40代だけど五十肩
「間違いなく五十肩です」。先日、掛かりつけの医師からキッパリと言われてしまいました。一応、私は40代なんですけど……。まあ、50か40かはともかく、正式には肩関節周囲炎という病気で、肩こりとは全くの別物だそうです。
ある日、目覚めてみると左腕がほとんど動きませんでした。試しに動かしてみると、飛び上がるような激痛が首から肩、さらに腕にまでかけて走ったのです。「とうとうきたか」。私はそういう症状がいつか起こるだろうと予測していました。
実は半年ほど前から左腕の二の腕のあたりに痛みがあったからです。マッサージを受けても、運動しても、温泉に入ってもその痛みは取れません。誰とはなしにそのことを話題にすると、たいてい「それは五十肩だろう。そのうちもっと痛くなるかもね」と脅かされていたのです。なので、覚悟はできていました。
問題個所は、肩のほかにもあった
ところが、医師の診断は五十肩だけにとどまりませんでした。「ちょっと気になることがあるから、もう一度X線を撮らせてくれ」と。なんなんだ?
ほどなく画像が上がってきました。それを見ながら先生がつぶやきました。「やっぱり首か」。首? 首がどうかしたんでしょうか? 首なんて痛くもかゆくもないんですけど。
「増田さん、この写真を見てください。ほら、首の骨が曲がっているでしょ」と。言われるまでもなく、自分でも写真を見た直後に、「なんだ? この首は」と思っていたのです。正常な状態なら、首の骨は右肩と左肩を結ぶ水平な線に対して垂直方向にまっすぐ伸びているものです。Tの字を逆さまにした状態とでも言えばいいでしょうか。ところが私の首の骨は、ハッキリとカーブを描いていました。
「五十肩もあるんですが、それとは別に、首の骨が曲がっているせいで、首から出ている神経に骨が触ってしまい、それで腕や肩に痛みが出ているのでしょう」。そんなことが自分の体に起きているとは夢にも思いませんでした。が、首の曲がりに関して言えば、大いに思い当たる節があります。
右眼弱視。これが根本的な問題か
私は右目がほとんど見えません。弱視です。弱視をご存じない方もいるでしょう。弱視とは眼鏡などで矯正しても視力が出ない状態のことをいいます。私の場合、失明ではなく、若干の視力があるにはあるのですが、かといって、何をどうしたところで、画像を正確にとらえることはできません。明暗の区別や目にうつった物体のおおよその輪郭は理解できるのですが、すべてをすりガラス越しに見ているような状態と言えばいいでしょうか。
何が原因でそうなったのかはわかりませんが、少なくとも幼稚園に入る前から右目が使えないことは自覚していました。いわゆる「物心が付いた」といわれる以前からそういう状態でしたので、自分としては左目だけでものを見るのが当たり前の習慣だったのです。
しかし、ほぼ50歳に近い40代となった今、頼りの左目も近視と老眼のダブルパンチで、以前のようにしっかりものを見ることができなくなってしまいました。いつしか私は物を見ようとする時、左目をグッと対象に近付けるクセが付いていたのです。首の曲がりの原因は、恐らく物を見る時のこの姿勢にあると思います。もしかしたら、別の原因かもしれませんが。
痛い思いをしたから考えた7つのこと
長々と私の老化話を書いてしまい恐縮です。さて、皆さんは私の話を読んで何を思ったり考えたりしましたか? 私はこの体験を通してだいたい7つのことを考えました。
その1。どんな人にとっても健康は大事なことだけど、ことさら起業家にとっての健康とは、何物にも替え難い重要事である。とくに私のように文章を書くことを生業としている人間にとって、目の問題は大きい。
その2。弱視を治療する画期的な方法が確立されたら、すごいビジネスチャンスになるだろう。一般的に弱視治療は幼児期のほうが効果的といわれているが、成人以降でも効果の出る方法が開発されれば、それなりの治療費を収めてでも治してほしいという人が相当数現れるはず。
その3。弱視の治療が容易ではないなら、弱視者のための様々なサービスの普及が求められる。日本の弱視者は最低でも20万人。多く見積もった場合、100万人前後に達するという見方もある。株式会社大活字さんをはじめ、弱視者を対象にした商品やサービスを提供する起業家もいるにはいるが、まだまだ圧倒的に少ない。ということは、弱視者マーケットはそれなりの規模であるにもかかわらず、未開拓と言ってもいい状態である。ここを狙わないのは損。ましてや高齢化社会の到来と考え合わせれば、「見える」ためのあらゆるプロダクトへのニーズが高まることは必至である。
その4。私は目が悪いからパソコンを見るのに苦労している。そしてパソコンを無理して見ているせいで、体のほかの部分にまで影響が出ている。パソコンの利用頻度を落とすことはできないか。なおかつ、それでいて生産性を維持するワークスタイルを確立できないか。しかし、こうした考え方で問題が解決できてしまうとすれば、パソコン市場は高齢化社会の進展とともに衰退を余儀なくされてしまうだろう。その状況をメーカーや関連ビジネスが黙って見過ごすはずがない。「高齢化ニッポン」スタンダードのパソコンがきっと登場してくるはずだ。これは楽しみ。
その5。弱視治療が難しく、弱視者サービスも進まず、目にやさしいパソコンも間に合わず、ついに私のいいほうの目(左目)の力も尽きてしまった場合、私は何を武器にして生きていくのだろう。これはさほど悩ましい問題ではない。聴力と声がある。聞いて学び、言葉で人にメッセージを伝えればいい。なので、今のうちから「聞く力」と「話す力」に磨きをかけておくことは必須である。
その6。考えてみれば左腕の痛みは首の曲がりが原因であり、その曲がりをもたらした理由は片目で物を見る姿勢であり、その姿勢をもたらしたのは、幼少の頃からの弱視にあった。つまり物事には直接の要因に加えて必ず遠因が存在するものである。これを逆の順序で考えれば、片方の目が見えないことで将来何が起こるかは、ある程度予測可能ということになる。この理屈は、ビジネスはもちろん、あらゆる人間の活動にも当てはまるものである。弱みを克服しないまま無理をすれば、その無理が新たな弱みを生み出してしまう。しかももともとの弱みも残っているのだから、弱みは拡大する一方となる。弱みはなるべく早くに克服するか、それができないのなら、弱い部分を使わないで済むような転換を早く図ることが大切である。
その7。そんなに文字を見るのが大変なら、何もこんなにたくさん字を書かなければいいのだ。なのに……。理屈ではわかっていても、どうしようもないことがある。あらためて自分に問いたい。なぜ書く? 大計を決断できない自分の弱さのせいなのか、それとも是が非でもミッションを遂げたいという自分の強さのせいなのか。たぶん両方だ。両方というより、強みと弱みは同じことの表裏のように思える。そう考えれば、強いからといい気になることもなく、半面、弱いからといってしょげることもない。いや、そういう話ではない。強いからでも、弱いからでもなく、私は書きたいから書いているのだ。
痛い思いをしたから考えた、あとひとつ
ただでは転びたくない、そう思います。転ばなくて済めば何よりなのですが、そんな都合のいい人生が現実にあるとは思えません。だから転んで痛い思いをしたら、最低でもその分、できるならその何倍も取り返してやりたい。私は常々そう思って生きています。そして転んだ数だけ得るものがあると思えれば、転ぶこともさほど怖くはなくなります。
私は左腕に痛みが出たことで、上記したように7つほどのことを思い付き、考えることができました。十分にもとは取れています。
いや、もうひとつ思ったことがあります。何事もそうですが、問題があるのなら、できる限り改善に努めることが大切。100%解決できないなら、70%でもいい、50%でもいい。
あるいはそれ以下でもいい。何もしないよりはとにかくいい。私の場合で言うと、首や腕の治療に一生懸命取り組むということです。目の問題がクリアできないとしても、首や肩の治療で救われることも多々あるはず。難問に打ちのめされて、解決できそうな問題まで放置してしまう。こういうミスは犯したくありません。というわけで、頑張ります!
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1959年生まれ。87年、株式会社タンク設立。97年、「アントレ」創刊に参加。以降、同誌および別冊「独立事典」編集デスクとして起業・独立支援に奔走。また、経済産業省後援プロジェクト・ドリームゲートでは、「ビジネスアイデア&プラン」ナビゲーターとして活躍。講演やセミナーを通じて年間1000人以上の経営者や起業家と出会う。現在、厚生労働省・女性起業家支援検討委員、中小企業大学校講師、(財)女性労働協会・女性起業家支援セミナー検討委員などを務める。また06年4月からは、USEN「ビジネス・ステーション」のパーソナリティーとしても活動中。著書に『正しく儲ける「起業術」』(アスコム)、『小さくても強いビジネス、教えます!起業・独立の強化書』(朝日新聞社)。ほか共著も多数。 |
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