西日本を中心とした地域で「嘔吐する」ことを「えずく(えづく)」という。正確には、吐き出すタイミングより前の、「オエッ」となった、あの感じのことだけど。
だから、もしも「エズキちゃん」などというニックネームを付けられたら、近畿以西ではとんでもなく不名誉なことだ。「キモイちゃん」とか「ゲロゲロさん」とか呼ばれるのと、ほぼ同じ意味だから。
不幸にも、そのとおりのあだ名を付けられてしまった人物がいる。通称エズキちゃんは兵庫県の何とかいう町で農産物のネット販売を行う女性起業家だ。ちなみに本人は「人妻起業家」と標榜している。ちょっと「エロダサイ」ね(笑)。
とにかくそのエズキちゃん、いろいろと面白い。だが、彼女が実際にえずいているところを私は見たことがない。それなりの酒量をたしなむので、相当に酔っぱらうのは事実だが。そうそう、飲み会から帰ってきた彼女を最寄り駅までクルマで迎えに来た母親が、そのあまりの酩酊ぶりに激怒し、「アンタ、警察に連れてったるわ!」と一喝したというエピソードもあるほどだ。とはいえ、ベロベロのグニャグニャにこそなれ、「オエ?」だの「グエ?」だのと騒ぐことはない。
では、なぜ彼女はエズキちゃんと呼ばれるのか。実は本名が「アズキ」だから、単にそれをもじって「エズキ」と揶揄されているだけなのだ。しかし、アズキという姓も珍しい。漢字で書くと「小豆」。この名前で彼女は丹波篠山の豆類を販売しているのだから、まことに都合がいい。ちなみに彼女のことを「大豆ちゃん」と呼ぶ人もいる。何となく失礼だが、こちらは単なる思い違いのようだ。
というわけで、決してえずきはしないものの、お母さんからお墨付きがもらえるほどの泥酔状態は、他人の私にしてみれば、このうえなく面白いものである。たとえばこんなことがあった。座敷での飲み会で、エズキちゃんが消えたのだ。もちろん実際に消えるなんてことはない。なんと畳に腹ばいになって飲んでいたのだ。人間、どうすればここまでくつろげるようになれるのだろう?
講演のために上京してきたエズキちゃんを前の晩につかまえて飲ませるのも面白い。飲み過ぎたら翌日に差し障ると思って、スタート時点では控えめにしていたエズキちゃんが、やがて「もう、どうでもええわい!」状態に変貌していくさまは、興行収入全米?1クラスのコメディー映画に匹敵するおかしさである。
「ねえねえ、明日の講演のテーマは?」と私が尋ねる。「確か『私の起業体験』やったと思います」とエズキちゃん。これが正解。それが20分後には「私の起業家体験」と微妙に変わり、1時間後には「起業家体験とは何か」となり、2時間もした頃には、「明日のテーマですか?。『体験談とは何か』ですかねえ」となっていくのである。人間、どうすればここまでいい加減になれるのだろう?
素面(しらふ)の彼女は、実はとっても知的な人である。とにかく物事を考える人だ。考えて、それで必ず自分なりの答えを出す人だ。私がもっとも好む人物像である。情報を調べるとか、覚えるとか、そういうことをする人はいくらでもいる。だが昨今、考えることに時間と労力を費やす人が減ってきたような気がする。新しく入ってきた情報を、もともと持っていた情報と付け合わせ、足したり引いたりして、さらにそこから出てきた答えを、これまたいろいろな角度で検証していく。この営為をもって人間を知的生物と呼ぶのだと私は思う。
知的生物であるところのそのエズキちゃんが、アルコールの働きかけによって、「恥的生物」へと変化し、最終的には「痴的生物」へと転落していくプロセスは実に愉快である。深酒の友にエズキちゃんは絶対欠かせない存在だ。
そのうえでフォロー。酔った人に何度もしつこく同じ質問をしたら、たいていは回答を拒否するか、「もう忘れました?」と答えるのが相場だ。エズキちゃんがトンチンカンな答えを連発するのは、どれだけ酔っても常に考えて答えようと努力する人だからである。アルコールに、人の本質を左右するほどの力はない。
1959年生まれ。87年、株式会社タンク設立。97年、「アントレ」創刊に参加。以降、同誌編集デスクとして起業・独立支援に奔走。講演やセミナーを通じて年間1000人以上の経営者や起業家と出会い、アドバイスと激励を送り続けている。現在、(社)起業支援ネットワークNICeの代表としても活躍中。また、中小企業大学校講師、(財)女性労働協会講師、ドリームゲート「事業アイデア&プラン」ナビゲーター、USEN「ビジネス実務相談」回答者なども歴任。著書に『起業・独立の強化書』(朝日新聞社)、『正しく儲ける「起業術」』(アスコム)。ほか共著も多数。