一例を挙げれば、「彼は身軽だよね」とは言うが、「彼は身重だよね」とは言わない。いや、身重という言葉はあるのだけれど、それとこれとは意味が違う。私はこの手の「反対語」のビミョーさについて、ふと興味を覚えることがある。
最近気になっているのは「味も素っ気もない」だ。「味も素っ気もある」という言い方は聞いたことがない。それにそもそも素っ気って何だろうと思うし、加えて「そっけ」と入力しても「素っ気」という変換候補は現れず、あくまで「そっけない」と打たないと、「素っ気」という字が出てこないのも変だし、そもそも「素っ気」が「そっけ」じゃ、それこそ素っ気ないだろうと思ったりするのだ。
一方、「味」のほうは「ない」も「ある」もある。「彼は味のある人だ」とか普通に言うしね。そう考えているうちに思い出した男がいる。ジョージだ。彼は「味はある」のだが「素っ気ない」のだ。ちなみに「素っ気」とは、他人に対する思いやりのようなものらしい。うん、確かに彼の辞書に「思いやり」の文字はない。
こういう男を友人に持つと、なかなかに悩ましい。「味も素っ気もない人」なら相手にする必要もないのだが、ジョージのように味が○で、素っ気が×だと、相手にすべきか、すべきではないのか、非常にわかりづらいものなのだ。
洋服のボタンホール。あの穴の周囲をかがる糸は、たいてい服の色と同系だ。ところがジョージが着ている紺ブレザーのかがり糸は、何と真紅なのだ。紺地に真っ赤な糸! やるなあ。たとえばこういうところに彼の味がにじむわけだ。
だから私は正直に「カッコイイね」と声を掛けるのだが、彼は「まあね」と答えるだけだ。その一言で流されたんじゃあ、おべんちゃらを言った価値がないからさあ、「ジョージ、それどこで買ったのよ?」と、なおも話し掛けるわけだ。すると今度は「むこうで」の一言。ほかに何か言うことないわけ!?
てゆーか、そもそも「むこう」って言い方が気に入らん。実際、この男は頻繁に「むこう」という名のアメリカ大陸に視察だ何だと理由を付けて出掛けているのを私も知っているだけに、その信憑性の高さが余計に私をムカつかせるのである。そうそう、ジョージはいわゆるひとつのITベンチャー企業のトップだ。
さて、ムカつきが頂点に達した私は、何とかジョージをおとしめてやろうと考える。人間として当然の心理だ。で、考えついた。私は仲間を手招きし、大声で叫んだ。「みんな、見てみろよ。ジョージのブレザーに紅ショウガが付いてるぜ。アハハハハ。ハ……」。すべった。完璧に。その現実に打ちのめされている私を横目で見ながらジョージがしゃべり出す。「ふ?ん、面白いこと言うね。あ、そうだ。みんなは知ってた? 僕と増田さんとはねえ、同じ年なんだよ」。
ガキ以下の悪口を叫んで自爆した私VS紳士然としたジョージ。むさくるしいオッサンスタイルの私VS青年実業家っぽい風体のジョージ。仲間たちは瞬間的に2つの意味で彼と私を比較して、「ウッソ?」と口にするのである。すでに敗北が決定している私にダメ押し攻撃をかけるのだから、本当にひどい人間だ。
じゃあジョージは私を嫌っているのかというと、むしろ逆らしい。「あさって東京です。どう?」。こういうメールをしょっちゅう送ってくる。要するに「会おうよ」って言っているわけで、どうも私のことを気に入っているらしいのだ。とはいえ、正味これしか書いてないから、会うにしても、いつ、どこで、どうすりゃいいのか見当もつかない。結局は私が「あさっては何時までどうで、その後はこうで、その後なら大丈夫で、念のため明日の夜はこうで、3日後の午前はこう。どこかで都合がつきますか?」みたいな返信をすることになる。
「NG。ではまた」。たいていはこんな返事がくる。しかも、彼が言うところの「あさって」になってからだ。ジョージとかかわっていると、「素っ気ない」とは、「思いやりがない」という意味だとの説明に心の底から合点がいく。
でも、こういうコミュニケーションがジョージ独特の「味」だと思えてしまうから処置なしだ。どうやら私は「素っ気はあっても味のない人」より、彼のようなタイプが好みらしい。ジョージもそれを知ってるんだろうな。憎い男だ。
1959年生まれ。87年、株式会社タンク設立。97年、「アントレ」創刊に参加。以降、同誌編集デスクとして起業・独立支援に奔走。講演やセミナーを通じて年間1000人以上の経営者や起業家と出会い、アドバイスと激励を送り続けている。現在、(社)起業支援ネットワークNICeの代表としても活躍中。また、中小企業大学校講師、(財)女性労働協会講師、ドリームゲート「事業アイデア&プラン」ナビゲーター、USEN「ビジネス実務相談」回答者なども歴任。著書に『起業・独立の強化書』(朝日新聞社)、『正しく儲ける「起業術」』(アスコム)。ほか共著も多数。