何かの打ち合わせをしていた時のこと。ディテールばかりを論じる同業者のレイコにいいかげんウンザリした私は、「そういうのを『木を見て森を見ず』っていうんだよ」と、軽く非難を浴びせたことがあった。すると彼女も憤慨気味にこう言い返してきた。「誰よ、森尾ミズって?」。
その誤解をただしたうえで本来の意味を説明するのも何だかアホらしい気がしたが、行きがかり上しょうがないので、だいたいの意味を説明した。それにしても「森を見ず」の前に付いている「木を見て」のところをバッサリとカットして「森を見ず」だけを取り上げ、それを「森尾ミズ」と勘違いしたのだから、これはまさに「木を見て森を見ない」彼女の姿勢が生み出した失態といえるだろう。
ところが、その言葉の意味を説明し終わった途端、レイコは「何それ? 人間の目で森全体を見るなんて無理でしょうが」と切り返してきたのである。「森の近くにいたら見えないけど、遠くに立てば見えるってことだ」と反撃を試みたものの、すぐさま彼女は「だったらおうかがいしますけど、増田さんは100km先にある森が見えるんですか? どうなんですか?」とたたみかけてくる。こうなると沈黙するしか方法がない。
もちろん言い負けたわけではない。あまりにくだらないやりとりだし、「100kmは無理だけど、1 kmなら見える」とかうっかり言っちゃったら、「本当にそれで森の奥のほうまで全部見えるのか」とか何とか追求されることになり、それこそ本題から大きく逸脱していく展開に自らが加担してしまうことになると思ったから黙ったのだ。沈黙は金である。
余談だが、レイコに限らず女性は機嫌をそこねると、なぜ「おうかがいしますけど」みたいな感じの言葉遣いになるんだ? 「あなたと近しい関係ではなくなった」という態度表明なのかなあ。違うか? わからんわ、女心は。
それにしても女性と男性ではコミュニケーションの仕方が違うとつくづく思う。コミュニケーションの仕方というか、コミュニケーションのもとになる題材のとらえ方が違うというか。つまり視点が違うわけだ。それこそ同じ場所に立って森を眺めているつもりでも、一緒にいる女性はとある一本の木を見ていたりする感じだ。もちろん女性は男性より器用だから、本当は一本の木に関心があっても、「森全体を見ている」ように演じることはできる。
実際のところ、私が相手だとディテールばかりをしゃべりまくるレイコでさえ、お客さんや役所の人が相手だと、ちゃんと5W1Hを踏まえたわかりやすい話をするのだ。女性の本性と能力は別ってことか。
とにかくやればできるんだから、私が相手の時にもそうしてほしい。そう思った私は「ビジネスで付き合っているんだから、もうちょっと課題の全体を見渡した話をしようよ」と、彼女に提案したことがあった。ところが……。
「男の人はそうやって話を大きくするから、素早く事を進められないのよ。スピードが重要だとか言っているくせに」と反対に意見されてしまう始末である。そう言われれば確かにそうかもしれない。こうなると、どっちの言い分も正しく思えてくる。男の真理と女の真理は別々に存在するものなのか。
「結局男の人はさあ、『森を見て木を見ず』なのよ。それってハーレムに憧れるばかりで、その中のどの女性が一番自分に合う人なのかを考えないのと一緒よね。男ってアッタマ悪いよねえ」
想像のはるか圏外にある例え話だが、この言い分もまたあながち間違ってはいないような気がする。「だからさ、森を見るのが得意な男と、木を見るのが得意な女が組めばいいわけだよね。だから頑張ってね、増田さん」と、最後は訓辞までいただくことになるから、レイコにはどうにもかなわない。
仕事は、「かなわない」と思えるような相手と組んで進めるのが一番面白い。その相手が男であっても女であっても、それは同じである。
1959年生まれ。87年、株式会社タンク設立。97年、「アントレ」創刊に参加。以降、同誌編集デスクとして起業・独立支援に奔走。講演やセミナーを通じて年間1000人以上の経営者や起業家と出会い、アドバイスと激励を送り続けている。現在、(社)起業支援ネットワークNICeの代表としても活躍中。また、中小企業大学校講師、(財)女性労働協会講師、ドリームゲート「事業アイデア&プラン」ナビゲーター、USEN「ビジネス実務相談」回答者なども歴任。著書に『起業・独立の強化書』(朝日新聞社)、『正しく儲ける「起業術」』(アスコム)。ほか共著も多数。