ケンカをするほど仲が良いという。本当かなあ? まあ本当だとしよう。ただしそうであれば、そもそもケンカとは何か? これが重要になってくる。
私の答え。ケンカを漢字で書くと「喧嘩」。2つの漢字はいずれも「くちへん」だから、ケンカとは腕力や武力を行使しない言い争いのたぐいではなかろうか。また、策略を用いてまで相手を攻撃するようなものでもない。実際、「戦争をするほど仲が良い」とか、「ワナを仕掛け合うほど仲が良い」とか言わないし。
互いの言い分をぶつけ合い、そのうえで相手の理を認めたり、自分の非を認めたりするなら、これは確かに仲が良い。
ところが、こういう間柄もある。いつもリュックの中にサバの水煮の缶詰を入れているせいでサバドンと呼ばれている男は、何かと私に突っかかってくるのだが、私がちょっとでも反撃するとすぐに退散してしまう。要するにケンカにならない。こういう関係の場合は仲が良いと言うのだろうか?
たとえば電話でやりとりするとこんな感じになる。「友達が先生の講演を聞いたって言ってましたよ」「あ、そう。つまらなかったって?」「まさか。ただ先生は眠そうだったって言ってました」「え?」「先生、寝不足でしょ?」「だとしても講演中は平気だよ」「どうですかねえ?」「おまえ、ケンカ売ってるのか?」「いえ、とんでもない。すみませんでした。言葉がすぎました。許してください」。
どんなやりとりをしても、最後は必ず「許してください」で締めるから、どうにも拍子抜けしてしまう。こんなことを繰り返して何の意味があるのだろう。
ちなみにサバドン、自分の会社の社員に対しては理路整然かつ懇切丁寧な話し方をする。医療関連のソフトを開発しているというから、まあ、そうであってほしい。そう考えると、私に対して柔道で言うところの「掛け逃げ」(相手を攻めるふりをして、実際には反撃されないように逃げること。反則になる)のような会話を仕掛けてくるのは、日頃のストレス解消が目的なのだろうか?
本人は違うという。「生意気ですが、僕は先生のために言ってるんです。柔道の試合でも『掛け逃げ』に見えて、本当は必死で技をかけている場合があるんです。ただ、技をかけたほうの力が足りないせいで、審判には技をかけるふりに見えてしまうんです」だってさ。話の趣旨以前に、柔道に詳しいことが不思議だ。
「先生が『おまえは掛け逃げ野郎だ』って言うから調べただけです。僕はアラポンさんみたいに『柔道やってた』なんて言いません(「おとぼけ起業家列伝」第11回参照)。てゆーか、アラポンさんの原稿のオチ、ちょっと美談すぎませんか?」
結局また私にちょっかいを出してくる。その後はいつもと同じ。私が怒ってサバドンが謝罪して、はい、おしまい。
しかし彼の言う「力不足のせいで、攻撃が、攻撃のフリに見えてしまう」ということはあり得るかもしれない。考えてみればサバドンはそれなりに私の急所を攻撃している。寝不足で講演したことはある。原稿のオチを盛り上げすぎた気もする。だが、攻撃しきらないうちに撤退するから「逃げやがって」で終わる。
ん? 待てよ。じゃあサバドンが攻撃の手を引っ込めなかったらどうなるんだ? たぶん私は「彼の言うことはもっともだ」と深く反省するだろう。ただしそれは後日、心の中でのことで、その場では彼を返り討ちにするに決まっている。
そうか、わかった。一発で倒せない相手には小技を繰り出し、相手が反撃態勢を取ったらスッと引く。そうやって勝機を待つ。こりゃ弱者の正しい戦い方だ。サバドンはサバドンなりにケンカを仕掛けていたのだ。「ケンカにならない」なんてなめてると私もヤバイことになるぞ。いや、すでにこうやって彼の言い分を紹介している時点で、もう私は一本取られているのかもしれない。
よしっ、出直しだ。どこからでもかかってこい、サバドン! 今までどおりに逃げるなら許してやる。今まで以上に攻めてくるなら褒めてやる。
そういえば「ケンカ友達」なんて言葉もある。いいケンカは人間関係を育てる。
1959年生まれ。87年、株式会社タンク設立。97年、「アントレ」創刊に参加。以降、同誌編集デスクとして起業・独立支援に奔走。講演やセミナーを通じて年間1000人以上の経営者や起業家と出会い、アドバイスと激励を送り続けている。現在、(社)起業支援ネットワークNICeの代表としても活躍中。また、中小企業大学校講師、(財)女性労働協会講師、ドリームゲート「事業アイデア&プラン」ナビゲーター、USEN「ビジネス実務相談」回答者なども歴任。著書に『起業・独立の強化書』(朝日新聞社)、『正しく儲ける「起業術」』(アスコム)。ほか共著も多数。