ。どうしても本人が書けというから書くが、この男、とある高級会員制クラブの会員になっている友人から会員証を借り受け、堂々とその友人になりすまして店で豪遊をしてきたのだそうだ。それだけならどうという話ではない。
入店時のやりとりがすごい。すごすぎる。「いらっしゃいませ。お客さま、お名前を頂戴できますでしょうか?」とマネジャー。何食わぬ顔で「○澤です」と答えながら会員証を見せびらかすサトちゃん。「おまえが○澤なわけねーだろ」と心の中で叫ぶマネジャー。「ふふふ。ラクショーだな」と空気を読めないサトちゃんならではの心の声。「○澤様、大変恐縮でございますが、念のため生年月日をお教えいただけますでしょうか?」と食い下がるマネジャー。「やべっ」と心の中で舌打ちするサトちゃん。勝ち誇ったような表情のマネジャー。だがその直後に大逆転劇が待っていた。
「ああ、誕生日ね。ええっと、ええっと、あ、忘れちゃいました〜」
そんなバカな! 自分の誕生日を忘れるか(笑)。だが、そう言われてしまうとマネジャーも対処のしようがない。120%ニセモノと確信しつつもマネジャーはサトちゃんをフカフカのソファ席に案内したのであった。悔しかっただろうな、マネジャー氏。
しかし、「よくもそんなことを口にできたね」と彼に言ったら、「僕はKYだから誕生日なんて忘れちゃうんでーす」だって。どういうこと? 「記憶が良くない」。
ほら、言わんこっちゃない。もうコラムも終盤に差しかかっているのに、やっぱり褒めるポイントがなかったじゃないか。だから書きたくないって言ったのに……。
じゃあ、なぜ書いたのか。先日、彼に借りをつくったのでそのお返しのつもりである。私はとあるイベントに参加を申し込み、実際に会場まで出かけたのだが、あまりの混雑ぶりに嫌気がさし、そのまま踵(きびす)を返して帰宅してしまったのだ。当然、私の行動はよろしくない。その後始末をしてくれたのが同じイベントに参加していたサトちゃんだった。主催者にお詫びをし、私の参加費も黙って支払ってくれたそうだ。ありがとう。「気持ちの優しい」男。「KY」は裾野の広い言葉である。
1959年生まれ。87年、株式会社タンク設立。97年、「アントレ」創刊に参加。以降、同誌編集デスクとして起業・独立支援に奔走。講演やセミナーを通じて年間1000人以上の経営者や起業家と出会い、アドバイスと激励を送り続けている。現在、(社)起業支援ネットワークNICeの代表としても活躍中。また、中小企業大学校講師、(財)女性労働協会講師、ドリームゲート「事業アイデア&プラン」ナビゲーター、USEN「ビジネス実務相談」回答者なども歴任。著書に『起業・独立の強化書』(朝日新聞社)、『正しく儲ける「起業術」』(アスコム)。ほか共著も多数。