勇気と知恵を注入します!独立ビタミンの「増田堂」
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  第17回 男と女と
それぞれの存在価値

 生まれ変わるとしたら男と女、どっちがいい? 誰でも一度や二度はやりとりしたことのある話題でしょう。皆さんはどうですか。今のまま? それとも異性?

 私はですね、どちらでもかまいません(笑)。盛り上がりに欠ける答えですが、男には男の、女には女の、要するにそれぞれならではの面白さや喜びがあると思うので。もちろん女性に関しては想像の範囲を超えませんが。とにかく生きる面白さや喜びが、男女のどちらか一方に偏在するとは考えられません。

 だいたい、そんなことになっていたら人類は滅亡してしまうでしょう。人類の半分(それが男だろうと女だろうと)が、面白さも喜びもない人生を送っていたとしたら、それこそ世の中盛り上がりに欠けるというものです。仮にあなたが女性だとしましょう。あなたが知る限りの男性すべてが、何をしても面白がらない、どうなっても喜ばない。そんな生き物だったらどうですか? 魅力を感じますか? 感じませんよね。ということは……、そうでしょ? 子孫が絶える方向に行っちゃいますよね。

 いきなり結論めいたことを言いますが、男にせよ女にせよ、生きること、あるいは生きていることに面白さや喜びを感じるのは、種を保存しようとする本能のなせるわざではないでしょうか。種を保存するためには、言うまでもなく雌雄それぞれの機能が必要です。ということは、雌(メス)にも雄(オス)にも存在価値があるわけです。

 存在価値とは、「課せられた使命を果たしきる機能や能力があること」だと私は理解しています。いわばその有用性において、性差による優劣などあろうはずがありません。

 生きる面白さや喜びとは、課せられた使命を果たす方法を見つけ出したり、また実際に使命を果たしたりした時に味わえる感情のことでしょう。男には男の、女には女の成長感や達成感があるはずです。だから私は、男でも女でもかまわないのです。


仕事家庭? 当然どちらも大切です!

 さて、何気なく書いた「種の保存」ですが、この言葉の意味をあまり狭くとらえないことが肝要だと思います。

 鳥を例に挙げて説明します。交尾を終えて妊娠したメスの鳥はやがて卵を産みます。これだけの行為で種が存続するのでしょうか。無理ですよね。巣をつくらなければなりません。エサを運んでこなければなりません。害敵に警戒しなければなりません。まだまだあるでしょう。種を保存するためにすべきことは実にたくさんあるわけです。人間も同じです。

 子種を宿し、子供を産み、守り、育て、鍛えて大人にしていくことと、自分たち自身やその子らがより安全に、より豊かに暮らしていくための生活環境(社会)をつくり出していくことに人間は同時に取り組んでいます。

 「同時に取り組んでいる」というと、何か別々の目的を追求しているように聞こえるかもしれませんが、いずれも「種を守る」というひとつの命題に規定された行動です。

 だから「仕事と家庭とどっちが大事か?」などという二者択一は、本来あるべきはずがないものです。どっちも人間には必要です。両方なければ種が絶えてしまうのですから。

 あっ、何だか話が大きくなってしまいました(笑)。もとい。「生まれ変わるとしたらどっち?」の話に戻します。


人は本当に生まれ変われるのだろうか?

 そもそも生まれ変わるということは、新たな人格というか、新たな人間として世に出ることですから、以前の人生の記憶なんぞ持っていないわけです。そうですよね?

 よく「前世は何々だった」というような話を聞きますが、私はいくら考えたところで前世の出来事など、かけらも思い出すことができません。それこそ、男だったのか女だったのかさえ見当がつきません。であれば生まれ変わった時に、「これだったら男のほうが良かったなあ」とか、「こりゃどう比べても女のほうがいいや」とか、思うことができないわけですよね。比較ができないのですから。もっとも世の中には見えないものを見ることのできる力を持つ人もいます。が、私はダメです。なので、やっぱりどっちでもいいとしか言いようがありません。

 私は心理学のたぐいにはトンと造詣がないので、イマイチ説得力不足な気もしますが、「生まれ変わったら……」というフレーズは、生まれ変わるという非現実的な状況設定をすることで、自分の現在の志向や嗜好を表明しやすい状態をつくり出しているだけではないかと思うのですが。どうなんでしょうねえ。


子供時代からやり直すなんてねえ……

 仮にですよ。仮に、生まれ変われるとしましょう。だとしたら、私はそれをお断りさせていただきたいものです。ただし、いきなり大人としてデビューできるのなら、まあいいかなって感じです。

 要するに赤ん坊からやり直すのがイヤなんです。自力で生きることができない、だから自由に生きることもできない、そんな幼少の砌(みぎり)を経なければならないんでしょ。ああ、やだやだ。どう考えてもイヤですね。

 男としての面白さや喜びにせよ、女としての面白さや喜びにせよ、それらには「大人の」という前置きが付くはずです。せっかく大人になったのに、何が悲しくてもう一度、寝る前に歯を磨きなさいだの、男女交際はまだ早すぎるだの、「文句があるなら稼げるようになってから言え」だのと、親や親戚や教師や地域社会の人々から言われなくちゃならんのですか。そんなの真っ平ゴメンだね!って私は思うわけです。

 そうそう、夏の終わりが近づくと決まって、「セミの幼虫時代は長いんだ」なんて語りだす人がいますが、私に言わせりゃセミなんて別にたいしたことはありません。こちとらセミの倍以上の長い年月、しかもその途中、親からビンタをくらったり、先生からゲンコツをくらったり、先輩からパンチ&キックをくらったりしながら、「大人になれば、いつか大人になったら……」と、歯を食いしばって耐え忍んできたのですから。

 セミ相手に、何を熱くなっているのでしょう、私(笑)。


何事も訓練期間は必須である。人生しかり

 冷静になってみると、どうも私の言い分には欠陥があるような気がしてきました。

 大人の生活を楽しいと思えるのは、大人としての責務を果たす力があるからです。前半に書いた「課せられた使命を果たしきる能力」があればこそ、大人としての価値が社会から認められるのです。大人としてやるべきことをやらない、あるいはできないというのでは、やはり社会からそれなりの責めを負うことになります。そうなると、楽しいとばかりも言っていられません。

 では、責務や使命を果たす力は、いったいいつ自分の中に宿るのでしょう。

 この世に生を受けてから成人するまでの20年間の歳月によって、その基礎が築かれたことは否定のしようがありません。あまりにも当たり前の理屈ですが、子供時代を経ないことには大人になれないのです。

 子供時代とは、大人として生きる、つまり種の保存という人類の大命題に対する役割を果たす個になるための訓練期間のようなものかもしれません。現実には生まれ変わるなんてことができないのと同じように、幼少期をすっ飛ばして大人になるなんてことも、どうしたってできない相談でした。

 ところがですね、昨今、「大人になるための訓練期間としての子供時代」を過ごしていない少年少女が少なくない気がするのです。子供は未熟で非力な存在です。そんな存在が、責務と使命を背負って生きる大人へと脱皮するためには、どうしたってココロとアタマとカラダを鍛練する必要があります。仮にそうした機会を子供に与えず、放置したり、反対に保護しすぎたりしていたら、子供は見た目だけの大人になってしまうのではないでしょうか。


要するに、女性の脳について知りたい

 おっと、また話が広がってしまいました。教育論はいいとして、男と女の話に戻します。わざわざ生まれ変わるなんて大げさな設定ではなく、近い将来、一定期間だけ女になれるという話なら、ぜひ乗ってみたいものです。そのうえですぐ男に戻るつもりですが。

 というのは、女性の脳がいったいどうなっているのか、どうしても知りたいからです。そのへんのことを解説している本もいろいろ読みましたが、しょせん理屈は理屈。できることなら、実感してみたいと思ったのです。

 とはいえ、女の脳になっている間は男の脳を失っているわけですから、「ははあ。こういう時、男のオレならこう判断するのだが、今は女だからこういうふうに判断したわけだな。なるほどねえ」というような展開にはならないんですよね。後で男に戻ってから、「女の時はこうだった」と思い出せる自信もあまりありません。

 女性脳の解明に私がそこまで執着を持つのには、わけがあります。まずはそのきっかけとなった出来事から記します。


男女ではコミュニケーションの目的が異なるらしい

 とある宴席でのことでした。まさに「宴もたけなわ」という頃、女性起業家が2人、私の目の前にそろって席を移してきたのです。それぞれ、私に相談したいことがあるとか。しかしだいぶアルコールが進んでいる様子だったので、私はその2人に、翌日あらためて会って話を聞くと提案し、了承してもらいました。相談を受ける以上、ちゃんとやりとりできないといけませんからね。

 敏感な読者の方は、すでに私の「男性的間違い」に気付かれたのではないでしょうか。そうです。べつに「ちゃんとしたやりとり」なんて、求められてはいないのです……。もうちょっと経緯の紹介を続けます。

 宴会の翌日、私は予定どおり彼女たちと会い、それぞれが考えている事業プランを聞かせてもらいました。どちらも実際良くできたものでした。その時の私は彼女たちの話にただうなずき、「いいじゃないですか」と言っただけです。もちろん、本当にいいと思うからいいと言ったわけですが、だからどうするこうする、というような話はまるでしませんでした。もちろん「それで、あなたたちは何を相談したいの?」などと尋ねることもしませんでした。

 実は前夜の宴会が終わった後、例によって例のごとく「もう一軒」ということになり、そこで「男と女のコミュニケーションは目的が違う」という話を聞かされたのです。

 ある女性いわく、「男は結論を欲しがる生き物であり、女は共感を欲しがる生き物である」と。そう言われてみれば、そのようなことが、「話を聞けない」だったか「聞かない」だったかの男と「地図を読めない」だか「読まない」だったかの女について書いてある本で紹介されていた気がします。

 「だから女が何かを話しだしたら、余計なことは言わず、『うん、うん。そう、そう。わかる、わかる』って反応するのが正解」なのだと。ふ〜ん。

 いつでもそうですが、私は「相談がある」と言われれば、頑張って何らかの有用な情報を提供しようと考えます。だから今回も場を変えて話をしようと2人に提案したのですが、どうも、そういった配慮は不要だったのかもしれないと思い始めました。そして翌日の「相談」の際、2次会で得た知識を信じて、同調的態度に終始してみたのです。


「わからない」は、実は大した問題ではない

 経緯は以上です。しかし、私はいまだに自分の選択した態度に自信が持てません。本当にそれで良かったのでしょうか。どうにも「やり残し感」にさいなまれるのです。

 いい計画はいい計画として、それを遂行するうえでどんな課題があるのか、最初に着手すべき事柄は何か、反対に待機したほうがいい事柄は何か、計画を進めるうえでの障害はどう除去するか、それらをいつまでにやるのか、やれなくなる状況が現出したらどうするのか、などなどが気になって仕方ないのです。それらへの答えを得てこそ「相談の成就」ではないのかと。

 もちろん彼女たちに不満げな様子はありませんでしたし、いわんや不機嫌になるようなこともありませんでした。何ら問題は生じていません。また何となくですが、私が挙げたような事柄について語り合わずとも、彼女たちはそれぞれのビジネスをうまく進めていく気もしています。

 でもやっぱり、わからないんですよね。そういうコミュニケーションで良かったのかどうか。だから短期間でいいから女性の脳になれればと思った次第です。

 世迷い言はこのくらいにしておきましょう。当然、私が女性の脳を持つことなど現実にはあり得ません。であるのなら、「わからないものは、わからない」と認めてしまったほうがスッキリします。少なくともわかったような気になるよりはマシです。

 ただし、わからないからといって女性が嫌いなわけではありません。わかろうがわかるまいが、好きです。女の人。同様に女性も私たち男性のことをいろいろ不可解だと感じているかもしれませんが、どうか寛容な気持ちで受け入れていただければ幸いです。

 人間はわからないことに対して不安を抱くものです。でも不思議なことに、男は女をわからず、女もきっと男をわかっていないのに、なぜか力を携え合うことができるんですよね。「わからない」なんてことが問題ではなくなるような強い組み合わせなのでしょうか。そうとしか思えません。

 この人生、私は男としての生を受けました。だから男という生き物の本懐をまっとうすればいいだけです。もし女としての生を受けていたのなら、きっと女としての本懐をまっとうすべく努力したでしょう。

 では、男の本懐とは何か。女と子孫と社会を愛し、愛するもののために身を粉にして働くこと。以上。私の思うところですが。

 ちなみに女の本懐とは何か。それがわからないのです(笑)。


ご愛読に感謝。今回が最終回です

 独立ビタミンの「増田堂」、今回が最終回となります。役に立つと思えば立つ、立たないと思えば立たない。そんな「あなた任せ」のコラムを根気よく読み続けてくれた皆さんに、心の底から感謝申し上げます。

 なお、「増田堂」は正真正銘おしまいですが、この「アントレnet」 にて、私、増田紀彦の新連載がまたまた始まります。9月末からの掲載予定です。自分で言うのも何ですが、まあ、閉店セールだの何だのって大騒ぎしておいて、結局何年も続けている靴屋さんのようなものですね(笑)。しかし靴屋さんに限って、なぜ、ああも閉店セールを繰り返すのか。そのへんの謎に迫るところから新連載を始めましょうか(多分、気が変わると思います)。

 とにもかくにも頑張って書き続けます。皆さん、今後とも応援よろしくお願いいたします。それではまた!
Profile
増田氏写真
増田紀彦
株式会社タンク代表取締役
1959年生まれ。87年、株式会社タンク設立。97年、「アントレ」創刊に参加。以降、同誌および別冊「独立事典」編集デスクとして起業・独立支援に奔走。また、経済産業省後援プロジェクト・ドリームゲートでは、「ビジネスアイデア&プラン」ナビゲーターとして活躍。講演やセミナーを通じて年間1000人以上の経営者や起業家と出会う。現在、厚生労働省・女性起業家支援検討委員、中小企業大学校講師、(財)女性労働協会・女性起業家支援セミナー検討委員などを務める。また06年4月からは、USEN「ビジネス・ステーション」のパーソナリティーとしても活動中。著書に『正しく儲ける「起業術」』(アスコム)、『小さくても強いビジネス、教えます!起業・独立の強化書』(朝日新聞社)。ほか共著も多数。



 <今回で終了します。ご愛読ありがとうございました!>
   

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