笑いと気づきの人間讃歌! おとぼけ起業家列伝

笑いと気づきの人間賛歌! おとぼけ起業家列伝

第29回 南国に暮らす寒い男


イメージ画像
イラスト / 本田佳世

九州の南端、鹿児島県は指宿市。少し前なら、指宿と書いて「いぶすき」と読むことを知らない人は珍しくなかった。読めても行ったことのない人が多かった。行ったとしても、砂蒸し風呂の記憶しかない人が大半だった。マニアックな人でさえ、市内にある池田湖に「イッシー」という怪獣がいるらしい程度の知識しかなかった。だが、事態は一変した。

篤姫である。島津家から徳川家へと嫁いだ彼女の出身地が同市の今和泉地区だったことから、にわかにその名を馳せた。こうなると、それまで「田舎者」扱いされていた指宿の起業家も気勢が上がる。JR指宿駅の中にオフィスを持つ(こんな場所にオフィスがあること自体、すごい)イケモトさんの鼻息の荒いこと荒いこと。

できれば日本地図を開いて、指宿市の位置を確認してからこの先を読んでいただきたい。鹿児島市内から高速道路を使っても1時間半はかかるようなところに同市はある。その先は東シナ海の大海原が延々と広がるだけの「最果ての地」だ。

イケモトさんはキャリアカウンセリングを専門とする心優しき中年男である。篤姫と同じ今和泉の出身だが、彼女が薩摩の主役なら、彼は薩摩の民といったおもむきがある。要するにフツーのオッサンにしか見えないという意味だ。

だが、本当はすごいオッサンである。篤姫が東京に行ったのは1度きりだが、彼はすでに何十回、いや、百回以上東京を訪れている。この点においては、篤姫<イケモトさんという図式が成り立つ。むろん、こんな比較は比較足り得ないが、比較はどうでもよくて、九州の南端に暮らす彼が、日本列島狭しとばかりに飛び回っていることがすごいと言いたいのだ。何度も言うが、指宿は遠い。

遠いといえば、指宿は亜熱帯気候に属している。言うまでもなく、東京はもちろん、日本列島の大半は温帯気候である。というわけで、南国指宿は暑い。でもイケモトさんいわく、「冷房にさほど頼らずとも暮らせる」のだそうだ。なぜ?

「それはですねえ、僕のジョークが寒いからです。へへへ」

その説明自体が寒い。

とはいえ気温を下げるのは無理だとしても、盛り上がりすぎて収拾がつかなくなった宴会を解散させる時など、彼の存在は実に大きいものがある。「皆さーん、もう深夜ですよー。こんな時間まで宴会なんかしていて、エエンカイ?」。この一言で完全に酔いは覚める。まとまりかかっていた商談すらご破算になる。燃え上がりかけていた男女の愛だって確実に破綻する。イケモトさんのジョーク(というかダジャレ)は、オーバーヒートした人の心を冷却する特異なメッセージとしか言いようがない。その内容において、そのタイミングにおいて。

もしかすると、彼のジョークは、上からものを言う方法で事態や状況を変えるのではなく、相手の力を抜いてやることで、それをやり遂げるための手法なのかもしれない。もっと言えば、イケモトさんは心根の強い人である(でなけりゃ、指宿と東京を往復するような暮らしはできない)。その強さをまともに出したら相手が縮こまってしまう。そうならないように配慮しているのかもしれない。

そういえば、こんなことがあった。以前、私が彼にある人物の評判を聞いた時のことだ。「皆さんが厳しい評価をしているのは知っています。でも、僕はダメだと思っていません。時間をかければ、あの人は成長します」。イケモトさんはそう言い切ったのだった。多数意見に安易に同調しない芯の強さを見せつけられたようで、私はすっかりイケモトさんに引き込まれてしまった。

飄々(ひょうひょう)としているが、芯は太い。俳優の長塚京三さんが演じた篤姫の実父とイケモトさんが重なって見えると言ったら、言いすぎだろうか。

「増田さん、面白いイベントがあるんですよ。クリスマスイブに、みんなで集まってすき焼きを食べようという企画なんです。どこに集まって食べると思いますか? イブにすき焼き。だから、イブスキ(笑)」。

相変わらず寒いダジャレだと思っていたら、これ、JR九州の鹿児島支社が本当に実施したイベントで、驚くほど盛況だったとか。東京で平々凡々と暮らしている私には信じがたい話である。南国鹿児島は誰もが寒い。いや、すごい。

次回は2008年12月5日(金)更新予定。お楽しみに!

プロフィール

増田紀彦の写真
増田紀彦
(社)起業支援ネットワークNICe
代表理事

1959年生まれ。87年、株式会社タンク設立。97年、「アントレ」創刊に参加。以降、同誌編集デスクとして起業・独立支援に奔走。講演やセミナーを通じて年間1000人以上の経営者や起業家と出会い、アドバイスと激励を送り続けている。現在、(社)起業支援ネットワークNICeの代表としても活躍中。また、中小企業大学校講師、(財)女性労働協会講師、ドリームゲート「事業アイデア&プラン」ナビゲーター、USEN「ビジネス実務相談」回答者なども歴任。著書に『起業・独立の強化書』(朝日新聞社)、『正しく儲ける「起業術」』(アスコム)。ほか共著も多数。

ページの先頭へ