おおうち・ゆうじ/茨城県出身。幼少の頃から鉄道模型製作が趣味。大学時代は鉄道研究会に所属し、小田急線の駅でラッシュ時のアルバイトも。卒業後は茨城県内の小・中学校の国語教師となるが、50歳の時に退職し独立。一番好きな電車は地元を走る「スーパーひたち」。
廃線直前まで走行していた元日立電鉄線の電車を、新幹 線を運搬する特殊トレーラーで運び入れて敷地内に保 存展示。のどかな田園風景の中のランドマーク的存在に
中学校の国語教師として教職に就き、以来20年以上ずっと小・中学校で教鞭をとってきました。教師生活も授業も楽しかったのですが、45歳の時に教務主任となってからは管理業務が増え、授業数がぐっと減って、教師としての醍醐味が薄れてしまったのです。このまま教頭、校長とレールに乗って定年退職を待つよりも、元気なうちに起業しようと、退職を決意。家族やごく近い友人にはずっと「退職後は鉄道模型店をやりたい」と言ってはきましたが、やはり公務員ですから、在職中に次の準備活動をするのはどうかと。情報収集や問い合わせすらしませんでした。50歳、3月末で退職し、自由の身となった翌日、「鉄道模型店を自分もやりたいのだけれど」と、客として頻繁に通っていた水戸の模型店で相談したのが最初のアクションです。そこで紹介してもらった東京の問屋さんへさっそく出向き、「開業資金はいくらぐらいか。店舗に適した場所や広さは?」など質問して、ようやく起業へと動き始めました。とても親身に相談に乗っていただき、開業までの間に出荷される新製品の確保をお願いして、4カ月後の8月オープンを目標に定めたのです。
その問屋さんで「店舗は路面店がいい」とアドバイスをいただいたので、店舗の場所は国道に面した実家所有の田んぼがいいかと当初は考えました。ですが、田んぼを埋め立てるとなると、基礎工事の費用も莫大で、諸手続きも実に複雑だとわかり断念。父を説得して、実家の敷地内にある古い2階建ての蔵を改造することに。国道から離れた、のどかな田園地帯の中ですが、好きな人はきっと来てくれる。そう思い、駐車場10台分を確保。蔵の柱と外観はそのままに、鉄道模型を走らせるジオラマ・レイアウトスペースを増築し、吹き抜けにして特注のらせん階段を取り付けました。また、内装壁を漆喰風にするなど、古民家リフォームの雑誌などを買ってきては「こんなイメージで」と大工さんに依頼。注文が多すぎたのか、蔵が店舗に生まれ変わるまで3カ月もの時間を要してしまいました(笑)。
蔵を改造した店内には、模型を走行させる約6畳のジ オラマレイアウトを完備。2階の休憩&資料コーナ ーへと続くらせん階段は、好きな小田急ロマンスカー色
蔵の改装工事が当初の計画より長引きましたが、結果的にはその間、じっくり開店準備に充てることができたと思います。まずリサーチを兼ねて、関東エリアにある十数軒の鉄道模型店へ足を運びました。何軒かでは「開業する」と理由を話し、経営の実務的なことから店づくりまで、様々なアドバイスをいただけました。また、ずっと教員をしていたため接客経験がないので、ある模型店の社長にお願いし、横浜の百貨店の出店先で数日間、販売員経験もさせてもらいました。ほかにも、知り合いからの依頼で、お子さんが乗れる5インチゲージのミニ新幹線を地域イベントで走行。これは今でも毎年参加しています。
小学生の頃から鉄道模型にはまり、鉄道一筋。そんな私が、なぜ鉄道会社に就職しなかったかというと、学生時代に鉄道模型メーカーの社長さんから「好きなことを仕事にしちゃいけない」と言われたことが大きかったですね。結果的にその約束を破ることになりましたが、趣味として長年やってきたからこそ、ただ鉄道が好きだからという動機だけでなく、自分で起業する理由というか、お店の明確なコンセプトが見つかったといえます。というのは、模型店に行くと、私と同じようなマニアがたくさん来るはずなのに、お客さん同士で交流できる場も機会も少ない。「私鉄が好きなお客さんがさっき帰った」と店主から聞いて、「あぁ、その人と私鉄談義がしたかった」と残念に思うこともしばしば。長時間いられる雰囲気ではなかったり、仕事帰りに寄りたいと思っても、少し残業した後だともう閉店時間だったり。それに鉄道模型というと、どこか男だけの世界で、女性同伴では入りにくく、子連れだと店主やほかのお客さんに迷惑かと躊躇することも。そんな自分がこれまで客として、不満、不足に感じたこと、こんな店ならいいのにと思ったことを解消したいと。自分と同じような不満を持っていて、共感してくれるお客さんがきっと何人かは来てくれるんじゃないか、そう思いました。
マニアだけでなく奥さんや子どもも一緒に楽しめ、何時間いても居心地が良く、仲間にも出会え、残業帰りでもOK、そして、欲しい商品が必ずある店。そんな、これまで客として感じていた足りない部分をすべて踏襲したのが当店です。実際に、お客さん同士がうちの店で出会い、旧知の友のように仲良くなって一緒に旅行したり、店や電車の中で誕生会を開いたり。休憩室もあるので開店から閉店時間まで1日中楽しんでくれるお客さんや、毎日必ず仕事帰りに立ち寄ってくれる常連さんも10人ほどいます。一歩うちの敷地内に入れば、テーマパークのように感じられる空間にしようと、本物の電車を展示しているのもその一環です。まぁ、誰より自分が欲しかったのですが(笑)。教員時代に一度、入手できる機会があったのですが、父親から「ご近所から変わり者扱いされるからやめてくれ」と言われて断念。そんな心配をしていたご近所もとても好意的で、「駅からタクシーで自宅までの道順を説明するのに、今は『電車くん』の近くと言えば通じるから助かる」と喜ばれています(笑)。地域のコミュニティバスの停留所名も、「電車くん」になったんです。
そのうちレールを延ばして、保存展示している電車を走らせたいし、もっと気軽に女性同伴で来ていただけるよう、カフェも併設したい。小型バスを改造して、鉄道模型店のない空白地域への移動販売もいつか始めたい。私の考えに賛同してくれる人にこの店のノウハウを伝授して、その人の地元の電車を保存展示した店をフランチャイズ化するのも夢ですね。すでに、模型店を始めたい、店の設計相談に乗ってほしいと、相談にいらっしゃる方もいます。私も起業時には多くの方々に相談に乗っていただいたので、恩返しの意味も込めて、できる限り対応しています。とはいえ、私ひとりで経営していますから、なかなか手は広げられません。でも、全国を、世界を相手に、鉄道模型の楽しさをこれからも広げていきたいと思っています。
理由は2つあります。定年退職後に鉄道模型店を開くのは長年の夢でしたが、これまで定年を迎えた先生方が疲れきって退職する姿を見て、自分も果たして、定年後に起業する元気が残っているのか、疑問に思うようになったことがひとつ。もうひとつの理由は、当時の職場での立場です。国語の授業は楽しく、生徒との交流も好きでしたが、教務主任になってから学校活動の実務責任者としての業務が主となり、受け持ち授業が週に2、3回あるかどうかという程度。いずれ教頭、校長となったでしょうが、授業ができない教師としての喜びが少なくて、この状態を教員というのか?という疑問を感じるように。それに起業しても、軌道に乗せるまで5年、10年かかるはず。だったら元気があるうちに起業しようと退職を決意しました。
開業資金は2000万円です。築80年の蔵を店舗に改造する費用に1100万円、什器 設備・備品に200万円、本物の電車の運搬費に300万円、レールとバラスト設置に200万円、商品仕入れに200万円です。
退職金を充てました。当初の開業予算は1000万円でしたが、結局は退職金をすべて使ってしまいました。
家族には長年、退職後は鉄道模型店をやると言い続けてきたので、あきらめていたようです(笑)。父は当初、教員を辞めることに反対していましたが、私の意志の固さを理解してくれた後は、積極的に応援してくれています。ほかには、「安定している教員を辞めるなんてもったいない」という反応がほとんどでした。それでも、意志が変わらないとわかってからは、皆さん協力してくれました。校長は、妻のことや今後の生活のことを心配して、起業目的で退職金申請をすると多少の助成金が付くと調べてくれたり、生徒さんや保護者さんが送別会を開いてくれたり。ありがたかったです。
傲慢に思われるかもしれませんが、不安はまったくなかったです。自分自身がこれまで数多くの模型店や専門店を訪れて、「こういう店があったら」「こういうサービスがあったら」「ほかのお客さんとこんな交流があったら」と思っていたことを実現すれば、きっと喜ばれる、間違いないという確信があったからです。また、東京の専門店まで行こうとすれば、それなりの交通費と時間がかかりますよね。それを上回る品ぞろえとサービスをここで提供すれば、いけると思いました。
鉄道模型マニアの客という立場でこれまで得てきた経験はもちろんですが、起業するに当たっては、多くの人からアドバイスをいただきました。水戸にある行きつけの模型店の店主に仕入れ先を紹介していただき、じかに会いに出向き、必要な資金やスペース、商材の確保などの相談に乗ってもらいました。また自分でも関東地区の模型店を十数軒ほど回り、時には隠密で、時には来店理由を明かして開業のアドバイスをいただきました。接客の経験がないので、知り合いの模型店の社長に頼み、4泊5日、無給で百貨店の接客も経験させてもらっています。
水戸の模型店の店主、そこで紹介してもらった模型問屋の課長、同業者、それと家族です。鉄道模型マニアの自負はありましたが、経営面はまったくの素人。退職した翌日から積極的に行動して、様々な方々に相談に乗っていただきました。また開業後、私はパソコンが苦手でしたが、日立という土地柄、お客さんの中にはコンピュータ関連のお仕事をしている方も多くて、相談に乗っていただいています。便利なソフトだけでなく、ハードまで譲ってくださり、今使用しているパソコンはお客さんからいただいたもの(笑)。皆さんのご指導のおかげで、自分でサイトの更新もできるようになりました。
つい最近のことですが、税務署から「税務調査に行く」と連絡がきたことです。仕入れや売り上げは日々記録していたのですが、「いくら残った」「今日は赤字だ」と適当で(笑)。税務署からの電話で慌てて家族総出で5年分の帳簿を作成しました。親族からは「きっと追徴課税金を取られるぞ」と脅されてドキドキしていたのですが、税務署の方がとても親切で、帳簿を細かくチェックしながら丁寧にアドバイスをくださってホッとしました。「取り締まりが目的ではないですから。でも、これからはきちんと帳簿をつけてくださいね」と。それ以降、青色申告で毎日きっちり帳簿をつけるように。そうすると、ムダな経費が一目瞭然でわかり、経営の見直しもでき、数字的な見通しもつき、自信になりました。税務署というと妙に恐れてしまいますが、結果的には調査してもらったことを感謝しています。
いつもは心配性な母が、「人生を2度楽しめるなんて、素敵なことじゃないの」と言ってくれたこと。好きな趣味を職業とすることに、自分自身、少し抵抗があったのですが、教員という人生をひとつ終えて、2度目の人生として長年の夢を実現したことはやはり間違っていなかったと思えます。また、お客さまから「こんなお店は初めて!」「こういう店がうちの近くにあったらな」「東京まで行かなくて済む」「えっ、取り寄せ注文するつもりで来たのに在庫が今あるの!?」「また遊びに来ます」と喜ばれることは何よりも嬉しいですし、大いに励みになります。
オリジナルのコンセプトを明確につくって始めることをお勧めします。もっとこうすればいいのに、という自分なりの要望を実現すれば、それがオリジナルのコンセプトになると思うんです。もうひとつは、わからないことは素直に人に聞くことでしょうか。教えてくださる人は案外と多いものです。変なプライドを捨てて、素直に聞けばいいのです。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報