笑いと気づきの人間讃歌! おとぼけ起業家列伝

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第11回 ホラを吹き続ける男


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イラスト / 本田佳世
 

私はもっぱら理髪店で髪の毛を切ってもらっているが、一時期、渋谷の美容院に通ったこともあった。法人会の集まりか何かで知り合って仲良くなった男が、たまたまヘアサロンのオーナーだったのだ。私は彼をアラポンと呼んでいる。

そんな出会いで彼の美容師としての技量がわかるはずもないのに、アラポンの店に行くようになったのは、彼の話があまりに面白く、1回きりで聞き納めにするのはもったいない気がしたからだ。

いや、「話が面白い」という言い方は正しくない。彼に「話をさせると面白いことになる」と言うほうが正確だ。うまく誘導すれば、彼は一般人の1000倍くらい大げさなことを平気で語るのだった。

スペースが許す限り彼とのやりとりを紹介してみる。「アラポンって、筋肉質だけど何かスポーツやってたの?」「柔道やってたよ」「強かったでしょ」「六段だからね」「すげっ(注・オリンピック選手でも三?五段。六段はベテラン指導者の域)。国体、出たの?」「もちろん。でも古賀や吉田を見たら、この世界では頂点に立てないなって思ってね」。話のつぶし方がうまいよなあ。

別の日の会話。「アラポンの指、長いね。ほかの仕事でも成功したんじゃない?」「ピアノは期待されてたね」「すげー。コンクールは?」「出たよ、ガキの頃ね。でも遊びたい盛りにレッスン漬けで、うんざりしちゃってさ。それにクラシックよりロックに興味がわいてね。マーク・ボラン最高って感じ。あ、オレのヘアスタイル見てピンとこない?」「えーと、そういえば昔のコロッケの髪形っぽいかなあ」「違うよ?。だからマーク・ボランだよ。今は美容師だけどさ、オレのロック魂は不滅だぜ」。話題の変え方も絶妙だよね。

さらに別の日の会話。「アラポンの指、長いね。ほかの仕事でも成功したんじゃない?」「野球では注目されてたね」「ピッチャー?」「当然。この指だぜ。中学で145kmは超えてたからね。ただ、肩とひじをやっちゃってさ」「そうか、だから柔道に転向したんだ」「えっ?」「柔道やってたんでしょ?」「ああ、そうそう。伴宙太の逆コースってわけだ。はは」。立ち直りも早いんだよな。

しかし何回か通った後、私はこの展開に飽きてしまい、店への足も遠のくようになった。もっとも私が行かなくなったところで、彼のカット技術はたいそう評判で、お客さんに困ることはまるでなかったのだが。

ある日、アラポンから電話があった。「店に来い」と言うのかと思ったら、違う話だった。渋谷の店を閉めて故郷に戻り、そこで新しい店を始めるというのだ。「親のこともあるし、考えていることもあってね」と。親御さんのことはわかるが、考えていることなんて、どうせまた大ボラだろうと思い、私は詳しく尋ねることもせず、適当に励ましの言葉を言って受話器を置いた。

それから何年かたって、偶然、彼の店のことを書いたブログを見つけた。「天然素材の薬剤を使っている」「新型の浄化槽を導入している」など、そこには彼の環境保全型店舗経営をたたえる話が書かれていた。

彼が言おうとした「考えていること」とは、環境にやさしい店をつくることだったのだ。その理想に合わせて渋谷の店舗を改装するのは確かに難しかったのだろう。それでか……。立派な決断をしたものだと、今さら感心した。その感激を伝えたくて、彼の店に電話をした。「久しぶり。どう、忙しい?」

懐かしい声が返ってきた。「いや、ゆっくりやってるよ。店の前が海なんで釣りなんかやってるし」「大物も釣れるんでしょ」「先週もマグロがきたからね」「マグロ!? 釣ったの?」「竿ごと持ってかれたよ。たぶん400kgは超えてたね、アイツ」。あり得ない(笑)。アラポンは全然変わっていなかった。

そんなホラを聞きながら、いつか海辺の彼の店へ行ってみようと思った。そして彼の経営姿勢をマジメに褒めてみようと思った。大言壮語を口にしない、もうひとりの彼に出会えるような気がして、それはそれで楽しみだ。

次回は2008年3月7日(金)更新予定。お楽しみに!

プロフィール

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増田紀彦
(社)起業支援ネットワークNICe
代表理事

1959年生まれ。87年、株式会社タンク設立。97年、「アントレ」創刊に参加。以降、同誌編集デスクとして起業・独立支援に奔走。講演やセミナーを通じて年間1000人以上の経営者や起業家と出会い、アドバイスと激励を送り続けている。現在、(社)起業支援ネットワークNICeの代表としても活躍中。また、中小企業大学校講師、(財)女性労働協会講師、ドリームゲート「事業アイデア&プラン」ナビゲーター、USEN「ビジネス実務相談」回答者なども歴任。著書に『起業・独立の強化書』(朝日新聞社)、『正しく儲ける「起業術」』(アスコム)。ほか共著も多数。

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