タイという国があるのを私が知ったのは、今から40年ほど前に人気を博したキックボクシングを通じてだった。
「キックの鬼」こと沢村忠選手が得意の真空飛び膝蹴り(しんくうとびひざげり)で、タイからやってきた選手たちを次々と打ち倒すシーンは、まさにエキサイティング〜。しかしその影響で子ども時代の私の頭の中には、タイ人=弱いヤツという図式ができ上がってしまった。
今になれば、タイ人が弱いなんて理屈はあり得ないのだが(それどころかムエタイ選手の強さはとんでもないものがある)、あえて、その思い込みをただそうとしたこともなかったので、結構最近まで私の頭の中は子ども時代のままだった。
だから初めてチャオに会った瞬間、私は「こいつは弱そうだ。手下にしよう」とすぐに思った。チャオというのは、私が付けたあだ名である。タイにチャオプラヤー川という有名な河川があるので、そこから拝借してきたわけだ。ちなみにチャオはタイ人ではない。タイ人にしか見えない日本人である。
浅黒い顔、引っ込んだ眼窩(がんか)、よく張った頬骨、厚めのくちびる。チャオの顔面パーツは沢村に打ちのめされたタイのキックボクサーたちとまるで一緒なのだ。そう思うのは私ひとりではない、というエピソードを紹介しよう。
何年か前にバンコクで爆弾テロがあった時、チャオは事件現場からすぐ近くのホテルに泊まっていたそうだ。ご家族の方々との旅行の最中だったとか。そのホテルにはかなりの数の日本人客が宿泊していたが、すぐに警察官が駆け付けてきて全員を安全な場所に誘導してくれたという。ところが正確には全員ではなかったのだ。ひとりだけ誘導してもらえなかった日本人がいた。チャオである。
誘導してもらえないどころか、思いっきりタイ語で怒鳴られたっていうからおかしすぎる。「おい、おまえ、そんなところに突っ立ってるんじゃない! 日本人の誘導のじゃまだ!」とか何とか言われたに決まっている。わけがわからなくて呆然とするチャオの浅黒い顔を想像するだけで、また笑いが込み上げてくる。とにかくタイの警察官ですら、彼をタイ人だと思うほどなのだ。
さて、実際のところ私はチャオを手下扱いしている。講演会の来場者が足りないから何人か集めて来いとか、こういう業種の起業家を取材したいから探して来いとか、まあ、いいようにこき使っている。もちろん彼だってひまじゃあない。何十人もの従業員を抱えるビルメンテナンス会社の社長なのだから。
だけど、チャオは私のそんな態度に文句を言ったためしがない。文句を言うどころかいつも大活躍だ。しかも「もっとお役に立ちたかったのですが……、すみません」と、お釣りがくるほどの成果を挙げながら頭を下げてくる謙虚さだ。
一度、彼とタイ料理の店に行ったことがある。いつかは実現したいと、夢にまで見たシーンだった。お店の人がどんな態度に出るか、想像しただけでたまらなくワクワクする。ところが先制攻撃に出たのはチャオだった。いきなりタイ語(と思われる言葉)で店員に話しかけたのだ。これには心底仰天した。「増田さんならきっと、『店員にタイ語で話しかけてみろ』っておっしゃると思いまして、それでちょっと勉強してきたんです」だってさ。いや〜、まいったねえ。
言うまでもないが、私が強くてチャオが弱いからこういう関係になっているわけではない。彼を見た時に弱そうだと思ったが、実は筋骨隆々だった。
人に尽くす能力。そうとしか言いようのない力を彼は持っている。それがみなぎっているからチャオはやさしいのだ。そうそう、彼が私と話をする時の目の置き場は、人と出会った時にすっと両の手のひらを合わせる瞬間の、あのタイの人たちの目の置き場とそっくりだ。本当にやさしいまなざし……。
というわけで、チャオはタイ人に見える日本人に見えたタイ人かも。というような憶測はどうでもいい。今、タイと日本の経済協力が着々と進んでいる。キックボクシングで赤と青にコーナーを分けた時代から40年。私は今の時代のほうが好きだ。願わくばその協力関係が、互いに尽くし合うものでありますように。
1959年生まれ。87年、株式会社タンク設立。97年、「アントレ」創刊に参加。以降、同誌編集デスクとして起業・独立支援に奔走。講演やセミナーを通じて年間1000人以上の経営者や起業家と出会い、アドバイスと激励を送り続けている。現在、(社)起業支援ネットワークNICeの代表としても活躍中。また、中小企業大学校講師、(財)女性労働協会講師、ドリームゲート「事業アイデア&プラン」ナビゲーター、USEN「ビジネス実務相談」回答者なども歴任。著書に『起業・独立の強化書』(朝日新聞社)、『正しく儲ける「起業術」』(アスコム)。ほか共著も多数。